2024年も、そろそろお終い

2024年12月30日 | 日記

 2024年も、もうすぐおしまい。
 
 年末年始の休みが好きで、旅行にも行かず、人づきあいも最小限にして、ひたすらでじっとしている。
 
 こたつの中で、のんびりを読んで、映画を観て、語学の勉強をして、飽きたら昼寝
 
 銭湯に行って、コーヒーを飲んで、どうでもいいYouTube動画をボンヤリ見て、あとはの街を徘徊したり。
 
 もともとが夜型なので、ひたすら夜ふかしもできて最高。完全なるダメ人間になれる幸せがあるのだ。
 
 というわけで、ゆですぎた蕎麦みたいになった頭で、テキトーに今年を振り返ります。
 
 こんなもん私のフーリガン以外まったく読む必要はないです。では、ドン。
 



 因数分解アプリの「バトン」にハマった、すっかりスポーツを観なくなった、ネパールに行ってきた、結構まじめに外国語をやっている、歯医者に行ったのにまだ歯が痛いとは何ごとか、モーニングメソッドとかやってみたけど続くわけがない、瞑想ができないタイプなんだよなー、芸能スキャンダルとか聞いてるとそりゃ「日本は性犯罪天国」とか言われるわとトホホな気分に、筋トレを皆にすすめられるけどピクリとも食指は動かない、スマホを意味なくさわったら必ずデュオリンゴをワンレッスンやる習慣はなかなかいい、それでなんとかアラビア文字だけは読めるようになった、ビジネスは本当に苦手、華文ミステリに期待大だ、黒帯会議とかバキ童chとかだいじろーとか井上ジョーとか言語の部屋とか李姉妹とかノージョブフドウとかNAMIとかギガラジオとか、「勝手に変なルールを作って他人に押し付ける」をやめるだけで日本は今より何倍も住みやすくなるはず、すっかり寒さに弱くなった、やっぱり海外は楽しいと再認識、次はスタンのつく国かアラビアのどっかに行きたい、戦争が終わったシリアにもいつかね。
 



 
 
 
 ■今年おもしろかった本・マンガ

 

サンドラ・ヘフェリン『体育会系』

陸秋槎『文学少女対数学少女』

衿沢世衣子『新月を左に旋回』

ダン・アリエリー『ずる』

秋山瑞人『イリヤの空 UFOの夏』

ギャビン・ライアル『深夜プラス1』

橘玲『「読まなくてもいい本」の読書案内』

浅野いにお『デッドデッドデーモンズデデデ
デデストラクション』

ヒラリー・ウォー『失踪当時の服装は』

室橋裕和『バンコクドリーム 「Gダイアリー」編集部青春記』

新田章『あそびあい』

鹿島茂『怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史』

アーロン・エルキンズ『古い骨』

遠藤周作『フランスの大学生』

アイラ・レヴィン『死の接吻』

吉田秋生『海街diary』

 


 □今年おもしろかった映画・ドラマ


『クイーンズ・ギャンビット』

『僕たちは希望という名の列車に乗った』

『星の旅人たち』

『ミッドサマー』

『アクト・オブ・キリング』

『スウィング・キッズ』

『第七の封印』

『SSーGB ナチスが戦争に勝利した世界』

『9人の翻訳家』

『ラファナダル アカデミー』

『独裁者と小さな孫』

『いちご白書』

『リベリオン』

 

 

それでは今年度はこのへんで。

サンキュー、バイバイ!

また来年。

 

 

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あこがれの系譜 植草甚一から池内紀へ

2024年12月27日 | 

 「こういう風に歳をとりたい」

 

 とあこがれる大人というのは、だれしもいると思う。

 海原雄山犬神佐兵衛フィスタンダンティラスエマノンどなど様々だろうが、私の場合それが池内紀先生。

 ドイツ文学者であり、フランツカフカの翻訳や、旅のエッセイなどにも定評がある。

 私も学生時代ドイツ文学を学んでいたので、池内先生の著作には親しんでおり、大いに影響も受けたのである。

 池内先生といえば、そのイメージは「えらぶらない」ことと「自由」であること。

 東大教授という肩書に、著作も山ほど出していると、先生はこれで結構すごい人なのだが、ラジオで話している様子を見ると、まったくそのことを誇示するところがない。

 あつかうものといえば、本に旅に山登り、そして銭湯と少しのお酒

 あとは歴史上の人物について軽妙に語ったり、とにかく大上段に構えるところがない。

 その肩ひじの張らなさが、「大人」という感じがする。

 なんせこっちは、いい歳こいて精神面で大人になり切れない「コドモオトナ」なものだから、こういう落ち着いた雰囲気にあこがれる。

 知的で、物静かで、余裕があって、それでいて行動力好奇心は失わず、色々なところに歩いて行く。

 私が思う「大人」とは、たぶんそういう人なのだろう。

 池内先生はその著作の中で、

 


 「わたしたちの世代は皆一度は、《大きくなったら植草甚一のようになりたい》と願ったはずなのだ」


 

 そう書いておられたが、私はまさに、大きくなったら池内紀のようになりたかった。

 を読んで、書き物をして、コーヒーを飲んで、少し散歩してからお風呂に入り、あとはのんびりお酒

 合間に外国語の勉強もする。若者とゼミで語らう。たまにラジオに出る。休みの日はリュックを背負って海外へ。

 嗚呼、なんてステキな老後の過ごし方。

 私にとって人生で大事なことは、金でも地位でも名誉でもなく「自由」であって、池内先生はその使い方がすこぶる上手い。

 ロシア語通訳米原万理さんに

 


 「えらくないわたしが一番自由」


 

 というタイトルの本があるが、これに共感する人は、ぜひ池内先生の著作も読んでほしい。

 そこには、生き方のエッセンスが詰まっている。

 本と歩きやすいサンダルだけ持って、権力や肩書のような、つまらないしがらみから離れて、どこまでもえらくないまま「大人」になりたい。
 
 

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下町の男子はわかってくれない、あるいは「ダイヤモンドの功罪」

2024年12月24日 | 若気の至り

 前回の続き。

 小4のころ、クリスマス会で披露するという、自作のゲームを見せてくれたクラスメートのサイデラ君に、

 

 「ダメだこりゃ」

 

 ドリフのごときズッコケ感を味わった少年時代の記憶。

 といっても、彼の持ってきたゲームがショボかったからではなく、これがまったくの理由。

 当時10歳の私は、しみじみ思ったものだ。

 いや、たしかにサイデラ君、このゲームはすばらしいものがあるよ。

 でもね、これはワシらにはレベルが高すぎると思うんだよ。

 言うたらなんだが、私らの通っているのは、そこいらにある、ただの小学校。
 
 でもって、そのほとんどが、まあ「一山いくら」な平凡な児童たちなのである。

 ましてや、下町育ちのわれわれは、ふつうよりも、さらに能天気なところすらあるわけなのだ。

 そこに、この高度なルールと思想は通じないよ。
 
 そうアドバイスしたのだが、サイデラ君はキョトンとするだけ。

 

 「なにが、いけないのかなあ?」

 

 どうやら、かしこいだけでなく、人間的にもスレてない彼には、

 

 「見た目の美醜経済力と同様、頭脳においても人間には格差というものが存在する」

 

 という冷徹な事実に、まったく無頓着なのだった。

 「できる」人にありがちな、カン違いとも言えるかもしれない。

 


