散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

中世を歩く I

2005-08-09 00:53:32 | 移動記録
ひどい雨なら延期にしようと半分あきらめていた。朝起きると、うっすら空は明るく悪くない予感がする。“週末は雨”と天気予報で散々脅かされていたので、少々得をした気分で出発した。行く先はベルギーのゲント。

ゲントは中世の町並みを今だ髣髴とさせる古都である。街の中心部に足を踏み入れると、何故、石畳の道を馬の蹄がリズミカルに行き交ったり、裾の長いドレスの婦人が見えないかと思うほどに中世そのままのたたずまいなのだ。
まず石橋を渡る。
橋下の川岸にはギルドハウスが並んでいる。。。  
神聖ローマ皇帝カール5世の生誕の地であり、16世紀には輝かしい街であった事だろう事が難なく想像できる。繊維産業で栄えた街は当時パリと同じ位の人口を持っていたというからなかなかなものだ。
聖ミカエル教会の脇から橋を渡ると聖ニコラウス教会、鐘楼、聖バーフ大聖堂が一望出来る。

今回のゲント訪問目的は聖バーフ大聖堂内にあるファン・エイク兄弟の祭壇画を見ることであるから、まず脇目を振らずに何はともあれ大聖堂に入る。素晴らしい聖堂内にまず一目投げかけてから、“神秘の子羊”の展示室に入った。
現在は開いたままの状態でガラスケースに収められているが、それでもこの祭壇画が放つ魅力は軽減される事無く素晴らしい。
画集で見る事が出来ない細部を一つ一つ確認するように眺めてゆく。解説を聞けば、絵の中の小道具のシンボル性、描かれた場面が表す意味は奥深く、そしてヤン・ファン・エイクの編み出した絵画技法を眺めてつくづく感嘆した。当時祭壇画設置位置の右に窓があったので、右光線の採光に決めたのだろうという説もあるほどに光にこだわる画家だったらしい。またアダムのつま先が絵の枠からはみ出ていたり、受胎告知場面においては絵を分ける枠組み額の影までもが描かれており、視覚的臨場感を与えている。

祈祷書を読みふける、深い紺色の衣を纏った聖母マリアの表情は平安そのものであり、頭上に頂く冠には薔薇、ユリ、苧環、すずらんがあしらわれている。ユリは処女性、清純を薔薇は愛、痛み、清純を、苧環は謙遜、すずらんは処女マリアを表わしている。その冠の上には12の星が描かれ黙示録の12章を暗示させる。
-又。強大なしるしが天に現れた。一人の女が太陽を着て、月を足の下に踏み頭には12の星の冠をかぶっていた。-黙示録、12章1節
洗礼者ヨハネはらくだの衣の上に紺色と明緑色半々のマントを纏い、膝上に旧約聖書イザヤ書が開かれているのが読み取れるそうだ。そこには“慰めよ”と読めるそうだから、 40章の-“慰めよ、慰めよ、私の民を。”とあなた方の神は仰せられる。- であろうか。ヨハネは人差し指を救世主に向けている。中央の“父なる神”は宝石のちりばめられた真紅の衣を纏い贅をつくした大僧正の冠を頂いている。しかし背後の錦の模様に胸を裂いて子に我が血を与えるペリカンが描かれていること、葡萄の木が描かれていること、ペリカンの上にイエス キリストの名が記されている事から、この画像はイエス キリストを示しているという解釈もあるようだ。それはヨハネが中央像に向って指差している事からもその印象を強くしている。父なる神に向って指差す事は無い筈だという説だ。もちろん真偽はわからないが、憶測をめぐらすのも一興だ。
神秘の子羊が描かれる下段中央の草原には少なくとも42種類の植物が数えられるという事だが、ガラスを隔ててそれを確認する術は残念ながら無かった。
しかし大聖堂で買った解説書の部分写真を見ると、確かに様々な植物が丹念に描かれている。スミレ、苧環、タンポポ、タンポポの綿毛、すずらん、雛菊、アマドコロ、ざくろ、薔薇、ユリ、アイリスなど私が確認できるだけでもまだいま少しある。
出来れば祭壇画に近寄って大きなルーペでなめるようにつぶさに点検できたら面白い事だろう。
兎に角隅々まで綿密な構想で描かれたこの祭壇画の全てを知ることは出来ないが、実際鑑賞すると、これだけの多くの関心が湧く意味がおのずと理解できるというものだ。 
いつまでも眺めていたい気持ちはあっても、残念ながら一人占めで見るわけにはゆかず、また足も疲れてきたので満足感を両腕にたっぷり抱えて、祭壇画に別れを告げた。過去記事に書いた経緯でこの祭壇画を注目するに至ったのだが、この素晴らしい祭壇画に出会う事が出来て幸せに思う。
ルーベンスなどもさりげなく掛かっている聖バーフ大聖堂自身、もちろんの事一見の価値を十分持っている。
ロマネスク様式が残る地下聖堂もなかなか良い。 そこには現在修復中の美術館の所蔵品一部が展示されていて、ヒエロニムス・ボッシュの小品が何点か展示されていた。ボッシュの生誕地も確かゲントからそれほど遠くないが、その話は又別の機会に残しておこう。
もう一度地上階に上がり、並ぶステンドグラスをしみじみ眺めたり  ゴシック様式の荘厳な効果に改めて感心してみたりひとしきり楽しんで大聖堂を後にした。
(続く)

