「一歩千金」
とは、よく言ったものである。
将棋において、歩というのは最弱の駒だが、持ってないと困るケースというのは枚挙に暇がない、という不思議な存在でもある。
序盤の仕掛けをはじめ、中盤で敵陣にアヤをつけたり、端攻めとか、その用途は無限。
終盤だと玉頭戦などで、歩がないと選択肢がグンと狭まってしまうのだ。そう、
「歩のない将棋は負け将棋」
なので、プロのみならず、われわれレベルのアマチュアでも「歩切れ」というのは本当にイヤなもの。
今回はそんな一枚の歩が、勝負を決めた将棋を紹介したい。
1981年の第22期王位戦。
中原誠王位と、大山康晴王将との七番勝負。
シリーズ前半は中原がペースをつかみ、3勝1敗と防衛に王手をかけるが、大山もそこからねばり腰を見せ、2番返して3勝3敗のタイに追いつく。
決戦となった最終局。
先手の大山が三間に振ると、中原は天守閣美濃で対抗。
タイトルの行方を決めるにふさわしい大熱戦となり、ものすごいねじり合いが展開される。
大山有利で展開し、中原も苦戦を自覚しながらも、懸命の食いつきを見せる。
△59角の王手に▲48銀打の受けなど、すごい形。
△同歩成とボロっと取れるが、▲同銀引で強引に先手を取る。
角が逃げれば▲31竜で勝ちだから、後手も見捨てて△42金上と手を戻すしかなく、▲59銀に(▲21竜は△22金ではじかれてしまう)△32銀と受ける。
以下、▲75角、△53桂、▲31竜、△22銀、▲91竜、△99と、▲93角成でこの場面。
先手も急場は脱したが、後手もその間にペタペタと自陣に駒を埋め、容易には手がつかない形に。
中原の談話によると、先の▲48銀打では、▲48銀上のほうが良かったようだが、かなり怖い手でもある。
なんにしろ激戦であって、先手がまとめるのも大変そうだが、後手もとにかく歩切れが痛い。
大駒がないこともあって、よほどうまく攻めないと、切れてしまいそう。
そうなれば、「受けの大山」が力を発揮しそうだが、ここで中原が見せたのが、ちょっと思いつかない一手だった。
△98と、と引くのが、驚愕の一手。
ねらいはもちろん、次に△97と、で歩切れを解消しようとするものだが、それにしたって、こんな橋の向こうに転がっているような、と金を使うという発想が信じられない。
だが、この牛歩より遅そうな亀の歩みが、先手陣を攻略するのに、もっとも速い攻めだというのだから恐れ入る。
次に歩を取って△36歩が激痛で、こうなると後手の攻めが切れない。
先手は▲96歩みたいな手で逃げようにも、しつこく△97と、とひっつかれて無効。
▲93に馬がいるから、この鬼ごっこは▲94の地点で、あわれ捕まってしまうのだ。
まさか、弾切れ寸前の戦線の、こんなところに補給物資が埋まっていたとは、だれも思いつくまい。
大山は▲64歩と攻め合いに活路を見出そうとするが、△33桂、▲47香、△97と、▲63歩成。
そこで△36歩と、ノド元にチョップが入って後手勝ち。
以下、▲同桂、△同桂、▲同玉に△44桂と王手で押さえる。
▲37玉に、△55香と退路を塞いで、▲57歩に△45桂右で、あざやかに決めた。
これが大山のディフェンス網を突破するために磨き上げた、
「中原の桂」
▲45同歩、△同桂、▲同香と取らせると▲47の地点が開くのがポイント。
単に△36金と打つと、▲48玉、△37金打に▲58玉から左辺に逃げられるが、△36金打、△47金打と追えばそれができない。
そのまま寄せ切って、中原が王位防衛を果たすのである。
(中原の軽やかな桂使いと言えばこれ)
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