 「彼女ができない? そんなの、積極的にどんどん声かけていけば、すぐできるじゃん」

 「バッティングのコツ教えてだって? そんなの、来たタマをカーンて打ち返せばいいんだよ」

 「ドイツ語ができないという人の気持ちが、わからない。あんなものはギリシャ語ラテン語ができれば、すぐに使えるようになるというのに」


 

 最後のは森鴎外の、世界中の外国語学習者をイラッとさせる有名なセリフだが(森は始終こんなことばっかり言ってるイヤなヤツです)、とにかく能力値に恵まれた人は、悪意はなくとも、こういうスタンスになりがちだ。

 サイデラ君も、その「当然わかるでしょ」という罠におちいっていた。

 どうにも通じなさそうなところと、なにより、これが「スベる」ことを瞬時に察した私は、なんのかのと理屈をつけて、サイデラ君から距離を置くこととなった。

 果たして、クリスマス会本番

 私の予想はものの見事に当たり、サイデラ君がその叡智をそそぎこんで制作したゲームも、

 

 「ルールがおぼえられへん」

 「自分がかしこいって自慢か。キショいな」

 「てゆうか、キックベースやろうぜ!」


 
 ガサツな下町少年たちの声にかき消されてしまう。

 あからさまに、めんどくさそうなゲームのルールは女子にも敬遠され、サイデラ君は居心地悪そうに苦笑して、だまって壇上から降りて行った。

 かける言葉もない私は、

 

 「まあ、むずかしすぎたかな。ほら、オレらはみんな、キミとくらべて阿呆やから。悪いのはこっちやから、気にせんとってな」

 

 一応、フォローを入れておくとサイデラ君は、

 


 「シャロン君だったら、いいチームが組めると思ったんだけどね」


 

 そう、つぶやくと、

 


 「ボクのやりたかったことは、わかってくれたでしょ?」



 
 わかるよ。

 私も休み時間は友達とグリコやタカオニをしながら、やはり彼と同じく図書館に通う子供でもあった。

 将棋推理小説のような「ゲームのおもしろさ」にも興味はあったから、そこは通じるものはあったのだろう。

 でも、わかったから、はなれちゃったんだよなあ。

 今思うと、彼のような優秀な男子が、私をパートナーに選んでくれたというのは光栄なことである。

 彼の理想も理解できた。その意味では、そのチョイスも間違ってなかったと思う。

 それは私が、彼のように優秀だからというわけではなく、

 

 「自分とちがう人をおもしろがれる」

 

 という好奇心のようなもの搭載されたから。

 そう、私の能力自体はサイデラ君に遠くおよばないけど、それとは別に、

 

 「天才シャーロック・ホームズをリスペクトし、よしんば記録もしてくれる【ジョンワトソン】」

 

 この資質を持っていることなのであろう。

 自分が世の「変わった人」とか「浮いている人」と仲良くなりがちなのは、その雰囲気をむこうが感じ取ってくる(あっちはあっちで、そういう「受け入れてくれる人」を熱望しているから)からではあるまいか。

 だから私はよくある

 

 「自分はふつうとは違う

 「よく周囲から変わってるといわれる」

 

 などという変人(特別な人間)志願の人を見ると、ときおり切ない気分にさせられる。

 彼ら彼女らはきっと自分が「ふつう」であることに不満があるのだろうが、逆に言うと本心から、仮に発言者に悪気はなくとも、

 

 「アナタって、だよね」

 

 と言われる人が、ひそかにさいなまれている孤独感警戒心、ときに屈辱感を理解してないからだ。

 「志願」の人にそれは「誉れ」かもしれないが、「本物」の人に、それは世界からの「拒絶」の言葉で耐えがたい。

 サイデラ君は変人ではないが、その魅力を感じ取るには、やや「予備知識」が必要になる。

  また一回、本当に仲の良い友達とのバカ話や、ファミスタでの対戦の誘いをスキップして、むずかしげな話につきあう「遊び心」のようなものも発揮しないといけない。
 
 一応、私はそれができたのだろう。少なくともサイデラ君にはそう見えた。

 でもたぶん、彼と決定的にちがっていたのはこっちは結局、根が抜け作だから、

 

 「平凡な男の子が、自分より優れた者に対して見せる、無理解な反応」

 

 これもまた、見えてしまったわけなのだ。

 そして私は明らかに凡夫側の男の子で、とかボードゲームが好きとか、そういうのはあんまし関係ないんだ。

 「人種」が違うというか、要するにキミはまっすぐなエリートで、

 

 「立派だが、やや退屈」

 

 であり、私の好みはもう少しレベルが低いというとアレだけど、庶民的というかB級好みで、その分、クラスメートには親しみやすさはあったのだろう。

 そこが、かみ合わなかったんだよ。

 なら彼のために、もう少しうまく振る舞えるとは思うけど、いかんせん小学生には限界があった。

 サイデラ君は、その後も地味な優等生生活を続け、私の周囲でも話題になることは、ほとんどなかった。

 その後、公立のトップ高校から優秀な国公立大学に進学したらしいが、きっとそこでは彼にふさわしい、本当に頭のいい友人ができたんじゃないかと思う。

 よく『ドラえもん』の話をするときに、

 

 出木杉くんは、いつも劇場版に呼ばれなくてかわいそう」

 「だって、出木杉が出たら能力高すぎて、他のキャラが活躍できないじゃん」

 

 なんてネタにされることがあるけど、そういうとき私はいつも、サイデラ君のさみしそうな顔を少しだけ思い出すのだ。

 

 

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「能力の高い人は凡人の中では浮く」というクリスマスのおはなし

2024年12月23日 | 若気の至り

 「秀でた人は、孤独になっちゃうんだなあ」

 

 今回はそんなことを実感した子供のころ、あるクリスマスのお話。

 

 


 「今度の【クリスマス会】で、ボクとチームを組まない?」


 

 小学校4年生のころ、そんな声をかけてきたのはクラスメートであるサイデラ君であった。

 「クリスマス会」とは12月にクラスで行われる、ちょっとしたパーティーのこと。

 を歌ったり、寸劇をしたり、ちょっと器用な子は手品を披露したり。

 まあどうということはないが、その間に授業がないという意味では、子供にとってなかなかのイベントであったのだ。

 そこでのお誘いだが、これに少しばかり、少年時代の私は首をひねることとなる。

 というのも、私とサイデラ君は、ヒマなときに雑談くらいはするけど、そんな仲良しという間柄ではない。

 そもそも彼はクラスの優等生で、休み時間も校庭でサッカーやドッジボールをしたりするより、ひとりで図鑑や、科学誌を読んだりするのを好むタイプ。

 つまりは、われわれボンクラとは一線を画した、未来のエリート予備軍だったのである。

 


 「なんでオレなんやろ?」


 

 そう疑問に思うに十分なシチュエーションだったが、好奇心と、あとまあヒマだったので、話に乗ってみることにしたのだ。

 それにしても、エリートはどんな企画考えとるんやろ。他にだれ誘ったんかなあ。

 それなりに楽しみにしながら、打ち合わせのため放課後、図書館に行くと、そこには私とサイデラ君しか来なかった。

 あれ? にだれか誘ってないの?