昼下がりの警告

2005-08-05 00:13:32 | 思考錯誤
昼下がりの"魔の刻”に差し掛かると脳内活動が極度に低下して、睡眠中と変わらない状態になる事がある。目の前に確認できる映像(物体)は眼鏡をかけているのにぼんやり滲んで濡れた最中の皮みたいにもやもやにみえるし、動作は"ミツユビナマケモノ”が川を泳いでいる時とそっくりだ。
ラジオからやけに間延びした曲がきこえてくる、人の話し声が。。 Ig・ ha・ ge・ga・ gu ・ge, u・i ・be・ ho ・fu ・ma ・shi。。。(これでもドイツ語) ”音”としてしかキャッチできない。頭が机の上でぐらぐら踊る。前方22時、2時、3時、9時、後方6時、5時、8時。。。。。

アウトバーンに芝生が落ちています。

芝生の鮮やかな緑が目に染みて、ちょっと目覚める。”芝生。。。”

ラジオの交通情報を聞いていると、色々な警告があって面白いのだ。

例えば”現在アウトバーンA44、○×行き××交差点付近で△▽が路面に落ちていますから運転者は気をつけてください。”と言う具合だ。
アウトバーンは車だけが走っていると思ったら大間違いで、色々な〈物)や〈者)が落ちていたり歩いていたりする。

【芝生】。。。が落ちている。芝生一巻がころりと荷台から落としたのか、四角い切れ端が落ちているのかわからない。高速道路に緑の芝生。ちょっと斬新。

【マットレス】。。。が落ちている。引越し荷物の移動中、山積み荷物の紐が緩んで天辺に乗せたマットレスがグイッと風に煽られている絵が目に浮かぶ。たまにトルコ人らしき人達が、休暇には家財道具一式と言う感じの大荷物を乗用車にぎゅうぎゅうに詰め、外側にも括りつけて帰省する人がいるのを見かける。引越しなのか、国の家族へのプレゼントだかわからない。

【絨毯】。。。が落ちている。これも【マットレス】の場合と同じにおいがする。空飛ぶ絨毯だったなら絶対拾いに行く。

【ソファー】。。。が落ちている。引越し移動中だったのか?
道の真ん中にソファーがでんと座っているのは、ちょっと面白い光景だけれど、実際にはとても困る。
ドイツの写真家で色んな場所に赤いソファーを引きずって行き著名人を座らせて写真を撮る人がいるが、流石にその写真家も車行き交うアウトバーンでの撮影はまだ行っていない。

【犬と子供】。。。が歩いている。いったいどうしてそんなところを歩いているのか?長旅道中の休息後、子供と犬を忘れて出発してしまった親はいませんか?車道の端を歩いているのだろうけど、高速で走る車の脇を歩くのは怖いとおもう。

【鹿】。。。が歩いている。優雅にゆったりと?それとも早足で?一頭?それとも群れで?

【牛】。。。が歩いている。道際の牧場から出てきてしまったのだろう。冒険好きな奴だね。

【鴨の親子】。。。が歩いている。こがも引きつれ池探し。

【アヒル】。。。が歩いている。

【羊】。。。が横断している。(だんだん単調になってきた)

【自転車】。。。に乗った人が走っている。。。。時速何キロで?迷い込んだのか、わざとアウトバーンを走っているのか? 

