寛弘四(1007)年
道長を狙う伊周。
宿につき、食欲のない道長を心配する頼通。
「父上を背負っていく。」という頼通。
頼もしい息子をもちましたね、頼通。
俊賢は、頼通を褒めると同時に甥の頼宗の聡明さも強調。
道長は、「地位が高くなることだけが、人の幸せではない。」とキッパリ。
明子の生んだ子たち、表舞台に立つことはなかったような。
帝は、まひろのところへ行き、源氏物語について尋ねています。
また、左大臣の想いについても。
まひろは、親心故の行為だと言います。
道長にとって、彰子の懐妊こそ、自分の出世の道につながると思ったからでしょうか。ドラマでは、彰子の幸せを願ってみたいになってますが。
御嶽詣の様子が描かれます。
綱を頼りに崖を上がっていきます。大変そう。
だからこそ、御利益があるのかもしれません。
京をたって、9日目、山上にたどりつきます。
道長は、自ら書き写した経典を捧げます。
京へ戻るとき、伊周が、道長を射止めるように指示。
どうなるのかとヒヤヒヤしましたが、道長一行を助けたのは、隆家でした。
兄弟といえども、考え方がまるで違うのでしょう。
隆家としては、伊周を守るためだったようです。
無事に京へ戻る道長一行。
道長は、まひろのところへ。
源氏物語の進行状況をみるため?
まひろは、「我が身に起きたことは、すべて物語のようにございます。」
道長は、物語上、不義密通で生まれた子について、追求しますが。
賢子が、自分の子供だとは気づかないようです。
この年の10月、あかねの想い人、敦道親王が亡くなります。
「まるで私がお命を奪っているみたい。」と嘆くあかね。
まひろは、「亡き親王様との日々をお書きになったら良いでしょう。」
文学が生まれる理由に、愛しい人を失ったときと言うのもあるでしょう。
中宮が、まひろのところへ。
中宮は、「光る君に引き取られる姫は、私のようだ。この娘は、このあとどうなるのだ。」とまひろに問います。
「光る君の妻になるのがよい。」と、中宮は、まひろに訴えます。
まひろは、中宮に、「帝にまことの妻になりたいとおっしゃったら、良いのではないでしょうか。」
帝がやって来て。
中宮は、帝に、「お慕いしております。」と涙ながらに言いました。
史実としては、あり得ないかなと思うのですが、ドラマとしては、感動的なシーンでした。あの自己主張をしなかった彰子が、初めて、本音を帝に伝えることができたからです。
帝が藤壺へ。
彰子は二十歳になっていました。
帝とまことの夫婦になることができました。
本当に良かったです。
一条天皇としても、定子のことを長い間忘れることができなかったでしょうし、幼かった彰子を置き去りにしてしまったのも無理はありません。
一条天皇と彰子が結ばれたことは、歴史上、重要案件となりますね。
安堵したのは、紛れもなく道長。
まひろのアドバイスが効いたのかも。
それとも、道長の御嶽詣の御利益かも。
歴史が大きく動き出す兆しとなりました。
このドラマを観ていて思うのは、一条天皇を演じる塩野瑛久さんのかっこよさです。帝役が、これほど似合う人をみたことがありません。初見ですが、今後の活躍も楽しみな俳優さんです。
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