 そう問うならば、サイデラ君は、

 


 「うん、何人か誘ってみようと思ったけど、ダメだった」


 

 じゃあ2人だけかいなと、それはそれで気まずいなあ、どうしようかなあと思っていたところ、サイデラ君が、

 


 「今回の企画を説明するね」


 

 そう言って、わら半紙のをドンと渡してきたのだった。

 それにザッと目を通して、私はなぜサイデラ君の誘いに、だれも乗ってこなかったのか理解できたのだった。

 一言でいえば、いかりやの長さんのごとき、

 

 「ダメだこりゃ」

 

 思わず天をあおぎそうになったが、でもこれはサイデラ君の出し物がショボいということではない。

 むしろだ。

 立派すぎるのだ。

 サイデラ君の出してきたプリントには、なにやら「ルール」のようなものが、びっしりと書かれていた。

 どうやら、なにかのゲームらしいのだが、これがまあ、メチャクチャにレベルが高い

 クロスワードパズルをベースにしながら、そこで浮かび上がったワードを使って宝探しをするというもの。

 問題も雑学から音楽芸能スポーツなど、幅広くあつかっており、飽きないように構成されている。

 緻密でありながら、男女とも、また勉強知的ゲーム得意な子、苦手な子、ともに遊べるようにできていた。

 トドメに感心したのが、最初は班ごとにパズルを解いて「競争」していたところを、そこで浮かび上がったキーワードが1個では「開かない」仕組みになってること。

 本当に「」をゲットするには「すべての班のキーワード」が必要になるそうで、プレーヤーは「自分たちだけ」が勝ち抜けても、それはまだ道半ばなのだ。

 なので、今度はせっせと他の班との「協力プレイ」にいそしむことに。

 つまり、最初は「競争」のゲームだったはずが、いつの間にかクラス全員参加の「団体戦」に変貌を遂げ、最後はクリアと同時に4年2組は大きな「一体感」を味わえるようになっているのだ。

 小4とは思えぬ、思慮の深さと広い視野を兼ね備えており、プレゼン力実行力もある。

 しかも、このゲームが自作オリジナルだというのだから、恐れ入るしかないではないか。未来のライナークニツィアやん。

 もう心底から感心しまくりで、なるほどのええヤツいうのは、単にテストの点だけやなくて、こういうことができる人のことを言うんやなあ。

 なんて、しみじみと考えながら、やはり思うことは

 

 「でも、こりゃダメだよなあ」

 

 という、やはり、いかりや的諦観なのである。

 

 (続く

 

 

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ソフトは囁く 先崎学vs南芳一 1999年 第58期B級1組順位戦

2024年12月20日 | 将棋・好手 妙手

 「え? ソフトにかけたら【先手必勝】ってどういうこと?」


 

 目が点になったのは、ある将棋の終盤戦検討していたときのことだった。

 昨今、将棋ソフトを使った研究は当たり前になっているが、私はそのへんに、あまりくわしくないほうである。

 ここで将棋の記事を書いているときも、ソフトの候補手などは、中身を理解できないし、パソコンのスペックもヘボいので、原則としては取り上げず、過去の雑誌の解説を参照することにしている。

 ただ、ひとつ例外なのが終盤戦で、最後の詰みの確認や、「これで受けなし」という局面が本当にそうなのかなどは、一応ソフトにかけることにしている。

 やはり「詰む詰まない」に関しては、ソフトは相当頼りになる存在で、長手順の詰みでも瞬時にはじき出してくれたりするから、これは本当にありがたい。

 しかも詰みや必至は結論が100%なので、議論になりがちな、人間とソフトの大局観の差など関係なく、取り上げやすいというのもある。
 
 もっとも、終盤戦は分岐が山ほどあって検討するのも「模範解答」つきでも大変
 
 これを人力でやるって、やっぱすごいよなあと、あらためて将棋の強い人へのリスペクトが高まったり。

 ということで、今日も今日とて難解な終盤戦をアレコレ掘っていたのだが、そこで手が止まることとなった。

 なにやら、評価値がおかしな数値をはじき出したからで、急遽取り上げてみたい。

 


 

 それは前回1999年、第58期B級1組順位戦、3回戦。

 南芳一九段と、先崎学七段の一戦。

 

 

 

 

 実戦はこの△85歩絶妙手で、後手の勝ちが決まったのだが、それがそうでもないと。

 ウチで使っているフリーの「GPS将棋」によると、この局面は1000くらい先手優勢

 「技匠2」では300くらい後手が優勢と分かれるのだが、△85歩▲68金と取って、△86歩としたところでは、ともに25003200で「先手勝勢」あるいは「先手勝ち」だというのだ。

 

 

 

 えー? どういうこと?

 2人プロ検討陣が、「先手に受けなし、後手必勝」と結論付けた局面で、なんとソフトは「先手必勝」。

 まったくの結果が出てしまった。

 詰みや必至の確認には問題ないから、フリーの古いソフト使ってるけど、そのせいなのかな?

 ホンマかいなというか、そんなもん現実に△86歩の局面は必至に見える。

 ▲同金△88金

 ▲77金△87金で、どちらも初心者でもわかる詰みで、しかもそれは、どうもがいても、さけられない運命なのだ。

 では、異議申し立てたソフト先生に、ここでどう指せばいいのかと問うならば、それが▲69飛と打つ手。

 

 

 なんじゃこりゃ。

 まあ、王手角取りなのはわかったけど、それを受けたときに、△87歩成があるから、▲79飛とは取れないではないか。

 どういうことでしょうと読み筋を拾っていくと、やがて「えー!」と声が出ることとなる。

 はー、なるほどー、たしかにそっかー。

 ひとりで納得していては、読んで方も「はよ続き言えや!」とイライラするでしょうから解説すると、▲69飛に後手は受ける手がないというのが、ソフト先生の読みなのだ。

 具体的には、王手を受けるのは合駒するか逃げるかだが、合駒なら後手は△39金しかない。

 そこで先手はを取るのではなく、▲77金と、ここでかわす。

 

 

 さすれば、を使わされた後手は△87金が打てず、攻めは頓挫すると。

 と、ここで私と同じく、

 

 「いやいや、それ△68角成▲同飛△87金でどっちにしろダメじゃん!」

 

 そう思われた方も多いだろうし、当時解説記事でもそう書いてあったが、△68角成の瞬間に▲19金と打つのが、きわどい返し技。

 

 

 

 △同と▲39飛△同玉▲19竜として、△29金▲49金と、この位置で「送りの手筋」を使う。

 △同玉▲29竜の「一間竜」から、△39金の合駒に▲58銀打とねじこんでいく。

 

 

 

 △同馬▲同銀△同玉▲67角と打って、△47玉▲49香から詰む。

 なので▲19金には△38玉と逃げるしかないけど、ならそこで▲68飛王手を取れるのだ!

 


 △47玉▲56銀詰み

 △48と▲28金から詰み

 △48金は、やはり△87金が消えるから、▲56角などからゆっくり攻めて勝ち。

 △58歩とか、その他の受けでも悠々▲88歩と受けられて、後手の攻めは完切れ

 つまりは、どうあがいても先手勝ちになる仕掛けなのだ!

 ふたたび「えー!」である。

 すごい手があるなあ。

 かといって、を温存して▲69飛△38玉と逃げても、▲49金△27玉▲39桂△同と▲19桂

 

 

 

 △36玉▲16竜△26金▲25銀△45玉▲56銀△44玉▲71馬(!)

