中飛車というのは、明るい戦法である。
大砲を戦場の中心にそえ、5筋から戦っていくというのは発想に曇りがなく、なんとも「健全」な戦い方に見える。
なんて思ってしまうのは、子供のころに読んだ本の影響かもしれない。
はじめて買ってもらったのが、中原誠名人の『絵とき将棋入門』と原田泰夫九段の『将棋 初段への道』だから、たぶんどっちかに載ってたと思うんだけど、こういう局面。
なんてことない序盤戦だが、子供時代のシャロン少年は次からの手順に度肝を抜かれたのである。
▲55歩、△同歩、▲同飛(!)。
なんと、いきなり中央の歩を交換したのである。
中飛車をドーンと活用しながら王手にもなって、それこそ当時の私のような初心者には爽快この上ないが、同時に「待てーい!」ともなったもの。
そう、この地点には後手の角が利いていて、△55同角と取られてしまうのだ。
かろうじて、駒の動かし方をおぼえただけのガキンチョには意味不明だったが、△55同角には▲同角と取り返す手が、飛車取りと▲11角成が両ねらいで、すでに先手が優勢なのだ。
これには「ほえー」と子供ながらに感嘆して、
「中飛車って、ノリがええ戦法やなー」
すっかり感動してしまったのだ。
まあ、こんな感じで、ビギナーはだいたい中飛車が好きだと思うけど、これが時代によってイメージする図がちがってたりする。
今なら中飛車といえば、基本は「ゴキゲン中飛車」。
先手番なら5筋位取りの中飛車にできるから、さらにいい感じ。
この▲56銀型に組めれば、まだ序盤なのに「負ける気せんね」と言いたくなる達成感。
角道を止める振り飛車が好きな人は、矢倉規広七段考案の「矢倉流中飛車」を指すかもしれない。
ノーマル中飛車から、足早に銀を繰り出して先手に▲66銀型を、強制させるのが「矢倉流」のねらい。
後手はここから△42飛と振り直して(最初から四間飛車にすると△64銀型が作れない)、△45歩からゆさぶり、穴熊を牽制していく。
これは余談だが、この「矢倉流」と似た名前に「矢倉中飛車」という戦法もあってややこしい。
振り飛車ではなく矢倉急戦模様から飛車を中央に持ってくるのが「矢倉中飛車」。
「固さが正義」だった平成将棋界では、玉がうすいので「勝ちにくい」とされたが作戦としては有力。
こうした進化系もあるが、昔の中飛車といえばこれはもう「ツノ銀中飛車」で、金を左に上がる形をよく見た。
金銀の配置が美しく、上部に手厚い形で急戦にも強い。
よく、
「初心者の方には四間飛車がオススメ。駒組が簡単で、すぐにおぼえられますよ」
なんてプロがすすめたりするけど、あれってホントかなあと思うこともある。
そりゃ、飛車振って美濃に囲うだけなら簡単だけど、棒銀とかで来られたときに対応するのって、結構初心者にはハードルが高い気がするのだ。
たとえば、▲35歩に△同歩と取らないところとか、手順としてはマニアックだし、△45歩のタイミングとか、「さばく」とか、ムズくね?
実際、私の経験でも級位者の振り飛車は急戦で行けば、簡単に勝てたりしたものだ。
その点、ツノ銀中飛車は▲78の金が頼もしくて、なかなかつぶれないところがポイントで、むしろ初心者はこっちではないかと。
ただ、これが個人的には、このツノ銀中飛車には、あまり良い思い出がない。
というのも、木村美濃がうすすぎて、互角のさばき合いになると舟囲いにすら固さで負けてしまうから。
私は飛車を振ったら、テキトーにさばかれて(さばくとか、さばき合うではない)、あとは美濃囲いの耐久力にモノを言わせて、ねばりまくって逆転という戦い方だったので、ペラペラの陣形はつらいのだ。
昭和のころですら居飛車穴熊相手に、あまりに勝ちにくいということで、大山康晴十五世名人、大内延介九段、森雞二九段あたりがたまに指す程度の「消えた戦法」になっていた。
中飛車の復活は、その後の「ゴキゲン中飛車」の大ブレイクや、なにげに優秀な「矢倉流中飛車」登場まで待たなければいけないのだから、プロの世界はシビアである。