青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

逆、「おくりびと」

2009年04月03日 | 短歌に政治や社会
反対派住民が斎場封鎖、ガラス戸破損容疑で逮捕者も…高岡(読売新聞) - goo ニュース

アカデミー賞受賞作品である「おくりびと」という作品は、今日ちょっとした話題をさらっていた。
私などは車椅子生活者だから観劇に言ったことは無いが、解説記事などでうわさを聞いている。そして「何故こう言う作品」に、根がひねくれ者だから、人々が感動したり感激するのか不思議に思えて仕方がなかった。

現実にこう言うニュース記事に接すると、まったく「おくりびと」の作品を賞賛している人達は「おめでたい、お人よし」な人々だと感じてしまう。
どんなに亡き人に尊厳を持っても、斎場で埋葬するのは、近いところではできなくなっている。
近くに斎場があると、みんな嫌がるからだ。それで遠地の斎場へ「お願い」という事になるが、そこの地域も「近くに斎場があってはたまらない」という。

今後は亡くなられて遺体となっても、そのままに置かれざれざるを得なくなるかもしれなくなる。あるいは、「ゴミ袋に入れて・・・・」なぞとーーーー。
そうすると「遺体遺棄」という罪になると、遺体の行き場がなくなってくる。

こうして「逆、おくりびと」になる。
人々の「エゴ」ばかりにより、折り合いや譲り合いが付かないままに、人々の「心」ばかりが荒んでゆく。
「おくりびと」というような作品に見入るよりも、現実を直視して、正しき人の歩みの道を探していったほうが大切だろう。
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