 

 

 

 △53歩▲43成桂△同玉▲13竜△52玉▲53竜△41玉▲42香打まで、作ったようにピッタリ詰む

 

 

 

 最後に、あの働いていないように見えた、▲81が使えるというのだから、まるで江戸時代の古典詰将棋のよう。

 ラストも打ち歩詰めに見せかけて、作ったようにが一本残ってるとは、なんとも美しい手順ではないか。

 その他、変化はあるけど、どれもこれも、ちゃんと詰む

 すげぇや。まあ、完全に尻馬だけど。

 将棋には色々な可能性があるなーと感動してしまったが、たぶんこれだけでなく、過去名局と呼ばれるものも、さらに掘っていけば意外結末絶妙手が埋まっているものなんでしょう。

 ぜひ見てみたいので、だれか最高級のソフト使ってにしてくれないかしらん。

 


(その他の将棋記事はこちらから)

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ニードルS80 先崎学vs南芳一 1999年 第58期B級1組順位戦 米長邦雄vs田辺一郎 1977年 早指し選手権

2024年12月17日 | 将棋・好手 妙手

 「どくばり」という武器は、おそろしい威力を発揮することがある。

 最近リメイク版が話題のゲーム『ドラゴンクエスト3』から登場したアイテムで、攻撃力は貧弱だが、一定の確率で相手を即死させるという特性がある。

 なので、HPの高い敵や、経験値をたくさんもらえる「はぐれメタル」を一撃で倒した日には、そのカタルシスたるや、たまらないものが。

 将棋の世界で、この「どくばり」といえば、これはもう急所に刺さったにとどめを刺す。

 そこで今回は、針のひと突きがダムを決壊させるというスペクタクルを見ていただきたい。

 


 1999年の第58期B級1組順位戦、3回戦。

 南芳一九段先崎学七段の一戦。

 昨年、B級2組1期で突破した先崎は、当然ここB1でも連続昇級をねらっており、ここまで2連勝と好発進。

 一方の南は、定位置だったA級から落ちてからは不調が続いていたが、それでもタイトル7期の実績は伊達ではない強敵である。

 将棋の方は相掛かりのスタートから、ガッチリした組み合いに。

 から手をつけたのがうまく、先手の先崎がうまく攻めているようだが、南は手に乗って上部脱出を目指し、ついに入玉

 ならばと、先崎もを取って体力勝ちにシフトチェンジを図ろうかと言うところだが、なんとここで南は一転、寄せをねらって先手玉にラッシュをかけてきた。

 

 

 

 図は、南が△79角と王手して、先崎が▲98玉と逃げたところ。

 この局面、先崎は自分が勝ちだと思っていた。

 さもあろう、後手はで攻めてきているが、がその両方に当たっていて、どちらかは取れる形。

 入玉形において、大駒の「5点」はとんでもなく価値が高く、先崎からすれば、この一瞬さえ耐えきれば、それで勝ちが決まる。

 そして、金銀の数が多い先手玉に、寄りはなさそう。

 たとえば△86香は、取れば△88金で詰みだが、▲77銀打とガッチリ受ける。

 

 

 

 △87香成には、▲同玉で耐えている。

 これで受け切ってる思った先崎だったが、次の手を完全に見落としていたのだった。

 

 

 


 △85歩と打つのが、見事な決め手。

 といっても、このいそがしそうな局面で、ずいぶんのんびりしているようにも見えるが、あにはからんや。

 なんとこれで、先手玉に受けはないのである。

 ▲85同歩△86歩と打たれ、▲同金△88金で詰み。

 △85歩に無視して▲68金を取るのは、△86歩と取りこまれてしまう。

 

 

 

 ▲同金△88金まで。
 
 ▲77金△87金で簡単に詰む。

 その他、あれこれともがく手はあるが、そのどれもが受かっていない。

 信じられないことだが、先手玉はこの△85歩とボンヤリ合わせた手で、すでに必至になっているのだ。

 まさかの展開に、目の前が真っ暗になったであろう先崎は、▲88桂と埋めてねばるが、△86歩から自然に攻められて、を取られる形では、やはり受かっていない。

 あの局面から、△85歩1手でおしまいとは、おそるべき「どくばり」である。

  


 

 もうひとつは、1977年の第11回早指し選手権

 米長邦雄八段と、田辺一郎五段の一戦。

 田辺の振り飛車穴熊に、米長は手厚く銀冠で対抗。

 

 

 

 

 7筋のを切ってから、▲76金と上がっているのが、米長の工夫。

 次に▲75銀△同金▲同金と盛り上がっていくねらいで、後手が右辺で飛車角をさばいている間に、玉頭から押しつぶしてしまおうということだ。

 だが、この構想は疑問で、ここはではなく、▲76銀とするべきだった。

 先手からすれば、ここでを上がると、将来をさばいたときに、▲86空間ができるのが気になるところ。

 後手はいずれ、飛車を成りこんで右辺の桂香を取ってくるだろうから、そこで△86桂△86香を警戒しながらの戦いは、なにかと神経を使う。

 そこで、銀冠の好形を維持しながらの前進となったのだが、これがまさかの大ポカ

 ここで先手陣には、信じられないような大穴が開いており、田辺の目がキラリと光るのだった。

 

 

 

 

 


 △67歩と打つのが軽妙手。

 なんとこれで、先手から△68歩成とする手に受けがない。

 ▲同金しかないが、銀冠の側面装甲を無力化されて、守備力が大激減

 すかさず突いた△46歩が、また「筋中の」という手。

 

 

 

 

 振り飛車党からすれば、これ以上なく指がしなる手で▲同歩△36飛とさばいて絶好調。

 以下、△38飛成▲97玉と逃げた形は、厚みにするはずだった6筋、7筋の金銀がうわずって、なんの役にも立たなくなっている。

 

 

 

 それこそ、最初は10の固さだった銀冠が、▲76金くらいになってるとしたら、△67歩を喰らってからはくらいまで下がっていることだろう。

 プロレベルの将棋で、こんな愚形など、そう見られるものではなく、なんともめずらしい場面。

 将棋の方は、このあと米長が「泥沼流」でねばり倒して、まさかという大逆転勝ちをおさめるのだが、田辺の見せたの明るさが印象的な一局だった。

 

 ……と、今回はこの2局を紹介してお終いのはずが、後日ソフトで検討してみると、とんでもない結論がはじき出されたので、それに関しては次回に。

 

 


 ★おまけ

(軽妙な歩の決め手と言えばこちら

(その他の将棋記事はこちらから)

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光速5センチメートル 谷川浩司vs高橋道雄 1987年 第28期王位戦 第4局

2024年12月14日 | 将棋・名局

 谷川浩司はブレイクするまでに、意外と時間がかかった印象があった。

 谷川といえばデビュー前から大器の誉れ高く、

 

 中学生棋士」

 「21歳名人獲得」

 

 ほとんど最短距離で棋界の頂点へ駆け抜けた男。

 となれば、その歴史は「勝利の歴史」のように見えるが、実はこの名人獲得以降、の頂点である「四冠王」までけっこう苦戦していた時期もある。

 これにはリアルタイムで見ていて、ヤキモキしたもの。

 そう聞けば

 

 「まあ、羽生さんがいたからねえ」

 

