昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

強欲の民主主義とは?

2015-11-11 18:08:28 | 政治

「強欲」とは言い換えれば人間の普遍的向上心であり、文化・文明・経済・社会の発展の原動力である。
しかし、それは「強欲」故に「発展」ではなく「滅亡」に帰する可能性もある。
性善説に基づいた「民主主義」はそれを理解していない。
政治とはもとより財の分配に関する闘争プロセスであり、「民主主義」はそのための合理的な最終解になるはずだった。
しかし、国民が強欲なるが故に、そして民主主義であるが故に、今、日本は財政破綻、経済の壊滅の危機に瀕している。
当たり前である。今の社会・経済構造は永遠に経済成長し、国際競争に勝ちまくり、子供はどんどん生まれて人口は増え、人間は長くとも七十歳で死ぬことを前提にしている。国民は皆、豊かになること、何かを得ることを求めている。それが多数であるが故に、民主主義政体の政治はそれを満たすため、政策を進める。壊滅に至るのは必然である。
小泉純一郎はその危機に多少は感づいていた。しかしやったことは「痛みに耐える」「米百票の精神」などと国民を煙に巻き、福祉・社会保障を削りまくった対症療法だった。 小泉純一郎は単なる「言葉のペテン師」、グランドデザインの描けない哲学のないケチな政治家だった。
安倍晋三はそれとは逆に、夢よもう一度と、「アベノミクス」を打ち出したが、それは頓挫し、失敗に帰した。
今、政治家というか日本国民、否、全世界の先進国国民に必要な共通認識は、21世紀になり、もう過去の歴史の通りにはやっていけないということである。
その結果、各国では市場経済を基礎とした資本主義・自由主義を見直し、過去にない全く新しい社会構造を構築することが求められる。その過程において、「民主主義」の一時停止がありうるかもしれない。日本には厚い「憲法」の壁があり、それを乗り越えるためには、「民主主義」に関する一時思考停止が必要だからだ。
これは敗北主義かもしれない。しかしそれに反論するなら「勝ち」へのプロセスを示していただきたい。
それがなければ、とりあえず、いつ、誰が、「国民みんなで貧乏になろうよ」と言い出すかだ。

夕暮れに秋の冷たさ闇に入る   素閑