「人生が変わった」大一番 二上達也vs大山康晴 1960年 第10期九段戦

2024年07月04日 | 将棋・名局

 「大げさに言えば、自分の人生が変わった」


 

 ある将棋を振り返って、こんな言葉を残したのは二上達也九段だった。

 将棋の世界には、

 

 「ここで、この人が順当に勝っていたら歴史は……」

 

 という瞬間があり、「高野山の決戦」で起こった、サッカクイケナイヨクミルヨロシ無しの大トン死に、大内延介▲71角

 谷川浩司羽生善治の運命が分かれた、第5期竜王戦第4局

 永世七冠」をかけ、「100年に1度の大勝負」と呼ばれた第21期竜王戦最終局

 などなど、コアなファンなら「あー」と頭をかかえるシーンも思い出されることであろう。

 最近では、ついに八冠王の牙城が崩れた叡王戦

 最終局の結果は正直、藤井にとっては勝っても負けても、長いキャリアの中ではそれほどの影響はないかもしれない。

 一方、初タイトルとなった伊藤にとっては、人生を左右する一番となったのは間違いないところだ。

 往年の名棋士であった、二上にもまたそういう将棋があったというわけで、今回はその一局を。

 

 


 舞台は1960年

 昭和でいえば35年に戦われた、第10期九段戦(今の竜王戦)第7局

 このとき大山康晴九段(というとノンタイトルのように聞こえるけど「竜王」です)に挑んだのが、若手時代の二上達也八段

 大山が36歳で、二上が28歳

 これがのちに多く戦われる2人の、タイトル戦における初対決となっているのだ。

 大山はと言えば、このころすでに九段にくわえて、名人王将もあわせ持つ三冠王(当時の全冠制覇)の絶対王者だったが、それを追う立場にいたのが二上だった。

 デビューからの二上の評価はと言えば、

 


 「大山を倒して名人になるのは二上だろう」


 

 と予想されていたほどの期待だった。

 このフレーズは後ろに、


 


 「だが意外に時代は短く、加藤一二三が次の名人になる」


 

 と続くのだが、これは加藤一二三が超別格の存在だったからであって、決して二上が、みくびられていたというわけではない。

 実際、無敵の名人だった大山から「奪取する」と思われていた二上の実力こそ、ここでは見るべきだが、その予測がすべて崩れ去ったのが、この九段戦の結果だったというのだ。

 3勝3敗でむかえた最終局。大山の振り飛車に、二上は棒銀で対抗。

 鈴木宏彦さんと藤井猛九段の共著『現代に生きる大山振り飛車』という本によると、大山は二上の持つスピード感に苦戦していたそうだが、ここでは先手の棒銀をあれこれといなし、序盤からペースを握っていく。

 

 

 

 

 飛車が働いておらず、敵陣のと、と金も少しばかり重く見え、居飛車の攻めはやや空振り気味。

 後手からは拠点や、と金タネになりそうなの存在も不気味。

 振り飛車がさばけているように見えるが、ここからの大山の指しまわしが、独特ともいえるものだった。

 

 

 

 

 ここで△35桂と打ったのが、おもしろい手。

 正直、もっさりしていて、あんまり良い手には見えないのだが、「大山将棋」というものについて語るのに、注目したい一着なのだ。

 ここでは△56歩として、次の△55桂をねらうのが有力で、たしかにそれが「本筋」という気もするが、解説の藤井猛九段いわく、

 


 「手の善悪は別にして、△35桂は大山好みの桂打ちでもあります。大山先生の桂使いは意外に重い感じで使う手が多い」



 重く使う、という発想が不思議な感じ。

 桂馬という駒は、その瞬発力で相手の虚を突くのが、もっとも使い出があるはずだが、それをあえてベタッと貼りつけるのが、まさに個性である。

 そういえば、「打倒大山」を果たして名人位を奪うことになった中原誠十六世名人は、「桂使いの中原」と呼ばれたが、

 


 「大山先生の金銀のスクラムは、ふつうに攻めても破れないから、そこを突破するために桂のトリッキーな動きを磨いたんだ」



 同じ大名人だが、駒ひとつ取っても、まったく反対の思想で働かせているというのが興味深い。

 ただ、藤井九段も「善悪は別にして」という通り、この桂自体は緩手だったようで、▲65歩から▲97角と鋭く活用し、先手も反撃を開始。

 

 

 

 

 先程とくらべて飛車角が軽く、また▲64拠点から駒が入れば好機に打ちこみもあり、ここではかなり先手が巻き返している。

 このあたり、「北海美剣士」と呼ばれた二上による、見事な太刀返しだが、それを受けての大山の手がまたすごい。

 

 

 

 

 △26歩と、じっとのばすのが、またも「大山流」の一手で、これも藤井九段いわく、

 


 「この忙しい局面でじっと飛車先の歩を伸ばすのはすごい。自分には絶対に指せない」 



 大山自身の解説では、

 


 「ここでは△26歩か、△94歩で、敵の攻めを急がせるよりない」


 

 難解な局面でを渡し、悪手疑問手を誘うのは、心理戦に長けた大山にとって得意中の得意という勝負術。

 ここでおもしろいのは、大山将棋の後継者ともいえる藤井猛九段は、こういう指しまわしを見せないこと。

 「自分には絶対に指せない」という通り、藤井は

 

 「ガジガジ流」

 「ハンマー猛」

 

 と呼ばれる、パンチの効いた直接手が特徴で、むしろ大山が重視せず、あいまいにしていた序盤作戦などを整理し、吸収していた。

 こういう△26歩のような手を得意としたのは、藤井のライバルである羽生善治九段

 その意味では、大山将棋の技術的な後継者は藤井だが、精神的なそれは羽生になるのかもしれない。

 ちなみに、藤井聡太七冠伊藤匠叡王をはじめ、現代の棋士はおそらく、すでに「言語化」された、これらの勝負術を修行中から身につけていると思われ、発見技術はこうして受け継がれていくのだろう。

 

 (続く

 

 


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