 という声が聞こえてきそうだが、それより以前に立ちはだかった男が2人いたのだ。

 一人は同じ関西南芳一九段

 そして、もうひとりが高橋道雄九段

 中原誠米長邦雄といった先輩と同時に、この「花の55年組」の腰の重いライバルが、谷川の前進をはばんでいたのだ。

 ちなみにウィキペディアには単に「55年組」としかないけど、古い将棋雑誌とか読めばわかるけど「花の」がつくのが正解。
 
 もっとも、その後「羽生世代」の台頭からタイトルを取れなくなっていったので、なんとなく呼びにくくなったのでしょうが。

 それはともかく、高橋が谷川の進撃をはばんでいた時期があった。

 特に高橋は谷川が名人位を失い無冠に転落した後、やっとこさ手に入れた二冠目棋王を奪い取ったうえに、内容的にも遜色ない将棋を見せつけ、

 

 「最強なのは高橋道雄」

 

 という評価を確固たるものとしていた。

 しかも高橋は王位のタイトルも持っていたため、高橋道雄王位棋王谷川浩司九段と差をつけられることに。

 棋史に残ることが確定のスーパーエリート

 

 「選ばれし者」

 「神の子」

 

 としてそのを振りまきまくっていた谷川にとって、追ってくる立場だった高橋にコテンパンにのされたことは、大いにプライドも傷つけられたことだろう。

 このあたり私も見ていて、

 

 「谷川は大丈夫やろか。これはもう、下手したら高橋と南に全部持っていかれるで」

 

 なんて心配したものだが、さすが谷川もそこでシュンとしているだけではなく、徐々に巻き返しを図っており、その勢力争いは混沌としてくるのだ。

 


 

 1987年の第28期王位戦は、高橋道雄王位・棋王に谷川浩司九段が挑戦することとなった。

 前期は高橋相手に苦戦することが多かった谷川だが、このシーズンは復調の気配を見せており、またこのシリーズも、

 

 「全局、ちがう戦型で戦う」

 

 と宣言。

 第2局ではめずらしい振り飛車穴熊を披露するなど、精神面での余裕も感じさせたころであった。

 谷川の2勝1敗でむかえた第4局は、相矢倉から後手の谷川が右四間にかまえ、急戦調の将棋に。

 飛車角を軽く使って襲いかかる谷川に対して、高橋は受けに回る。

 むかえたこの局面。

 

 

 

  後手が△13角とのぞいて、先手が▲57金角出を防いだところ。

 一見、先手が押しこまれているようだが、こういうところをガッチリ受け止め、ビクともしないのが高橋の強いところ。

 △36が攻めに利いているのかどうか微妙で、下手すると取られてしまう可能性すらあるが、ここから谷川が「前進流」と呼ばれた勢いの良さをみせるのである。

 

 

 

 

 △27銀成▲同飛△35角が谷川らしい強気の踏みこみ。

 飛車を取られるから、先手は▲35同角と取り返すことができない。

 ▲37銀と受けるのが形だが、そこで△36歩と打てるのが自慢。

 

 

 ▲同銀△26飛で、やはりきれいに突破されてしまう。

 まずは谷川らしい華麗なワザが決まったが、そこは高橋も負けていない。

 

 

 

 

 

 

 

 △35角にあわてず、じっと▲88玉と上がるのが「地道高道」らしい、しぶとい手。

 先制パンチをもらっても、そこで安易に折れない精神力は見習いたいところで、谷川も過去に「これで決まった」と思われたところから押し出せず、逆転負けを食らったケースもあったのだ。

 以下、△26飛▲同飛△同角で駒損だが、▲37銀と追い返し、△71角▲61飛王手角取りの反撃。

 これには△51飛の合駒がピッタリなのだが、そこで▲65飛成と成り返っておいて、飛車を守りに使わせたのが大きく、まだこれからだと。

 谷川は△38角と打って、さらなる駒得の拡大を図るが、高橋も▲63銀と反撃。

 

 

 

 これが、「玉飛接近すべからず」で、なかなかにきびしい。

 放っておくと、▲52銀成△同飛▲61竜と入って、△51飛▲52金でつぶれる。

 かといって▲52銀成△同玉は危なすぎて、考える気もしないところだが、なんと谷川は平然と△29角成

 いやいや、そんなのんびりして自陣は大丈夫なのと、谷川ファンなら目をおおいたくなるところだが、ここからスターが魅せます。

 高橋は勇躍▲52銀成と取って、△同玉▲63金とヒジ打ちをかます。

 

 

 

 


 △41玉しかなさそうだが、それには▲62金から大駒を取り返して、自玉は矢倉の堅陣が残っているから先手が盛り返している。

 こんな場面を見せられたら、やはりファンとしては「だから、ゆーたやん!」と声を上げたくなりそうだが、なんのことはない。

 すべては谷川浩司の手のひらの上だったのである。

  

 

 

 

 △61玉と、危ない方に落ちるのが、盤上この1手の絶妙手

 この局面、飛車角金銀香のどれかがあれば詰みだし、桂馬があっても▲53桂で寄るのだが、あいにく先手は弾切れ

 手持ちの一歩で▲62歩でも詰みなのだが、あいにくの二歩

 なんとここで、すでに先手の攻めは切れている

 あと一歩、指一本でも伸びれば後手玉はおしまいなのに、それがかなわない。

 まさにミリ単位で相手の切っ先を見切った、完璧な受け止め方。

 もちろん、この局面だけを見れば、△61玉を指せる人はいるだろう。

 だがそれよりなにより、このずっとの、おそらくは△27銀成と飛びこんだあのあたりから、

 

 「これで受け切り」

 

 と読み切っているわけで、それがすさまじいではないか。

 なんという見事な玉さばき。まさに神業。まるで大山康晴名人のような、見事なしのぎではないか。

 まさかの真剣白刃取りを前に、高橋は懸命に寄せを考えるが、ここではすでに将棋は終わっている。

 

 

 

 

 高橋も劣勢の中、なんとか手をつなぐが、いかんせん戦力が足りないうえに、敵玉近くの筋にが立たないところも泣きどころだ。

 次の手が決め手になった。

 

 

 

 

 

 △94銀と打つのが落ち着いた受け。

 ここで△57歩成は、その瞬間に▲63銀成とされて逆転する。

 将棋の終盤は、本当に怖い

 谷川がそんなヘマをやらかすはずがなく、冷静な手で望みを絶った。今度▲63銀成には△83銀と取る手がピッタリ。

 銀を打たれて、ここで高橋が投了

 攻守に会心の指しまわしを見せた谷川は、第5局も制して(その将棋は→こちら王位奪取

 その後の棋王戦でも、フルセットの末にリベンジを果たし初の二冠に。

 最優秀棋士賞も獲得し、ついに「最強」の座を高橋道雄から奪い返すことに成功したのだった。

 


(「谷川強すぎ」時代の絶妙手がこれ

(その他の将棋記事はこちらから)

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主人公かどうか知らんけど幼馴染が、クラスメートにグイグイくる(ガチでエロい意味)

2024年12月11日 | モテ活

 前回の続き。

 


 「それ、おまえの世界すぎるってぇ!」


 

 アダルトDVDを観て、思わずそうツッコミを入れたのはお笑いコンビ、ママタルトひわらさんだった。

 プロのお笑い芸人も思わずあきれる、その動画の設定というのが、

 


