我が家の今晩のおかずはビーフストロガノフ・ハッシュト・ビーフ風である。かーたんが作ってくれた。銭もないのに結構美味そうなものを食っているではないかとは言うなかれ。これも、先に述べた、牛肉の半自由化によりオージービーフが輸入され、100g98円という安い価格で消費者が購入できるようになった恩恵をあずかった次第。オージービーフは貧乏人の味方である。だいたい関東人は昔はあまり牛肉を食うという風習がなかった。我が家では、つい最近まで(かーたんが嫁いでくるまで)すき焼きも豚肉のを食っていた。そのほうが安いし、牛肉よりも豚肉のほうが美味いと思っていた。牛肉といえば、吉野家の牛丼で食うのが関の山であった。しかし国際情勢の変化により、我が家にも輸入物の牛肉が侵食してきた。なにせ、豚肉と同じ値段である。食わない訳にはいかない。オージービーフは貧乏人の味方である。
会社を辞める前はこんな貧乏生活を強いられることになろうとは思ってもみなかった。昔は結構ユーガにやっていた。 しかし、子供のころから大人になったら貧乏になるんだろうなあ、という漠然とした予感はあった。なにかこう、もやもやとした言い表すのが難しい不安のような感覚である。そして大学時代もそれなりに社会に出たら落ちぶれるんだろうなあ、という漠然とした予感があった。なにかこう、もやもやとした言い表すのが難しい不安のような感覚である。それが現実のものとなって、目の前に突き付けられても、大した感慨はない。今、初老と中年との中間のような年齢である。昔でいえば完全な老人の部類に入るだろう。もう、大して長くない先は見えている。なにか諦観ともつかない安閑とした境地に安住している。老後がどうなるかわからない。なんの保障もないぷー太郎のようなものである。しかし、くよくよしたものでもない。ただ、もって生まれた人物から、泰然自若という様態とはずいぶん違ったありようであるのは情けない。仕事のほうも今、新しいことを仕掛けようとしているが、志はあれど道遠しである。実現性からはずいぶん離れた大言壮語を心の中で行っている。どうなることやら??まあ、これも生まれついての地に足のつかない性格と、努力を厭うあまりよろしくない心魂のなせる業であろう。春の宵、でるのは苦いため息ばかりである。
朧月友の栄進醒めた酒 素閑
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