。。。。。。。。

【UFO】。。。が着陸する。(もう、睡魔とこれ以上闘い続ける事は出来ない)

【ギルドの大工】。。。が粋な姿で歩いている。。。。。ドイツではいまだに渡り歩いて修業する大工がいる。彼らは昔ながらのフェルトのつば広帽に黒いチョッキとすそが少し広がったズボンをはいていて、荷物は殆ど持たない。

【シルクハット被った黒い服の煙突掃除人】。。。が歩いている。。。。この人たちを見つけたら、近くに寄って行って触るといい。幸運にあやかる事が出来るかもしれない。

【ルードウィッヒ14世】。。。が白鳥にのって飛んでいる。。。。

【バッハ】。。。が鬘姿で歩いている。。。。

【ゴジラ】。。。が火を吹く。。。。

【ダースベーダー】が。。



Zzzzzzzzzz ZZz Zzzz

謎の祭壇画

2005-08-03 12:09:04 | 美術関係
「ゲントの祭壇画」と言えば、知る人は直ちに聖バーフ大聖堂にあるファン・エイク兄弟の祭壇画を指す。油絵技法の大成者でもあるファン・エイク兄弟の、1432年に完成されたこの有名な祭壇画は15世紀フランドル派絵画全盛の頂点と言える傑作だ。
閉じられた祭壇画の上段は預言者ザカリア、ミシャ、巫女達が描かれ、中段は受胎告知の場面である。マリアの表情と仕草がとても良い。
(彼女の表情は、何で私が?と思っているかのように私には見えるけれど、まあ、そんなわけは無い)
背景に描かれているのはゲントの町並みだろうか?

下段にはこの祭壇画の寄贈者である豪商の夫婦に挟まれた洗礼者ヨハネと福音者ヨハネが描かれている。
そして 祭壇を開くと上段の中央に聖父、そしてその左右に聖母マリアと洗礼者ヨハネが控えており、更にその脇には、歌い奏でる天使達、アダムとイヴがあしらわれている。 下段は左に”正義の裁き人”右に”顕職者、巡礼者たち”そして中央はかの有名な"神秘の聖なる子羊”が神々しく据えられている。胸から流れる血を受けている金の杯は”聖杯”に違いない。

”その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語農地から、誰にも数え切れぬほどの大勢の群衆が、白い衣を着、棕櫚の枝を持って、御座と子羊の間に立っていた。
「救いは、御座にある私達の神にあり、子羊にある。」 御使いたちは皆、御座と長老達と四つの生き物との周りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し。神を拝して言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私達の神にあるように。アーメン」 - 黙示録7章9-12より



中央に配された命の水の泉と神秘の子羊の回りには、様々な人々ばかりか、色々な異国情緒のあふれる植物があしらわれていて、これらの植物=薬草、香草もシンボル性を持っているそうだ。つぶさに眺めると実にたくさんの植物が見えてくるので楽しくなる。(この祭壇画に描かれたシンボルとしての植物についての文献を見つけたので、早速本屋に飛んでいって注文しようとしたが、残念ながら絶版になっており、2年ほどしたら再版される可能性があるから、その頃又捜せと言う。気の長い話になってしまった。)
手前の人々の様子を眺めると画面左手に固まっている顕職者達が、どういうわけだか命の水の泉や子羊に背を向けている。何か意味がありそうではないか?
兎に角この祭壇画にシンボルとして隠された多くの謎が今だ解き明かされていない。

1934年4月11日未明。”正義の裁き人”部分が盗まれるという事件が起こった。容疑者と思われる男が息を引き取る寸前に隠し場所を知っていると告白したが、この大きな絵を壊す事無く盗み出すには計画的な犯行だったとしか考えられない。いずれにせよ盗まれた部分は見つからぬままに今に至っているといういわく付である。現在はその部分は模写である。

この祭壇画の受難はそれだけではない。この絵の中に聖杯発見への鍵を見つけようとしたナチの特別部門-Ahnenerbe(血統遺産というような意味)はベルギー攻略後、絵を押収すべく直ちにゲントへ向ったが、既にそれはヴァチカンへ向けて運搬中であった。しかし途中困難に出会いフランス南西、アンリ4世の城に隠される事になる。その後フランス人捕虜7000人と交換せよと要求を通し、一時ナチの手に渡り、オーストリアの岩塩抗に保管されていたという話だ。
今になって聞けばなんとも映画の筋書きのようで心くすぐるエピソードの一つだ。冒険の匂いがする。