 「はじめて彼女ができたから、それにそなえて、幼なじみの女の子にセックス練習をさせてもらう」


 

 創作でしかありえない展開かと思いきや、高校時代のクラスメートであるナガオ君は男女のシチュエーションで、まったく同じことをお願いされていたのだ。

 中学時代からの友達であるワサコちゃん曰く、

 


 「彼氏に子供っぽい女だと思われたくないから、あなたでセックスを練習して済ませておきたい」


 

 たしかに「おまえの世界すぎる」お願いであり、なかなかビックリな流れではある。

 当初これを「幼なじみとのステキな恋バナ」としてキャッキャ聞いていた、われわれボンクラ男子だが、突然の急カーブに当惑することしきり。

 いきり立ったのは、硬派な熱血漢のナカモズ君

 


 「その女、ちょっとおかしいんちゃうか? その彼氏にも、ナガオにも、失礼すぎるやろ!」


 

 たしかにナガオ君もビックリだが、彼氏の方からしても「なんでやねん」であろう。

 男の立場からすれば、「そんな練習いらん」のではないか。

 相手の経験値は知らんけど、むしろウブいままで、いてほしいのではないか。

 まあ、このあたり

 

 「初めての男になるのは重いからイヤ」

 

 という人もいるから、何とも言えないがそこはロマンチストカナオカ君に言わせると、

 


 「それ絶対、ホンマはナガオのこと、好きなパターンやん。なんで、気づいてやれへんのよ」


 

 これもひとつの説であるが、だとしたら、こんなヒネッた告白は話をややこしくするだけだ。

 ふつうに「好き」「抱いて」で充分である。ちょっとアクロバティックすぎる。

 一方で、現実主義者キタハナダ君

 


 「ラッキーやん。まさに据え膳。タダやで、タダ。お金払わんでええねんで。めっちゃええやん。最高やん」


 

 むちゃくちゃに即物的ではあるが、まあリアルではある。

 ある意味、ナガオ君がアッサリそう考える男なら、話は早かったのかもしれない。

 かくいう私はそのころ、クリエイター志望の友人たちとミニコミを作ったり、お芝居の脚本を書いたりしていたので、

 


 「その子、インタビューさせてくれへん? どっから出た発想? 文学やん。記事のネタに使えそう。自主映画シナリオでもええな」


 

 なんて能天気に考えたものだった。

 実際のところ、ワサコちゃんがどういう経緯でそういうことを言いだしたのかは不明であり、ナカモズ君の言うような「痛い」女なのか。
 
 それとも、カナオカ君の言う「健気」な女の子か、それともキタハナダ君の言うように「ラッキー」と取るのか。

 はたまた、私のように「そんなオモロイ話は、ぜひ続編を聞かせてくれ。あと、コントのネタにしていい?」と、ある意味俯瞰で見るべきなのか。

 よくはわかんないけど、一番ふつうというか、物語的におさまりがいいのは、カナオカ君の提唱する

 

 「彼女は本当はナガオ君が好き

 

 ここなのは間違いない。

 これなら、だれも傷つかないし。友人がハッピーエンドでおさまれば、それに越したことはない。

 だがこれは、ナガオ君の態度からしても、

 


 「なんか、そんな感じやなかったのよ。終わった後も、余韻もへったくれもない雰囲気で」


 

 こりゃまた、ずいぶんドライなノリだ。

 


 「気まずかったのも、あるかも知らんけど、ロマンチックな感じは、ぜんぜんなかったなあ」


 

 うーん、なんか本人の口から聞くと生々しいけど、たしかに、「本当は好き」なんて甘ったるいこと、男が「思いたい」だけかもしれないしねえ。

 しかも、そこまで味もそっけもないと、なんだか気持ちが盛り上がらないのもわかるところで、ナガオ君も、

 


 「ラッキーなんかなあ。なーんか釈然とせんというか。変な感じやねんなあ」


 

 まあ、これが男女にしたら、とんでもなくゲスイ男の話になっちゃうわけではある。

 男が「本命」の彼女の前でイキりたいから、他の子に「練習させて」って、裁判なしにギロチン台送りになっても、文句は言えまへん。

 なるほど、そう考えるとナガオ君が「釈然としない」ってのも、わかんなくもないか。

 そう言うと彼は、

 


 「なんかなー。愛ってなんなんやろ。マジで軽くトラウマなりそうやわー」


 

 ちなみにワサコちゃんは、その後もふつうにナガオ君と「友達」として過ごし、彼氏の方とも、うまくいっていたようなのだ。

 練習の成果かもしれない。

 結局、その後ナガオ君とは疎遠になったから、真相はわかんないままなで特にこれと言ったオチもないんだけど、青春ってキラキラしてるばかりのもんじゃ、ないんやねえ。

 とか、ガラにもないことを思った、19歳のころのお話でしたけど、大人になって思うにこの問題の本質は、たしかにキタハナダ君の言う

 


 「タダやで、タダ!」


 

 これが案外、一番正解な気もするが、どうか(←サイテーの結論だよ、この人)。
 

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「練習(セックスの)は裏切らない」と、たぶんイチロー選手は言わなかった

2024年12月10日 | モテ活

 前回の続き。

 


 「それ、おまえの世界すぎるってぇ!」


 

 アダルトDVDを観て、思わずそうツッコミを入れたのはMー1決勝進出も決めたお笑いコンビ、ママタルトひわらさんだった。

 プロのお笑い芸人も思わずあきれる、その動画の設定というのが、

 


 「はじめて彼女ができたから、それにそなえて、幼なじみの女の子にセックス練習をさせてもらう」


 

 現実では絶対に通ることのない危険牌だが、アダルトの業界はとんでもない設定の作品があまたあるもので、ハヤカワSF文庫も顔負けな奇想が飛び交っているものだ。

 すげーなー、こんなんオレやったらよー言わんで、と彼女も幼なじみの美少女もいないのに思ったものだが、そこで不意に思い出したわけだ。

 あれ? これと同じ話、聞いたことあるで。

 それが高校時代のクラスメートであるナガオ君のエピソードだった。

 時はさかのぼって、私がまだ浪人生だったころ、風の噂で彼が、

 

 「はじめて、女性と関係を持ったらしい」

 

 と聞いたのだ

 ナガオ君はモテ男というほどではないが、そこそこ流行オシャレに気を使っている、いわゆる「1.5軍」くらいの男子だったので、そのこと自体は特に不思議ではない。

 ただ、その過程というのが、なかなか飛ばしていて、たまたま彼と何人かで、飲みに行く機会がった際に問うてみると、

 


 「うん、それが、相手はワサコいうて、中学時代からの友達やねん」


 

 ここで、われわれは「おー」となる。

 地元の幼なじみ、ええやん。マンガみたい。

 で、それはどっちが言い出したんや?

 


 「それは、むこうからやねん」


 

 再び「おー」である。おいおい、とんだ色男やないか。

 中学生からの知り合いで、2人がともに成長したときフト自覚する恋心

 でもって、女子の方から「好きです」「つきあってください」で、そこから結ばれると。

 ドラマやがな、青春やがな。うらやましいねえ、オレもそんなステキな恋をしてみたいで。

 なんて、ボンクラ男子たちは女子会のごとく「恋バナ」で盛り上がっていたのだが、本来は「凱旋の英雄万歳」であるはずのナガオ君は、首をかしげながら、

 


 「いや、そういうんちゃうねんな」


 

 そういうんちゃうって、どうちゃうねん。幼なじみに告白されて、そのままつきあって、もう心身ともにラブラブなんやろ?

