「大げさに言えば、自分の人生が変わった」
ある将棋を振り返って、こんな言葉を残したのは二上達也九段だった。
将棋の世界には、
「ここで、この人が順当に勝っていたら歴史は……」
という瞬間があり、「高野山の決戦」で起こった、サッカクイケナイヨクミルヨロシ無しの大トン死に、大内延介の▲71角。
谷川浩司と羽生善治の運命が分かれた、第5期竜王戦の第4局。
「永世七冠」をかけ、「100年に1度の大勝負」と呼ばれた第21期竜王戦最終局。
などなど、コアなファンなら「あー」と頭をかかえるシーンも思い出されることであろう。
最近では、ついに八冠王の牙城が崩れた叡王戦。
最終局の結果は正直、藤井にとっては勝っても負けても、長いキャリアの中ではそれほどの影響はないかもしれない。
一方、初タイトルとなった伊藤にとっては、人生を左右する一番となったのは間違いないところだ。
往年の名棋士であった、二上にもまたそういう将棋があったというわけで、今回はその一局を。
舞台は1960年。
昭和でいえば35年に戦われた、第10期九段戦(今の竜王戦)第7局。
このとき大山康晴九段(というとノンタイトルのように聞こえるけど「竜王」です)に挑んだのが、若手時代の二上達也八段。
大山が36歳で、二上が28歳。
これがのちに多く戦われる2人の、タイトル戦における初対決となっているのだ。
大山はと言えば、このころすでに九段にくわえて、名人と王将もあわせ持つ三冠王(当時の全冠制覇)の絶対王者だったが、それを追う立場にいたのが二上だった。
デビューからの二上の評価はと言えば、
「大山を倒して名人になるのは二上だろう」
と予想されていたほどの期待だった。
このフレーズは後ろに、
「だが意外に時代は短く、加藤一二三が次の名人になる」
と続くのだが、これは加藤一二三が超別格の存在だったからであって、決して二上が、みくびられていたというわけではない。
実際、無敵の名人だった大山から「奪取する」と思われていた二上の実力こそ、ここでは見るべきだが、その予測がすべて崩れ去ったのが、この九段戦の結果だったというのだ。
3勝3敗でむかえた最終局。大山の振り飛車に、二上は棒銀で対抗。
鈴木宏彦さんと藤井猛九段の共著『現代に生きる大山振り飛車』という本によると、大山は二上の持つスピード感に苦戦していたそうだが、ここでは先手の棒銀をあれこれといなし、序盤からペースを握っていく。
飛車が働いておらず、敵陣の銀と、と金も少しばかり重く見え、居飛車の攻めはやや空振り気味。
後手からは拠点や、と金のタネになりそうな歩の存在も不気味。
振り飛車がさばけているように見えるが、ここからの大山の指しまわしが、独特ともいえるものだった。
ここで△35桂と打ったのが、おもしろい手。
正直、もっさりしていて、あんまり良い手には見えないのだが、「大山将棋」というものについて語るのに、注目したい一着なのだ。
ここでは△56歩として、次の△55桂をねらうのが有力で、たしかにそれが「本筋」という気もするが、解説の藤井猛九段いわく、
「手の善悪は別にして、△35桂は大山好みの桂打ちでもあります。大山先生の桂使いは意外に重い感じで使う手が多い」
桂を重く使う、という発想が不思議な感じ。
桂馬という駒は、その瞬発力で相手の虚を突くのが、もっとも使い出があるはずだが、それをあえてベタッと貼りつけるのが、まさに個性である。
そういえば、「打倒大山」を果たして名人位を奪うことになった中原誠十六世名人は、「桂使いの中原」と呼ばれたが、
「大山先生の金銀のスクラムは、ふつうに攻めても破れないから、そこを突破するために桂のトリッキーな動きを磨いたんだ」
同じ大名人だが、駒ひとつ取っても、まったく反対の思想で働かせているというのが興味深い。
ただ、藤井九段も「善悪は別にして」という通り、この桂自体は緩手だったようで、▲65歩から▲97角と鋭く活用し、先手も反撃を開始。
先程とくらべて飛車角が軽く、また▲64の拠点から駒が入れば好機に打ちこみもあり、ここではかなり先手が巻き返している。
このあたり、「北海の美剣士」と呼ばれた二上による、見事な太刀返しだが、それを受けての大山の手がまたすごい。
△26歩と、じっとのばすのが、またも「大山流」の一手で、これも藤井九段いわく、
「この忙しい局面でじっと飛車先の歩を伸ばすのはすごい。自分には絶対に指せない」
大山自身の解説では、
「ここでは△26歩か、△94歩で、敵の攻めを急がせるよりない」
難解な局面で手を渡し、悪手や疑問手を誘うのは、心理戦に長けた大山にとって得意中の得意という勝負術。
ここでおもしろいのは、大山将棋の後継者ともいえる藤井猛九段は、こういう指しまわしを見せないこと。
「自分には絶対に指せない」という通り、藤井は
「ガジガジ流」
「ハンマー猛」
と呼ばれる、パンチの効いた直接手が特徴で、むしろ大山が重視せず、あいまいにしていた序盤作戦などを整理し、吸収していた。
こういう△26歩のような手を得意としたのは、藤井のライバルである羽生善治九段。
その意味では、大山将棋の技術的な後継者は藤井だが、精神的なそれは羽生になるのかもしれない。
(続く)