久しぶりに椅子対局を見た。
先日放送されたNHK杯3回戦の渡辺明九段と佐藤康光九段の一戦は、ふだんの正座ではなくチェスのようにイスとテーブルで指されたのだった。
渡辺が足を痛めていたための配慮で、将棋の方はバーディー振り飛車から熱戦となったが、観戦しながらひとつ気になったことがあった。
「これ、佐藤康光が《椅子とかダメですよ》って言ったら、どうなるんだろう」
NHK杯の規定はどうか知らないが、こういう変更は、基本的には両者が合意が必要であろう。
そりゃ、そこを「アカンよ」などと言うとスタッフも困るだろうし、A級順位戦をのような大勝負を戦いきれなかった渡辺の様子を見ると、おそらくは不戦敗ということになるだろう。
視聴者もガッカリだし、差し替えの番組はどうするのとか「空気読んでよ」とはなるだろうけど、
「自分はどんな相手にも全力を尽くしたいので、敵に塩を送る行為は御免こうむりたい」
と言われれば、それはそれで一理あるのではないか。
まあ、現実にはそんなのは空気的にできないだろうし、佐藤康光は角を立てるタイプではないし、そもそも今ならたぶん炎上待ったなしだ。
さすがにそれはないよねー、となりそうなところだが、実は過去に「アカンよ」を果敢に言った棋士がいたのである。
それは将棋ではなく、お隣の囲碁の世界だが、1986年の第10期棋聖戦でのこと。
趙治勲棋聖に小林光一名人(天元・十段)が挑戦したシリーズだったが、開幕前に大きなアクシデントがあった。
なんと趙治勲が不運な交通事故に見舞われ、全治3か月の大ケガを負ってしまったのだ。
ほとんど全身を骨折し、まともに歩くことすらできない状態で、当然七番勝負は延期か中止かと思いきや、趙治勲は打つと言って聞かない。
正直、ケガのことを考えれば悔しくても休んだ方が良いと思うし、周囲もいろいろ気を使って大変だけど、タイトル保持者がそう言うなら仕方がない。
結局、押し切られる形で開幕となったが、車椅子に乗ってはさすがに畳対局はできないので、両者椅子に座っての勝負となった。
もちろん小林もこの変更をこころよく引き受けたが、あにはからんや。
なんとこの第1局を勝ったのは趙治勲だった。
「すげーなー」とビックリなエピソードだが、実は本題はここから。
このあとの第2局を返してタイに戻したところで、小林がこう申し出たのだ。
「ここからは畳で対局したい」
まだ傷が癒えておらず、両足に左手もギブスという状態で畳に座って対局など、とてもできるはずがないが、小林もそこはゆずらなかった。
現に第1局は趙治勲が勝っているし(ちなみに第3局も趙治勲が勝利)、碁の内容もすばらしいものがある。
なら、なぜ自分だけが妥協した状態で戦わなければならないのか。
この強敵に勝つにはベストの状態でやるしかないし、要求が規定に違反しているわけでもないのだから。
小林の言い分に外野の意見は色々あろうが、「勝負師」の観点から見れば筋は通っている。
実際、囲碁も強かった将棋のプロ棋士である河口俊彦八段もその著作の中で(改行引用者)、
これをもって、小林光一は意地悪な男だ、という人はいないだろう。勝負師らしくすっきりと割り切れている。
何人といえども緩めたりせず、全力で倒すぞ、の心意気が感じられるではないか。
実際は、あれこれ言う人は「いる」と思うけど、趙治勲自身は小林の闘志と正直さには心を打たれたというから、戦いの場に身を置くものと、われわれの感覚は少し違うのかもしれない。
もし自分が小林の立場だったら、やっぱり「言う」のが正解だとは思う。
それはもちろん勝つためでもあるし、また万一負けたときに
「言っておけばよかった……」
「仮に通らないとしても、結果負けるとしても、モヤモヤをかかえたまま対局すべきではなかった……」
と後悔するのがイヤだからだけど、それでも言えるかどうかといえば、むずかしいところはある。
佐藤康光のように、「相手の要求を受け入れたうえで勝つ」がベストなのはわかってるけど、結果は自分だけでコントロールできないからなあ。
ただ、これも河口の筆によると、
「勝負事はこういうケースで、堂々と主張したほうがたいてい勝って、不満を飲みこんでガマンしたほうが負ける」
棋聖戦の方は小林が4勝2敗で奪取。
たしか藤井猛九段なんかも、ここまで大きな話じゃないけど、タイトル戦で気になることがあったとき、しっかり主張できたことが勝利につながったという話をしていたことがあった。
見ている方にはいろいろ意見はあれど、たとえ何を言われても勝負の世界では小林流が「正解」なのだろう。
でもやっぱ、言えるかどうかは、むずかしいよねえ。