海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

大島渚監督が他界

2013-01-16 | 写真日記

 

昨日は、一杯飲んで家に帰ってネットを見ると、大島渚死去のニュース。私のデスクの横には、もう一度見たいのだが、その映画を見るタイミングがつかめなく、昨年からずっといつも視界に入っている場所に置いてあるDVDがある。その映画は、大島監督1968年公開の「絞首刑」。この映画、一度見ているのだが、昨年上海で再び発見したので、再び買っていたDVDだ。是非お勧めしたい映画だが、見るのには覚悟が必要だ。大島渚監督の映画の遺作は「御法度」だが、昨年栗田ひろみ主演の「夏の妹」を上海のDVD屋で昨年発見し見たのが最後。

一本筋の通った岡山県生まれの人が、また一人亡くなった。今夜は、酒を飲みながら一人で手を合わせ、後日彼の過去の作品を年代順にもう一度見たい。

上海で活躍していたフィリピン出身のジャズ系歌手が他界。彼女を最初に撮ったのが2005年。最後に彼女の歌を「音」で聴いたのが昨年。まだ若過ぎる。

 

 

 

 

 

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新しいストロボと大型LED

2013-01-14 | 遠い記憶-上海 オールドレンズ

 

今、新しい小型ストロボと大型LEDをテスト中。ストロボの出来は、80点くらい。ヨーロッパのカメラマンの要望を元に、中国のメーカーが作ったストロボ。パワーは、180wありCanonなどのストロボより光量は多い。外部リチウムイオン電池付きで販売するそうだ。傘取付け金具も最初から設計されていて、とてもよく考えられている。アクセサリーの出来は、アンブレラとソフトボックスを除いてそこそこ良く出来ているが、肝心のアンブレラの出来が最悪。数日後、ボスが広州から来るのでアドバイス予定。

大型LED部門に、新たに2社が参入。LED発光部の性能も徐々にアップし、最近のLEDの色傾向はG浮きが少なくなる傾向にある。そして、光量も信じられないくらい大幅アップ。この2社の社長とは何度も会っているし信用出来るので、即発注。

今後の撮影照明機材の傾向として、ストロボの小光量化と充電式外付けバッテリーが主流で、当然有線のシンクロコードは無くなりはしないが、ラジオスレーブがスタンダードとなる。そして、LEDライトが現場で主流になる事は間違いない。ところが、やっぱりというか日本はLEDライトに対しての反応が欧米に比べかなり鈍感なようだ。そして、使い方を知らないプロもかなり多い。

今年は、色良が良くて値段も安い軽量な大型LEDライトがかなり出回ると予想する。

 

☆場所は忘れたが、2003年の夜撮影。この頃は、ハッセルブラッドを使い夜を徘徊していた時だ。

Hasselblad 553ELX Distagon 60mm f3.5

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今こちらの新聞が熱い

2013-01-10 | 遠い記憶-上海 オールドレンズ

 

日本でもニュースになっているようなので知っている人も多いので詳しく書かないが、今こちらの新聞が熱い。以前、ニューヨーク・タイムズから中国で最も影響力を持つ自由主義の新聞と評価された週刊紙で、当局からずっと目を付けられ何度も編集長が更迭された有名な新聞。それを追うように、北京の新聞も。書く自由がない国の新聞社と、書ける自由がありながら書かない日本の新聞社とは大違い。

中国は、世界的な大イベントも終了し、日中韓のボスも変わり、東アジアがゆっくりと変わろうとしている。当然良い方向に向う事を望んでいるのだが、中国はじわりじわりと内側から綻んできているようだ。上海の親しい中国人と飲んでいて酔いがまわってくると最後は必ず政治の話になるので、かなり不満を持っているのがよくわかる。

上海では反日デモくらいしか経験してないが、中国の他の地方では暴動が年間約20万件以上もあり、その予算は国防費を完全に越えているという異常な状態が続いていて、それが年々増えている。それに外を向けば日本との問題やフィリピンとの問題もあり、遠くはアメリカも絡んでいる。また、中国共産党の官僚や党員の違法行為で16万人が処分されたらしいが、その中の95%に愛人がいたという面白いニュースが昨日入ってきた。でも、こんなの氷山の一角に過ぎない。これは、どうも四面楚歌を通り越している状態だ。

中国が拳を上げた時に賛同してくれる国はどのくらいあるのか知らないが、冷静に考えてもおそらく北朝鮮くらいだろうな。今の時代は、ネットで瞬時に情報が拡散してしまう時代なので何も隠せない。近年国を大きく変えたのは、すべてが情報からだ。なので、現代のスマホは権力より強い民衆の武器になるかも知れない。

 

 

写真二枚は、第一回フォト上海で展示不可になった写真。以下私の勝手な推測。トップの写真は手前に見えるリヤカーを押している人達が居なかったら不許可にならなかっただろう。二枚目の写真は、スッキリと青空だったら問題なかったと思う。実はこの時の「フォト上海」は、上海の新聞社が主催なんですよ。

