ビールは公平な飲み物であった。昔、酒屋へ行くと、キリンもアサヒもサッポロもまったく同じ定価で店に並んでいた。日本酒に上は大吟醸やら、純米酒やら、下は合成酒と格差拡大し格付けが出来ても、ビールだけはその値段の公平さで酒の平等の精神の孤塁を守っていた。その間、日本酒は『越の寒梅』が、その格差社会の頂点から滑り落ち、『久保田の万寿』が王座に着いた。それでも、ビールの世界は頑なに平等の精神を守り通していた。しかし、階級社会のヨーロッパでは、その産する酒、ワインにおいて、歴然たる階級社会振りを発揮し、上はシャトー・ラフィット・ロートシルト、シャトー・マルゴーのヴァン・ダンジュものとその頂点を極めるものいと貴く、そんなこんなする間に『ロマネ・コンティ』などという超弩級の高級品が現れ、そのピンに値する5?1500円紙パックなどという狗が啜るべき泥水ともいえるワインとの価格差はそれこそ何万倍という想像を絶する格差社会の様相を呈するようになった。しかし、それでも、なお、ビールにおいては多品種生産の時代を経て、発泡酒、第三のビールなどの底辺層が形成され、上流界ではいくつかのプレミアム銘柄が誕生するに至ったが、それらを除いて、なお、名目上の平等を保っていた。オカブはこのビールの平等の精神をなんとも麗しいものと愛で、尊んできたものである。それがである!!今日、かーたんからやっとのビール飲んでもいいよん、の許しが出て、サミットの代沢十字路店にいそいそとビールを買いに行くと、いつも500ml缶260円で売っているキリン一番搾りがなっなんと280円で鎮座ましましているではないか!!同じ500mlのサッポロ黒ラベルと、アサヒ・スーパードライは255円である。ちなみに、サントリー・プレミアム・モルツは298円。思わず怒りがこみ上げてきた。キリンによるなんという仕打ちか!オカブはビールの値段が文字通り均一であった頃から、他の銘柄には目もくれずキリン一番搾りを求めてきた。なににも増して、キリン一番搾りを愛してきた。家飲みでは言うも及ばず、外食をする際も、キリン一番搾りを置いてある店を探して、優先して暖簾をくぐるのを常としてきた。いや、時にはあらぬ浮気をしたこともあったが、しかしキリン一番搾りは、長年連れ添った恋女房、古女房であった。オカブはこのキリン一番搾りと偕老同穴になる覚悟であった。ところがである。280え~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん。まるで、長年連れ添った亭主に稼ぎが悪いからという理由で、三行半を突きつけるようなものではないか。(三行半を女房が亭主に突きつけることの正否は置いておいて)キリンがビール事業の伸び悩みを背景に、経営資源をビール事業から他の分野へシフトする戦略をとるとの報道は新聞等ですでに知っていた。その経営資源のシフトの結果が20円の値上げということであるのは明らかだ。しかし、ビール屋がビール稼業を捨て去って何をしようというのか?サントリーのように万年赤字だったビール事業をプレミアム・モルツで一挙に巻き返して黒字化した快挙もあるというのに・・・255円と280円の価格差は単に高い安いの問題ではなく、明らかに平等であるべきビールの格差社会化である。ここでオカブは憤然と、長年のキリン一番搾りとの情誼を捨て去り、サッポロ黒ラベルをショッピングバッグに入れた。この20円の値上げの、ビール党の、ましてやキリン党のオカブとして、キリンの暴挙は許せない。それが原料高などの止むに止まれぬ値上げなら理解できなくもないが、ビール屋がビール稼業を疎かにするという愚かな経営判断からの値上げである。ビール屋として健闘、奮闘しようという気概もキリンには残っていないようである。もはや、オカブはキリンの出す商品を手にとることはあるまい。一番搾りも飲むことはあるまい。家に帰って飲んだ、サッポロ黒ラベルの感想は、一番搾りのようなキレの良さがなく、まったりとした味わいで、マイルドといえばマイルド、慣れれば愛おしくなるような味わいである。サッポロがキリンのような愚挙を犯さない限りは、これで行こうと思う。以上がオカブのキリン訣別宣言である。
朧の夜愚痴の酔漢となり果てぬ 素閑