将棋 端角の鬼手と不思議流 中村修vs先崎学 B級1組順位戦

2019年04月29日 | 将棋・好手 妙手

 「この手をマネしたい!」

 そう心を揺さぶられる手というのがある。

 前回の加來博洋アマによる詰将棋のようにトリッキーな返し技や(→こちら藤井聡太の見せるアッという詰み筋。

 郷田真隆の豪胆な踏みこみに、菅井竜也のアイデア満載の振り飛車などなど枚挙に暇がないが、私の場合はこれだ。

 「大駒を捨てる豪快な寄せ」

 私はめったに自分で指すことはない、なまけた将棋ファンだが、たまに遊ぶと

 「ねばりまくって逆転勝ち」

 これしか、勝ちパターンがないことを自覚させられる。

 要するにセンスがないのだろうが、自陣に駒を埋めて

 「投げない根性」

 をトモダチにひたすらクソねばりに身をやつしていると、そのしつこさと未練がましさを悪友たちはイジりまくりで、



 「靴底のガム」

 「インドの物乞い」
 
 「捨てられかけてるヒモ男」


 あまつさえ米長「泥沼流」ならぬ、

 

 《スターリングラード流》

 

 などという、ありがたくもないニックネームを、つけられたりしたものだった。

 そんな塹壕戦で勝負するタイプには、「豪快さ」はあこがれの対象で、たとえばこんな手を指してみたい。

 


 1999年、第58期B級1組順位戦の4回戦。

 中村修八段先崎学七段の一戦。

 後手の先崎が低い陣形から仕掛け、「受ける青春」中村修がそれを迎え撃つ。

  
 

 

 中盤戦。手番の後手は、△96同飛と取りたいが、それには▲97香がおなじみの形で、飛車がお亡くなりに。

 飛車がさばけないなら、▲73と金の存在が大きく、先手が受け切れそうだが、ここで先崎にねらっていた手があった。

 

 

 

 



 △97角と、タダのところにいきなり投げこむのが、「天才先崎」が魅せた一着。

 ▲97の空間を埋めつぶす意味で、▲同桂には△96飛と取って、▲97への打ちがない。

 

 

 △96飛▲98歩と受ければ、△76歩△75香で攻めが続く形だ。

 あざやかな一撃で、クリティカルヒットが入ったかに見えたが、どっこい、これに対する中村の応手もすごかったのだ。

 

 

 


 

 

 ▲69玉と逃げたのが、これまた腰を抜かす一手。

 取れるを無視して、「あばよ」と王様を寄る。

 そんな手が、あるんでっか。いや、あっても普通は指さないよ。

 これこそが「不思議流」中村修の将棋である。

 中村からすれば、取ればつぶされるから逃げるだけで、別におかしいともなんとも思わなかったろう(事実、先崎はこう指されると思っていたそうだ)。

 「取る一手」しかないように見えるところを、涼しい顔でこういう手が指せる。

 これが、かつて王者中原誠を破り、王将位を獲得した異能感覚である。

 以下、△96飛▲99香△79角成、▲同玉、△99飛成と敵陣突破を果たすが、そこで▲88角とまたも受けて激戦。

 

 

    

 

 そこからも、順位戦らしいゴチャゴチャした攻防が続いたが、最後は後手勝ち。

 これで1敗をキープした先崎はその後、8勝3敗の好成績で、見事A級昇級を決めるのだ。 

 先崎はその実力にもかかわらず、C級2組8年も停滞していたが、その後はC1で一度だけ頭ハネを食らった後、B2、B1を1期で駆け抜けた。

 ちなみに、その間の成績も、8-27-38-28-26-49-17-39-1(C1昇級)、8-29-1(B2昇級)、9-1(B1昇級)、8-3(A級昇級)で7割9分3厘という、すさまじい高勝率だった。

 8割ペースで勝ち続けて、一番上に行くまで12年もかかってしまう。

 当時の先崎の強さと、Cクラスが肥大化した順位戦のひずみが、実によく現れた結果であると言えよう。

 

 (羽生善治の初タイトル獲得編に続く→こちら

 (先崎学のC2時代の苦戦ぶりは→こちら

 

  

コメント
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