朝、ビールを一杯飲んで、その後は野暮用を済まし、家でグダグダしていようと心に決めたのだが、昼近くになって、陽も顔を覗かせるようになったので、これはもったいないと、かーたんと示し合わせて、お弁当のサンドウィッチを作って、家を飛び出した。
最初に目指すのは豪徳寺である。若林に出て、国士館脇の烏山川緑道を歩く。春のような陽気だ。
豪徳寺は大谿山、曹洞宗の禅院である。この寺の名物と江戸大名・井伊直孝との来歴は余りにも有名で、ここにも何回か記したが、重複を怖れずに再記する。
井伊直孝一行がこの地で巻き狩りを楽しんでいると、一宇の荒れ寺の山門に差し掛かった。すると山門の前に一匹の猫がおり、直孝一行を招くようにおいでおいでをしている。不思議とも思ったが彼らが猫の招きに応じて山門に入ると、一天にわかに掻き曇って、今まで彼らが居た所に大落雷が落ちた。それを奇に想った直孝は寺を訪ね、和尚の法話を聞き、この寺に帰依することしきり、寄進するところのものも少なからず、遂には一門の菩提寺となした。
それまで赤貧洗うが如くだった荒れ寺はたちまち潤い、和尚はこの機縁となった白い猫の像を刻み招福の招き猫として檀家に頒布した。これが豪徳寺と招き猫の由来である。
境内は一日観光の人々、初詣の人々で賑わっていた。庫裏の前のベンチで昼食のサンドウィッチをかーたんと食べる。
井伊家の末裔、桜田門外の変で名高い、井伊直弼の墓は井伊家の墓所の外れにある。
豪徳寺をでて、世田谷線沿いに宮の坂駅に来た。ここで、先日、日経新聞に記事の出ていた、旧世田谷線車両を観る。
それから世田谷八幡宮。世田谷の一宮である。ここも初詣の人々で賑わっていた。
そして南に進みこれも曹洞宗の禅院、勝光院。青々とした竹藪が好ましい。ここには静寂があった。ほっとした。世田谷領主、吉良家の墓所を観た。由緒正しい宝篋印塔を中心に五輪塔などが建っているが荒れているので侘しい感じがした。
さらに上町にで、ここも曹洞宗の実相院。庭園が美しい。かーたんが空腹だというので、先ほどオオゼキで買ってきた、鶏の唐揚を食い、オカブは冷えたエールを飲む。いけない!『不許葷酒入山門』の碑が建っているにもかかわらず、酒を堂々と飲んでしまった!
ボロ市通に戻るすがら、赤い引き戸の浄光寺の門をくぐる。浄土宗である。ここには禅寺の人間臭さがない。何故か安らぐ。
ボロ市通で期待していた、大場代官屋敷と郷土資料館は祝日のため閉館していた。この公務員体質には違和感を覚える。
世田谷通りを進んで、故寺内大吉氏が住職だった大吉寺で旧友の墓を弔い、松陰神社に出た。
成人の日の晴れ着姿の若い女子で賑わっていた。
重い足をかーたんと引き吊り、若林経由で、4時前にご帰館。
帰宅して、湯に入り、熱燗と蕎麦の夕食を摂る。
蕎麦とは誠に微妙な食べ物だ。茹であがってから食うのに、早すぎてもいけないし、遅くてもいけない。蒸篭に上げて、ちょっと水気が引いたあたりが食いごろだ。ちょうど、猪口二杯ぐらいを、聞こし召した頃合いだ。ここで一気に食わなければならない。もたもたしていると蕎麦が伸びてしまう。
話は飛ぶが『アラビアのロレンス』の文中に、空腹のロレンス一行が羊の丸焼きをアラビアの族長たちと食う場面がある。その中でロレンスは「誰も口をきく者はいなかった。話すということは折角のご馳走に失礼にあたるからだ」と述べている。蕎麦にもこれが当てはまる。蕎麦を食う時は口を利いてはいけない。折角の蕎麦に失礼に当たるからだ。
だからオカブは蕎麦は家で食う時は独りで、蕎麦屋ののれんをくぐる時も独りで訪れることにしている。
今日は疲れた。予定していた、税務関係の仕事は明日に延ばして、寛ぐことにする。
藪入りという言葉のみ覚えたり 素閑