1990年には占い棒(二股の棒)を使っての捜査までもが行われ、某橋を一部外し、戦争記念碑を壊し、当時の警察署長がじきじきに教会のパイプオルガン下の床を捜索したとか、涙ぐましい努力は行われたのだという話もある。ユネスコ世界遺産指定のゲントの鐘楼に隠されているかもしれないとも言われていた。

ファン・エイク兄弟のこの祭壇画に何故俄然興味を持ち始めたかといえば、ことの始まりは隣町に住む小説家の作品を数日前から読み始めたのがきっかけだった。
彼の作品の今回のテーマはこのゲントの祭壇画にまつわる話なのだ。読んでいるうちに色々知りたくなって調べると、謎の泉のような絵なのだという事がわかってきたので、もう気が気ではない。読みかけの小説をほったらかして、あれこれ調べまくったという顛末。
私の手元にある本をめくるだけでもなかなか心楽しくなる素晴らしい祭壇画だが、近いうちにまた拝観して来ようと思っている。
兎に角謎という言葉が垣間見えれば私の心は早くも躍るというわけだ。

それまでに、とりあえず読みかけた小説を読み終わっておきたいものだけど、なかなか進まない。

Heinz Schmitz著 :Die falsche Hand

忘れ草

2005-08-01 16:22:26 | 植物、平行植物
雨曇りの早朝。薄墨色の雲が空気に反映している。 レモン色の少し反り返った花びらは濃緑を背景にそれ自体が光源を秘めているように輝き浮きあがる。夕暮れに開花し朝露を受けて輝く花は、夕刻には身を捩じらせて凋んでしまう短命な花だが、優しい香を放ちながら見る者の心を和ませる。
我が家に咲くのはHemerocallis citrina ユリ科のワスレグサ属 ユウスゲ。
ユウスゲの仲間にニッコウキスゲやカンゾウなどがある。カンゾウを忘れ草、ニッコウキスゲを禅庭花というらしいが、キスゲもカンゾウも近縁なので区別がつきにくいので混同してしまうようだ。またキスゲの花が首を傾けて咲くのに対し、カンゾウの花は天を向いて咲くと言う風にも聞いた事があるが、詳しい事はわからない。

昔の事。
祖父が日光からの出張土産に高山植物の押し花帳と高原に咲く花の写真カードつづりを買って来た事があった。今思えば祖父は自分で楽しむために買ってきたのだろう。欲しいとねだると実にしぶしぶと私にそれらを託した。それぞれの写真の裏には短歌や詩が添えられていて、中でもニッコウキスゲ(禅庭花)が一面に咲く写真は美しく,それは子供心に印象深く残った。カードの裏には”ニッコウキスゲの花咲く湿地帯 草鞋踏みしめ踏みしめとおる”と印刷されていたのをいまだに覚えているので面白い。他に何枚も写真はあったはずだが何故かその一枚の写真とその詩だけが記憶に残った。
又その頃、埃っぽい田舎道でノカンゾウ(忘れ草)の花がポツリと咲いていて何故だか凛々しく感じたのも覚えている。背が低くコンパクトに咲いていて、派手なオレンジ色の花なのに地味な印象の植物だとも思った。春先、十二単のように根元が重なったカンゾウの葉を切って”カンゾウ雛”を作るというのを誰に教わったものだか記憶が薄いが、根元からすっぱり潔く切ってしまうので、後で花は咲かないのではないだろうかと心配した記憶もある。

"忘れ草 我が紐につく 香具山の 故りにし里を忘れむがため” 大伴旅人

ワスレグサの名は中国においてこの花を見ると憂いを忘れるとか、この花を食べると憂いを忘れるとかの故事から来ているらしい。
金針花とも呼ばれて蕾を乾燥させたのもを料理する。ビタミン、鉄分が豊富で、歯ごたえがあり美味しい。
過去記事にその木の下で休むと記憶をなくすといわれる、魅惑的芳香のあるブルグマンシアの花に触れたが、いづれの花もその美しさや、えもいわれぬ香が私達を解放し、しばし夢の中へといざなう。