「三島屋変調百物語九之続 青瓜不動」 宮部みゆき 角川書店
第一話 青瓜不動
昔、三島屋と係りがあった行然坊が訪ねて来て、黒白の間の語り手を紹介して行く。
いつ来るか分からなかった語り手は、おちかの出産が近くなると、背中に「うりんぼう様」という不動明王を背負ってやって来る。
顔がなく縦縞の線が入っている所から「うりんぼう様」。
「うりんぼう様」はおちかの出産に力を貸してくれると言う。
第二話 だんだん人形
味噌と味噌漬けが売り物の店、丸升屋には、家を守ってくれるだんだん人形と言う土人形があった。
それは丸升屋を起こした初代門左衛門の時の話。
一文と名乗っていた16歳の時、番頭の勇次と共に訪れた三倉味噌の三倉村で、大事件が発生。
それの窮地を救った1人が一文で、そのことがきっかけで手にした物だった。
第三話 自在の筆
骨董屋・古田庵に絵師・栄松が預けた筆の秘密は。
絵を志す事を諦めた富次郎は、気になって仕方なかった。
第四話 針雨の里
捨て子が貰われて行く狭間村。
そこは、御劔山の麓で、そこだけに居る貴重なヤマワタリの羽毛と卵の殻を取って生活していた。
羽毛は火に強く、殻は生薬の材料となった。
羽毛と卵の殻を、高い木の上の巣から取る作業は2人一組で行う。
ただ、子どもは17歳、どんなに遅くても二十歳になるまでには村を出る。
身体が大きくなるとその作業が出来なくなるから。
「だんだん人形」は悲惨な物語だが、それでも他の物語と同じ、人の良い想いが形になったもの。
人の想いが強く、形になると言えば、怨念や呪いの方が頭に浮かぶ。
しかし、想いと言う物はそういうものではないと示してくれている。
特に、「だんだん人形」はその悪と善の対比が大きい為かその感じが強い。
最後のまとめで、出て来る言葉が印象的深い。
『悪がどれほど幅をきかそうとも、善は滅びない』
『無念が怨念になってはいけない』
『復讐や怨念による祟りではないお返し』
そして1番心に響いたのが、
『迂闊なことをして恨みを買うな。自分の命も、他人様の命も軽んじるな。
受けた恩は忘れるな。直に恩人に返せなくても、世の中に返せばいい』
「針雨の里」もおとぎ話のように、そんな村もあるかも知れない。
ただその村が、そんな貴重な仕事を持っているのがちょっと不思議。
そんな貴重なものなら、他の人がもっと入り込みそうだ。
ひっそり交流なく過ごしている方がしっくり来るような気がする。
「自在の筆」だけは悪霊そのものが悪さをする話。
これは、その物語よりも、富次郎が絵を描きたいという思いを書くための物語のようだ。
今まで、絵心がある富次郎、と言う感じにしかとらえていなかった。
そんなにも絵を描くことに対して強い気持ちを持っていた事に始めて気が付いた。
この時代も、そんなに簡単に絵描きになりたい、なんて言えなかったのだろう。
でも、その気なら、そう言う所に弟子入りすればいいのでは、次男なのだし。
これからそんな方法に行くのだろうか。
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