前回の続き。
大山康晴九段(竜王)に、二上達也八段が挑戦した1960年の、第10期九段戦(今の竜王戦)。
3勝3敗のフルセットに持ちこまれた最終局は、大山得意の振り飛車から、急戦を封じこめ優位を築くも、二上も鋭い反撃を決め逆転模様。
控室の検討でも「二上優勢」との声が多数を占め、二上が王者の牙城をくずすのか、と盛り上がりを見せる。
▲63金の打ちこみが、俗筋ながら、きびしい攻め。
次に▲53とや、角を取って▲35角や、いいタイミングで▲36飛と走るねらいなどあって、後手が喰いつかれている。
下から突き上げる若手が、初タイトルに大きく近づいたかと思われたが、ここから大山も本気を出してくる。
△47銀と打ったのが、これまた大山流の一手。
押され気味のところと言えば、なんとか主導権を奪い返そうと勝負手を放つなどしそうなところ。
どっこい大山は、静かに先手の飛車を封じこめて、またも手を渡しておく。
ピンチでも、こうしてブレないところが大山の強さで、こうしてジッと次のチャンスを待つのだ。
この辛抱に、とうとう二上が誤った。
▲88玉、△35角、▲73金、△同玉に▲57桂がチャンスを逃した手。
▲57桂では▲77桂とこっちを活用し、△64金、▲65歩、△63金、▲75角として、桂を持駒に残したまま戦えば、ハッキリ優勢だったのだ。
一瞬のゆるみを見逃さず、またも大山が、そのねばり腰で差を詰める。
少し進んでこの場面。
先手が▲44歩と、飛車と角の利きを遮断したところ。
ここからの2手が、本局の白眉だった。
△74金打が「受けの大山」本領発揮の手厚い手。
今なら、永瀬拓矢九段のような「負けない将棋」だが、たしかにこれで後手玉が相当に固くなり、かなり負けにくい形だ。
二上は▲66角と逃げるが、次の手がまたすごい。
△73金引。
この金銀のマグネットパワーで、後手玉は鉄壁に。
大山将棋の大きな特長に、
「金や銀がよく動き、自然に玉周りに近づいて行く」
というものがあって、私も初めて棋譜を並べたとき、素人ながら、この手には感じるものがあった。
得意な展開に、気をよくしたのか大山も、
「ここではこちらがよくなったように思いました」
この手は二上にも、大きな衝撃をもたらしたようで、
その後、王将、棋聖と一度ずつ勝てたものの、部分的に過ぎない。
今にして思えば十五世と私の勝負付けがすんだのは、たった一手の△7三金引にあった気がする。
ただ、これで勝負が決まったというほどの差でもなかったのは、ここから二上もさらに力を見せたから。
この後も両者力の入ったねじり合いで、どっちが勝ちかわからない局面が続く。
しかも、当時の九段戦は1日制で持ち時間8時間(!)というムチャな設定。
対局は、深夜3時になっても指し続けられていたというのだから(すげえな……)、もはや好手悪手なんて言ってられないジャングル戦に突入だ。
いつ果てるともなく戦いは続いたが、最後の最後で先手に致命的なミスが出て、激戦は大山が制した。
こうして二上達也は敗れた。
将棋の内容を見れば勝機も多く、決して大名人におとるところはないように感じられるが、
「人生が変わった」
とまで述懐するのは、それゆえにショックだったか。
それとも棋譜だけでは伝わらない、大山のオーラのようなものを感じたのかもしれない。
その後、二上は名人になれなかったどころか、大山相手に通算で45勝116敗。
タイトル戦ではなんと、シリーズ2勝18敗と、信じられないようなカモとして、あしらわれてしまう。
もし二上がこの将棋を制して(内容的にその可能性は充分ありえた)、「人生が変わ」らなかったら、どうなっていただろう。
歴史は順当に「二上名人」を生み、その後すんなりと「加藤名人」が誕生していたのだろうか。
だとすれば、この一局は単にタイトルの行方だけでなく、その後の多くの棋士たちの「人生が変わ」った分岐点だったのかもしれない。
(大山が二上に披露した盤外戦術はこちら)
(「受けの大山」は攻めも一級品)
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