昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

京菜鍋を食う。

2017-02-07 22:10:52 | お惣菜

下北沢に所用で出かけた。
帰りがけにオオゼキで夕飯のおかずの買い物を、かーたんから頼まれた。
予定では、残り物の鶏の胸肉を蒸して、サラダにして食ってしまおうという算段である。
しかし、オオゼキでは京菜が売っていた。
この早春の季節の野菜は、瞬間的にしか店先に並ぶことはなく、買い逃すことが多い。
これは買わずにはおれまい。
さて、夕飯。
オカブ家では、京菜は鍋にしてしか食わない。
かつお出しに塩、味醂、少量の醬油を加えた割り下で、豚肉とともに煮るのである。ただ、それだけの料理である。至って、簡単。
この場合、豚肉は、汁の出汁を取る程度に考えていたほうが良い。主役はあくまで京菜である。
一煮立ちして、京菜がまだ青々として半煮えのところを、貪り食う。
まさに春の生気を食いつくすような、意気込みである。
実に美味い。正月の七草は、なんとなく春の象徴的な姿を追っているように見えるが、この京菜鍋は、まさに春の実体である。
青菜を一人一把も食い果たす。これほどの春の美味求真があろうか?
ふーふー言いながら、かーたんとバリバリ食う。

花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春をみせばや   藤原家隆

この京菜鍋は、もう30年ほども前にサントリーローヤルの広告に「すき焼き」として載っていたものである。
それをオカブ家風にアレンジした。
春はもう来た。

日脚伸ぶ爛れた午後の書斎にて   素閑 


東京医療センターに行ってきた。

2017-02-06 15:57:20 | 健康・病気

かーたんが、大腸癌手術をして1年弱になろうとしている。
先週で続けていた補助療法の抗がん剤治療も終わった。
先の金曜日に、採血とCTスキャンの検査を受け、今日、東京医療センターに結果を聞きに行った。
異常なしとの結果が出た。
ただ、肥満気味で脂肪肝の兆候があるという。
そこで、癌の予後の生活予防の他に、主治医の先生に肥満対策の食餌などについても伺ってきた。
診察の前に、病院の食堂で食事をした。
オカブは盛り蕎麦二枚。
かーたんは日替わり弁当。鶏の照り焼きにトンカツなどが入っている。それに加えて、かーたんはケーキ。
これは肥るはずだ。
かーたんも、今日の診察結果を聞いて、ダイエットを開始する決意ができたようだ。
経過は良好とは言え、まだまだ闘病は続く。

君あれや春の命の芽吹くとき   素閑 


気の重い日曜日/『フォルツァ・ドンナ Forza Donna』 で夕食。

2017-02-05 23:26:04 | グルメ

日曜日である。それだけでも気が重い。しかも役員会がある。憂鬱極まりない。
午前の礼拝が終わり、午後から役員会。
役員会では、牧師から、カルトに対する爆弾発言が出た。
これは強力に押すべきだと思ったが、ある役員が強硬に反対して、採決は流れた。
頭のおかしい役員は、頭の中のお豆腐をまともな脳みそと詰め替えてきて欲しい。
牧師も、重大な結果をもたらす発言をしたといっても、親カルトであることに変わりはない。
キリスト教にのめり込むと世の中の常識というものが通用しなくなるのか???
この問題で役員会が、長引き、終わったのは5時過ぎ。
それから会計作業をして、夕飯は、遅くなったので、外食とする。
いつもの若林の『フォルツァ・ドンナ Forza Donna』
こういうところで、ぱーっと憂さ晴らしをしないとやっていられない。
冷たいビールに美味しい料理。満足満足。
そしてお支払いは、いつものように信じられない低廉なお値段。
マスターのHIROさん。サンキュー!
しかし、カルト問題は尾を引き、まだまだ気の重い日々は続くようだ。 

日脚のぶ雨がきよむる暮時や   素閑 


立春

2017-02-04 22:46:22 | グルメ

立春である。
この前、正月を祝ったとばかり思っていた。
月日の経つのは光よりも早い。特にオカブのような老人にとっては・・・・
春が立ったといっても、まだ暦の上である。
寒さが和らいだということはない。しかし、日に日に日の長さが伸び、春の訪れが近いことを知らせる。
ところで、1月21日のエントリーで『トランプ大統領の就任と安倍政権・体制側からの反定立』というタイトルでエントリーを書いた。
自分では、『人権』『平等』『寛容』など高邁で普遍的なテーゼが、大衆に欺瞞と見破られトランプ現象に繋がったという分析は結構、独創的だと自負していた。
ところが、こうした言説は、すでに多くの識者や、ネットユーザの間では常識になっており、「ポリコレ」というキーワードでネット世論の主流になっていることを知った。所詮、オカブの知力もこんなものかと多少落胆した。人間、大概、考えるところは同じようなものである。
ブログで偉そうなことを説くには、もっと勉強しなくてはならないと痛感した次第である。
今日の晩御飯は、かーたんが作ってくれた。
鶏胸肉のブレゼにサーモンのポワレ、野菜添えである。
美味かった。
明日は日曜。一週間で一番、緊張する日である。早く寝なければ・・・・一日も早く、こうした教会の異常事態を脱したいものである。

春立ちて幾歳齢重ねける   素閑 


節分・恵方巻を食う

2017-02-03 22:31:30 | グルメ

節分である。
日が暮れて、かーたんが豆まきをしている音を、うつらうつら仕事をしながら聞いていた。
節分となると、名物かなんか知らんが、恵方巻である。
こんなものを食う習慣は、十数年前には少なくとも東京地方ではなかった。
一説には、セブンイレブンが戦略的に、この風習を広めたという。
また、恵方巻の起源は、吉原の遊郭の卑猥な遊びから発しているともいう。
だから、最近では、恵方巻を食う習慣に異を唱える「アンチ」の数も増えてきているそうだ。
しかし、まぁ、硬いことは言わなくていい。家は所詮、ミーハーだ。
かーたんが西友で「海鮮恵方巻」というのを買ってきた。
今年の恵方は北北西だそうである。
そっちを向いてがぶりと食った。
恵方巻を食っている間は、一言も口をきいてはいけないそうな。口をきくと福が逃げるという。
まぁ、そんな、こんなで、季節の行事をこなしていくうちに、春が訪れる。

節分の鬼になりたる日は遠し   素閑 


蕎麦の夕餉

2017-02-01 20:15:16 | グルメ

年度末が近づくにつれ、いろいろと煩雑なやるべきことが増えてくる。
しかし、今のところ、まだ余裕。
3月まで、時間が残されている。
そんな訳で、今晩の、夕ご飯はオカブの担当。
面倒くさいので、蕎麦を茹でて食うことにする。
蕎麦に添える天麩羅は、かーたんがサミットで買ってきてくれた。
お銚子もレンジでチンしてお燗にした。
かーたんと蕎麦の膳につく。
しかし、これも繰り返し言うが、蕎麦と天麩羅を一緒に食うのは、オカブは非常に相性が悪いと思っている。かけ蕎麦に天麩羅だと、折角、からっっと揚がった天麩羅がぐしゃぐしゃになってしまうし、いわゆる『天ざる』と称する食い方では、天麩羅のもそもそ感が、蕎麦を粋につるっとたぐる醍醐味を台無しにしてしまう。
やはり、江戸っ子としては、蕎麦は、ただの盛り蕎麦が良い。
そうは言いながらも、天麩羅を食いながら、蕎麦を食った。
なんとも複雑な心境であった。

燗酒と天麩羅蕎麦で夕餉かな   素閑