 そう肩をつつくと彼は苦笑しながら、

 


 「告白されてないって。つきあってもないんやし」


 

 ? どういうこと? でもさっきは、「むこうから言ってきた」言うてましたやん。

 


 「そうや。言うてきたんや。いきなり、ラブホテルに行こうって」


 

 ふたたび「へ?」である。

 それはなんか……風向きが変わってきたというか、いわゆる、

 

 「なんか……思てたんと、ちょっとちがう……」

 

 という感じではないか。

 なになに? どういうこと

 われわれは流れ的に「むこうから言ってきた」=「告白してきた」と思いこんでいた。

 なんでも「告白」というのは日本独特の文化らしく、こっちのアニメマンガの好きな異人さんには「あこがれのシチュエーション」なのだそうだが、そういうことではない。

 「むこうから言ってきた」=「ラブホ行こうぜ! と言ってきた」ということなのだ。

 そのワサコちゃんいう子も、えらい積極的やな、というか初球ラブホテルって、場合によっては引くけどなあ。下手したら、危険球退場やで。

 なんて、場がザワザワしたところにナガオ君が説明するには、そもそも告白どころか、呼び出されてまずされたことが、

 


 「はじめて彼氏ができた」


 

 という報告だったそうな。

 ナガオ君はワサコちゃんと友達であって、別に恋愛感情はなかったから、「あ、そう。よかったね」くらいだったのだが、続けて彼女が言うには、

 


 「だから、一緒にホテル行ってくれへん?」


 

 文がつながってないというか、完全に「だから」という接続詞の使い方を間違っているが、彼女が言うには、


 


 「今度、カレの家に泊まりに行くことになったんやけど、まあ、たぶんそういうことになると思うねん」


 

 まあ、なる可能性は高いでしょうなあ。

 


 「でさあ、そんときにこっちがなんにも知らんウブな女やと恥ずかしいから、一回、アンタで経験しときたいねん」


 

 いかがであろうか。

 ひわちゃんが、思わずつっこんだシチュエーションのようというか、今思い出してみたら「まんま」ではないか。

 

 (続く)

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「それ、おまえの世界すぎるってぇ!」と、ママタルトのひわちゃんは言った

2024年12月09日 | モテ活

 「それ、おまえの世界すぎるってぇ!」


 

 漫才中にそんなツッコミを入れたのは、お笑いコンビ、ママタルトひわらさんであった。

 ママタルトと言えば先日、悲願のM-1グランプリ決勝進出を決めたところで、2人の漫才のファンである私には大いによろこばしいところ。

 そんなおふたりは、数年前にもチャンスがあったといわれており、そのときは「うどん屋」というネタが準々決勝かどこかで大ウケしていたそうな。

 残念ながら、そのときは落ちてしまったのだが、その中でボケの大鶴肥満さんに発せられたのが冒頭のセリフで、なかなかな爆笑をさらっていたのだった。

 ここで興味深かったのが、このツッコミが浮かんだきっかけの出来事。

 ひわちゃんがポッドキャストのラジオで話したところによると、なんとそれがアダルト動画だったというのだ。

 ひわらさんといえば神戸大学卒業というエリート街道を歩きながら、その後アダルトビデオの制作会社に就職を決めるも、お笑いへの夢は断ちがたくそこを蹴って芸人になったというユニークな経歴で有名。

 そんな彼が、ある日紳士のたしなみであるエロDVD鑑賞のためセットし再生してみると、その内容というのが、

 


 「はじめて彼女ができたから、それにそなえて、幼なじみの女の子にセックスの練習をお願いする」


 

 どんな設定や

 たしかにアダルト業界の思考はぶっ飛んでいるというか、私もこれまで

 


 「素っ裸ギャル40人で冬山登山」

 「東○全面協力? 昭慶爆発で乱交パーティー」

 「伝説の教育番組がSFとコラボ 【宇宙セックス】できるかな」


 

 みたいなクリエイティブがすぎる動画を見たことはあるが、

 

 練習させてくれ」

 

 というのも、またスゴイ発想である。

 どういう脳みそしてるねんという話で、これにひわちゃんが思わず、

 


 「それ、おまえの世界すぎるってぇ!」


 


 動画に思いっきりつっこみを入れてしまい、それを、そのまま漫才に流用したのだそうな。

 これには「へー、創作の陰に逸話ありやなー」などと、のんきに笑っていたのだが、ここで「あれ?」となる。

 たしかに、イカれた発想ではあるけど、なーんか昔、似たような話を聞いたことがあるような、ないような……。

 頭の中で、ガーっと検索エンジンを走らせてみると、ヒットしたのが、高校時代のクラスメートだったナガオ君の顔だった。

 

 (続く

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スローカーブを、もう一球 佐藤康光vs屋敷伸之 有吉道夫vs谷川浩司 2013年&1995年 A級順位戦

2024年12月06日 | 将棋・好手 妙手

 「ここで1手、落ち着いた手を指せれば勝てましたね」

 

 というのは、駒落ちの指導対局で負けたときなどに、よく聞く言葉である。

 将棋というのは

 

 「優勢なところから勝ち切る

 

 というのが大変なゲームで、手こずっているうちに、あせりから逆転をゆるしてしまう。

 ガックリ肩を落としながら、

 

 「ここで1手、落ち着いた手を指していたら……」

 

 今回は、そういうときに参考になる将棋をご紹介。

 


 

 2013年、第71期A級順位戦

 佐藤康光王将と、屋敷伸之九段の一戦。

 相矢倉から、両者らしい力戦調の将棋になり、難解な戦いに。

 

 

 

 

 

 図は屋敷△33歩とキズを消したところだが、次からの佐藤の構想がうまかった。

 ヒントは、屋敷が△86歩と突き捨てたのが疑問で……。

 

 

 

 

 


 ▲26歩が、攻めに厚みを増す好着想。

 以下△55歩に、またも▲25歩(!)と伸ばしていく。

 

 

 

 

 じっとをしぼられ、息苦しさの増した後手は△45銀打▲79馬△56歩とするが、そこで▲24歩△同歩▲25歩△同歩▲24歩

 


  

 

 三歩持ったら、ツギ歩タレ歩

 

 格言通りのリズミカルな攻めが、見事に決まっている。

 後手からすれば△86歩▲同歩の突き捨てが、「筋中の筋」という反撃の常套手段だが、ここではその一歩がたたってしまった。

 以下、佐藤が玉頭の拠点を生かして勝ち。

 ジッと▲26歩

 強い人は急がないのだ。

 



 もうひとつは、1995年の第53期A級順位戦最終局。

 谷川浩司王将と、有吉道夫九段の一戦。

 この将棋は「将棋界の一番長い日」らしく、谷川は勝てば名人挑戦プレーオフに望みをつなげる。

 一方の有吉は、まだ2勝で負ければ即降級

 勝っても競争相手に勝たれると、落ちてしまうという瀬戸際だった。

 勢いは谷川だろうが、59歳(!)有吉はここでキャリア後期の名局ともいえる将棋を披露する。

 むかえた最終盤。

 谷川が△55角と打ったところ。 

 

 

 

 