☆赤い文字で、不許可とハンコをもらった訳ではありません。 10点ほど持ち込んだのですが、予備審査でこの2枚だけ選ばれなかったのです。私としては、一番気に入っていた写真なのですけどね。

Canon FD 35mm f2   Canon FD85mm f1.8

 

 

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久しぶりに淮海路のアップルストアへ

2013-01-09 | 遠い記憶-上海 オールドレンズ

 

ipad mini Cellularを使って約一週間が経過したが、使い心地などすべて大満足。新天地付近に打ち合わせに行った帰りに、淮海路のアップルストアに立ち寄り中に入ると恐ろしいくらいの人で溢れていた。一ブランドの製品だけしか売ってないショップに、これだけの人が平日の昼間に集まるのはバーゲンでない限り異常だと思ってよい。二階の売り場に行くと、これまた異常とも言える人の数と話声で熱気に溢れ過ぎ。20歳代から30歳代の人が一番多く50歳代のおっさんやおばはんもチラホラ。平日の昼間にここに来ている人は、どんな仕事をしているのかさっぱり検討がつかない。サードパーティ製のアクセサリーをちらっと見たが、日本より高いし品数も少ないため眺めて帰ろうとした時、中年女の怒号が響き渡る。振り向くと、iphoneを持った50歳代のオバハンが顔を真っ赤にしてガードマン二人に向かって甲高い声で怒鳴り散らしていた。

すらばしい(上海では素晴らしいをこう言う) 新年早々生きた教材にブチ当たる。視覚第一主義でそれを生業とし視覚を通して物事の本質を日々研究している自分としては、その後どういう展開になるのか、商品を見るフリをして遠目でチラチラと眺める事に。この後の展開予想として、A オバハンが、言いたい事だけ言って怒って帰る。B ガードマンに掴み掛かる。C  怒った後、気がすむまでその場で泣き叫ぶ。そして、最後の興味はアメリカ式サービスを叩き込まれた中国人スタッフがどのように対応するかにも注目。

こちらのオバハン族は、自分勝手な人がとてもとてもめちゃくちゃ多く、気にいらない事があるとすぐにヒステリックになり、ひどい場合はハンドバックでブンブン攻撃を仕掛ける人がけっこういるのだ。(こういう場合、ブランド物の本物のバックを持っている人は絶対にやらない、大抵300元くらいのパチブランド品が多い)

ん?どうなったかって?答えは、Cだったのだが、泣き叫ぶのでなくシクシクと泣くが正解でした。泣きながら上海語を喋っていたので何を言っているのか理解不能。アップルのガードマン二人は毅然とした正しい対応、その後泣き出した時は若い女性スタッフが丁重に対応。20歳代の女性スタッフが、50歳代のヒステリックババアをなだめる姿は奇異でもあるが、中国の今の時代を象徴していて微笑ましくも笑えるシーンだ。実に、すらばしい。(くどいようですが…)

何処の店もアップルストアレベルの対応をしてくれれば買い物も楽しくなるのだが、今まで上海で買い物が楽しいと思った事はほとんどない。無愛想に釣り銭を投げて返す中華式サービスが少し減った気がするが、今でも結構多い。上海での買い物は、疲れ果てに行くようなものなのだ。

☆写真は、淮海路のアップルストアの外。

Canon FD50mm f1.4

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新華路の横道から外国弄堂へ

2013-01-08 | 遠い記憶-上海 オールドレンズ

 

私が今住んでいる場所は、新華路。この通りの一画に外国弄堂という地区があり租界時代に高級住宅地として開発され、各国の領事や大使館職員が多く住んでいた場所だ。その名残は今でも残っていて、緑が多くとても品のある通りだ。

 

 

 

元旦の日は少し暖かく気持ちが良かったので、その外国弄堂を散策。入口には、古びた子供の白い像が数体立っていたが、当時の物かどうかはわからない。

 

この付近の古い建物は、1920年代に建てられたものが多く当時のまま残っていて、保存対象の建築物に指定されている物件が10数件あるそうだ。

 

 

同じ外国弄堂の中にある1990年頃に建てられたアパート(当時は高級だった) は見る限り老朽化がひどく、1920年代に建てられた租界時代の建物の方がしっかりと作られているようで、後の20年経ったらこのアパートは無いかもしれない。

中国で現代に建てられた建築は耐用年数が二十数年と言われているが、この租界時代に建てられた建物はすでに90年以上存在しているのだ。

私が今住んでいるアパートも上の画像と同じ時期に建てられていたようだが、メンテナンスという概念が無いのでトラブルだらけ。だけど、こちらでは当たり前の事なので、何処へ行っても同じだと思っている。

Canon FD50mm f1.4

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