海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

路地裏上海 五原路

2012-05-21 | 遠い記憶-上海 オールドレンズ

 

久しぶりに五原路を散策。2003年頃から再開発が始まり夜中に解体現場を撮影した場所を見に行ったのだが、以外に今も解体が進んでいない。ただ、高い塀に囲まれていて中には入れなかった。この近くに、中国人の有名女性作家の自宅があった場所で、当時何度か自宅で撮影させてもらった事がある場所だが、すでに遠い記憶になっている。

Canon FD50mm f1.4

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路地裏上海 夏の風物詩

2012-05-20 | 遠い記憶-上海 オールドレンズ

 

毎年5月頃になると、籐の家具をたくさん積み上げたリヤカーをよく見かける。この状態で街中売り歩くのだが、買う方は選ぶのが大変だし売る方も取り出すのが大変だ。前世紀の上海は、歌を歌うような良い声で売り子が路地裏を練り歩いていたが、都市化と共に最近はまったく聞かなくなってしまった。その音は、私の写真集の中に付録CDとして残っている。

CanonFD50mm f1.4 

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古いレンズの話

2012-05-19 | 遠い記憶-上海 オールドレンズ

 

前世紀の話だが、港区の高輪に「Mac CAMERA」があった時代の話。平日の昼間にMacに行くと、時間を持て余したカメラ好きのオヤジのたまり場だった。医者や大学教授や写真家など、そこそこ自由な時間と金が使える人達が多く、何となく顔見知という関係だった。ある医者は往診の帰りに必ず立ち寄りライカの掘り出し物を見つけると、その場で鼻血が出るという特異体質の人も客だった。店側も心得ていて掘り出し物がある日に彼が来ると鼻血が出る場所がわかっているので、Macの佐藤さんはテッシュの箱を持ち後ろから付いて回っていた。

オヤジ達が古いレンズを見る時の仕草は決まっている、まず眼鏡を額に上げるか外す事から始まる(近視の場合)。次にレンズのリアキャップを外し井戸の底を見るように覗き込む。そして、額にシワをよせレンズを持った手でレンズの角度を変え舐め回すように見入る。次は、レンズを天井に向け室内の光にかざし先ほどと同じようにレンズを覗き込むのだ。そして、最後にヘリコイドと絞りリングを回転させ品定めを終えるのだ。この時の表情は、女が宝石を見る雰囲気とよく似ている。その後、店の人とカメラやレンズ談義が始まるのだ。当時もそうだが、そのレンズの最高峰は、今も初期のホロゴンだろう。あのビー玉のようなレンズは、ほとんど宝石に近い。

トップの写真を見て、古いレンズをピン外しで撮影しているとわかる人は、間違いなく銀塩時代からカメラに詳しい人と思ってよい。

 

 

上のレンズは、Meyer Trioplan 100mm f2.8だ。とても上品で軟らかい描写をするレンズで、このブルーとバイオレットの中間のようなコーティングを見ているとレンズの中に引き込まれそうになる。開放付近の滲むような描写は大好きだ。

これらを撮影したレンズは、フォクトレンダーのノクトンクラシック40mmf1.4のモノコート。今世紀に入って設計されたこのレンズも素晴らしい。

 RICOH GXR A12MOUNT    Nokton classic40mm f1.4  M用接写リング使用


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路地裏上海 家の入口

2012-05-18 | 遠い記憶-上海 オールドレンズ

 

久しぶりに発見した古い郵便受け。疎開時代に建てられた古い家の入口には多くの郵便受けがドアに付けてある。つまり、このドアの奥には郵便受け分の家庭があると言う事だ。何回か中に入れてもらった事があるが、各家庭の部屋はかなり狭い場合が多い。万博前までは、このような郵便受けをたくさん見て来たが、最近では珍しくなってきた。

郵便受けではないが、こちらでも牛乳配達のポストは存在する。私が住んでいる古いアパートでも1件専用ポストがあるので、朝5時頃に瓶の音が擦れ合う音が聞こえてくる。大昔、新聞配達のバイトをしていた頃の夏、一度だけ牛乳を失敬し飲んだ牛乳の味は今でも覚えている。

Canon 5DMark  Canon FD50mm f1.4

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日本から来ている呆れる若造

2012-05-17 | 遠い記憶-日本-オールドレンズ

写真と以下の話は全く関係ない。

一昨日の午後、レンタルスタジオ経営(日系)をこちらで始めた会社の人(開業して数ヶ月)が会いたいというので、相手が指定した時間に待っていたのだが一時間遅れで到着。聞けば自分から14時と指定しておいて、15時だと勘違いしていたそうだ。14:20頃に事故にでも巻き込まれたのかと心配になりこちらから相手の携帯に電話してもパワーオフというアナウンスのみ。後で聞くと、もらったメールの署名欄に書かれた携帯の番号が違っていた。時間も2と3を間違え、携帯の番号も2と3を間違えていた。しかも聞きたい事が要領を得ず、世間知らずなので当然この国の業界の事なんてまったく知らない。自分が関わっている仕事に対して相手の会話をすぐメモするような奴は仕事が出来ない奴だ。会話にならないのと、あまりにも腹が立ったので10分ほどで帰ってもらった。その後、私は次の約束の場所に直行したが、今度は私が遅れてしまった。まったく使えないという奴に、久しぶりに遭遇した。昨日書いた携帯も日本の若者も使えないのばかりで、日本の未来はそうとう暗い。

☆イケメンは仕事が出来ない奴が多いとずっと思っていたが、今回も確信し新しいデータを自分の中に蓄積。彼は、今で言う「塩谷風」だったかな。

最低限の確認が自分で出来ないお子様とは関わりたくない。こういう人を現地のマネージャーとして送り込む会社は先が見えている。

CanonFD50mm f1.4 京都で撮影

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