 ここではすでに先手勝勢だが、放っておくと△88角成からのトン死があるため、気を抜けない。

 勝ち方は色々ありそうだが、次の一手が参考になる着想だった。

 

 

 

 

 

 ▲77銀と引くのが、落ち着いた一着。

 ここでは先手を取りたくて、私などつい▲66銀打としてしまいそうだが、それでは攻めの戦力がけずられて、もつれてしまうかもしれない。

 そこを、働いてない駒をジッと活用しておく。「大人の手」だ。

 攻めが封じられ、進退窮まった谷川は、なんと△14玉と前進。

 

 

 

 

 なりふりかまわぬ入玉ねらいで、格調の高さが売りである谷川ほどの男が、こんなの中をはい回る手を指す。

 これが、順位戦最終局というものだ。

 まさかの手に、一瞬あわてそうなところだが、有吉は冷静に▲34銀とシバる。

 ▲66銀打とせず、1枚温存した効果がハッキリと出た手。

 谷川も執念2連発で△13角と引く。

 
 
 

 

 ここで▲22銀不成が見えるが、それには△同角右△55の方で取るがある。

 将棋の終盤戦は本当に怖いが、有吉はどこまでも動じなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▲66銀引が、腰のすわった決め手。

 遊び銀をヒラリ、ヒラリと自陣に投下。パラシュート部隊がピッタリ間に合って、これで先手玉は鉄壁に。

 とうとう手段のなくなった後手は、力なく△28角成とするが、そこで今度こそ▲22銀不成で谷川が投了

 この場面で2度銀引は、その手自体の有効性もさることながら、実際に指せるというのがすさまじい。

 なんといっても、A級からの陥落がかかっているのだ。

 なら、優勢となれば少しでも早く勝ちたい、この重圧から開放されたい、になりたいと思うのが人情である。

 それを、静かに2枚の銀を、軽やかに、それでいて慈しむ様に活用してゆっくりと勝つ。

 修羅場での戦い方のお手本のような勝ち方で、競争相手の塚田泰明八段が敗れたこともあって、有吉は見事

 

 「60歳A級

 

 の偉業を成し遂げるのであった。

 


 (1手ゆるめる達人は有吉の師匠であるこの人

 (その他の将棋記事はこちらから) 

 

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「なぜラテン語を学ぶのか」という疑問にお答えします

2024年12月03日 | 海外旅行

 ラテン語をはじめてみた。
 
 これまでチョコザップならぬ「チョコ語学」でフランス語イタリア語をやったとなれば、今度はもう「親玉」であるこれをやらぬばなるまい。
 
 このオペレーション「ファランクス」により、さっそく大西英文はじめてのラテン語』など手に取ってみたが、前回も言ったよう格変化とかが激ヤバで、すでに笑うしかない。

 と、ここで素朴な疑問が思い浮かぶ方もおられよう。
 
 
 「そもそもさー、なんでラテン語なんてやってんの?」
 
 
 ヨーロッパでは第二外国語として学ばれているところもあり、実際ドイツなどは65万人もの人が勉強しているというラテン語だが、日本ではただただマイナーな言語である。

 こんな、読めても話せても(話すことはまずないが)使いどころのない古語を、なんで今さらやってるのか。
 
 これに対しては多くのラテン語学習者が、各所で説明しており、たとえばこんなの。
  
 


 1・教養が身に付く。 
  
 ラテン語は古代ローマ帝国公用語で、中世ヨーロッパではカトリック教会を中心としてインテリ間での共通語であった。
 
 つまり存在そのものが「教養」と同義であり、それだけで身につける価値があるのだ。
 



 
 2・ヨーロッパの歴史を学べる。
 
 1で述べたように、ラテン語はヨーロッパを通じて1000年以上通用していた言葉。
 
 なので、ラテン語をマスターすれば、それらの歴史的に貴重な文献の数々を読むことができ、その人類の叡智に触れることができる。
 
 このことは、どんな金銭的利得より、われわれを豊かにしてくれるかは、言うまでもないだろう。
 
 



 3・論理的思考が身につく。
 
 ラテン語は難解であるが、非常に論理的な構造を持った言語である。
 
 なので、ロジカルシンキングを身につけるのにこれ以上のアイテムはない。

 論理学ビジネス学問など、あらゆる人類の営みの源泉

 これを学ばないなど、もはやヒトであることを自ら放棄するようなものではないか。
 



 
 などなど、いくつか見てきて、なるほどラテン語をやるとこんなにいいことがあるのかと感動した方は、きっとたくさんいるのであろうといえば、絶対にそんなことは無かろう
 
 いや、これはやらねーよ、ふつうラテン語。
 
 教養が身につくって、それ全然実社会で使えないし、古代ヨーロッパの文献とか、読まないし。
 
 そもそもどこに、そんな本あるの? ブックオフで売ってる?
 
 論理的思考とか、それこそ数学でもやれやって話で、なにもわざわざ「難解使えない」ラテン語で鍛えるのはコスパ悪すぎや!
 
 お説ごもっとも。まったく反論の余地はない。
 
 だいたいが、男子がなにか新しいことをはじめるとき、その効用として求めるのが
 
 
 「モテる」
 
 「金になる」

 
 
 このどちらかである。
 
 おそらくラテン語は、この2つと無縁というか、わりと真反対の位置にある存在ではあるまいか。
 
 
 マッチングアプリで、

 

 趣味ラテン語学習」


 
 合コンの自己紹介で

 

 「最近はタキトゥスの『ゲルマニア』を原語で読んでます」


 
 就職試験で

 

 「Cōgitō ergo sum.(我思う、ゆえに我あり)」
 
 
 もう結果は見え見えであろう。Omnia vānitās.Mementō morī.
 
 ではそんな、不毛の結末しかないラテン語学習の道を我なぜ歩くのかと問うならば、この世にある、あらゆる価値を反転させるつんくさんの魔法の言葉を借りて、
 
 
 


 「それ、にロックやで」



 
 
 もはや、世界が「英語一色」な中、あえてラテン語をやるというのは、これはもう我ながら頭おかしくて楽しい。
 
 意味などない。これはもう完全に「酔狂」である。

 山田五郎さんもよく言う、

 


 「芸術はあれこれあると、どこかでかならず、《これ逆にオモロくね?》という時代が来るんだよ」 


 

 

 まさにこれです。に。

 マジで「ちょっとウケる」のだ。
 
 私も周囲で、
 
 


 「最近、ジムに通っている」
 
 「健康のためジョギングをはじめた」
 
 「キャンプにハマってるんだ。自然はいいぞ」



 
 
 なんて友人がいたりするが、そこに堂々

 


 「こないだから、ラテン語をはじめてね」


 

 と言うと、とりあえずウケる
 

 「なんでやねん!」
 
 「どんな高等遊民や」
 
 「ヒマか!」

 
 
 などなど、鋭くつっこんでいただけて、軽くひと盛り上がりあったりする。
 
 これこそが、ラテン語学習の意義である。
 
 「ラテン語やっててね」のあとの「なんでやねん」。
 
 これで確実に「ひと笑い」とれるのが、今のところ最大の収穫だ。
 
 そう、私にとって古代の英知に触れるということは、教養を身につけるのでもなく、古典文献をたしなむことでもなく、
 
 
 「完全無欠のウケねらい
 
 
 まさに最強の出オチであり、今のところ地元で「すべり知らず」と鳴らしているのだった。
 

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