ランドセルが今も生き残っている謎について、大いに邪推

2016年02月25日 | うだ話

 「ランドセルが生き残ってるのは、《男気》のおかげやろうな」

 唐突に、そんな意味不明なことを言い出したのは、友人マツムシ君である。

 なぜマツムシ君が、そのような話を切り出したのかと問うならば、なにげなくつけていたテレビから、ランドセルCMが流れたからであった。

 それを見て私が、

 「ふーん、今どき、ランドセルしょってる子供もおるんや」

 なにげなく、口にしたわけだ。

 ランドセル。なんであんな前時代的なものが、今でも幅を利かしているのかなのである。

 私が小学生だった昭和の終わりごろでも、ランドセルといえば子供には不評であった。

 低学年ならともかく、物心ついてくるとデザインは画一的でダサイし、重いし、それほど機能的とも思えない。

 おまけに、なにげに高い。だから女の子などは5年生くらいになると、ランドセルではなく、おしゃれなマイバッグで登校していたものであり、先生も特にとがめだてもしなかった。

 まあ、こういうのは

 「大人の事情

 「癒着

 「既得権

 といったものが、からんでいるのだろうが、少なくとも私の周囲で「ランドセル、サイコー!」という声は、まず聞いたことがなかった

 そんなんだから、昔ともかく、今ではとっくに駆逐されてるものだと思っていたが、そうではないようだ。

 それどころか、子供のいる友人に連絡して聞いてみると、



 「最近はランドセルによって、親の所得がはかられるんや。安物を背負っていったら、子供がいじめられたりすることもあるんやて」



 たかがランドセルで、格差をうんぬんされるのも業腹だが、それにつけこんで、

 

 「いじめられたくなかったら、高い品を買え!」

 

 とかカツアゲする業界も、なんだか生臭くてイヤである。

 ただまあ、実際に子供がいる家ではそう脅されると、安易に「あんなん、安モンでええねん」とは言いにくいのだろう。

 独身貴族にはわからないが、子育てというのは大変なことであるなあ。

 ということで、結論としてはランドセル業界の恫喝、もとい企業努力のおかげであろう、と結論がいったんは出そうになったわけだが、そこでマツムシ君は柔らかい笑みを浮かべながら

 「シャロン君、そこで終わらせるとはキミらしくないな。ちょっと思慮が浅いんとちゃうか」。

 らしくない、といわれても「商売人の事情」以外、特に他の理由も思い浮かばないわけだけど、なにかあるのかいと問うてみるならば友は、



 「オレにはわかったで、このカラクリが」



 ずいぶんと自信満々である。

 とここで、私は巻いたフンドシをしめ直し、気合を入れることとする。

 どうやら、友は本当にひらめいたらしい。目がよこしまに光っているのだ。

 ここに伝えておくと、私とマツムシ君は



 「森羅万象、世の中のことを下世話に邪推する」



 ことを旨とする「邪推会」という組織を結成しており、そこではそんな通り一辺倒の結論などゆるされないのである。

 世の中を楽しむには、「ゆがんだ発想で世界と対峙する」ことが大切なのだ。

 そんな邪推のエース、ことマツムシ君がビシッと断言することには、



 「ランドセルが今でも現役なんて、そんなもん学校に【男らしいヤツ】が、いてるからに決まってるやんけ!」




 (続く→こちら




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする