青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

引導力 (4)

2009年04月21日 | 人生設計
林被告の死刑確定へ=発生から11年、上告棄却-和歌山毒物カレー事件・最高裁(時事通信) - goo ニュース

また、騒がしい。
こういう様な事があると、「ワーッ」と騒がしくなる。まるで、また「北朝鮮がロケット発射」したみたいに、喚きふためいている。

裁判でこんな判決が出ようと、被告が罪状を否認したままでいようと、「毒物カレー事件が発生した」という事実は、ある。と同時に、そうした事件が起こったという社会環境があるという、事実もある。
だから、この裁判の事や被告の事であれこれ騒いだとても、この元になっているともいえる「社会環境」の改善や是正をしようともしないで、ただいたずらに騒げばよいというものでは無い。

今日の社会は、この裁判で見られるような事件や通り魔事件、幼児殺害事件、そうした忌まわしい事件ばかりでなく「少子高齢化社会」の進行に伴う色々な問題や格差社会から、非常に大きな歪みに歪んでいる。
この歪んだ社会を改善し是正しなければならないのだが、政策責任者たちは「景気拡大、経済成長」ばかりに熱心になっている。
まるで「内懐に爆弾だかえ」て、それは「不発弾」をそのままに、その上に豪邸を建てようとしているようなものである。
何はさて置き、不発弾の処理を最優先すべきなのに、豪邸を建てれば、不発弾は独りでに処理されると思っているらしい。

「景気拡大、経済成長」というけれども、人間というものは、豊かになると働かないようにできている。働くのは、貧しいからだ。貧しいからこそ、働く。
経済学者は、経済は「供給と需要によって決まる」と言っているらしいが、これは間違っている。
無論、こう言うのは私の素人論だが。

いずれにせよ、社会の安定が無ければ、いつまでも爆弾を抱えたままになる。どんなに豪邸に住んでいても、家庭内がもみくちゃになっていては、自慢にもなりはしない。

社会の改善と是正を優先する、「引導力」が求められる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引導力 (3)

2009年04月21日 | 人生設計

エコカー買い替え「今がチャンス!」…試乗会で麻生さん(読売新聞) - goo ニュース

私は障害者でもあるので免許を持っていないが、家族は「エコカー買い替え」を希望している。「エコカー」ばかりでなく、「太陽光発電施設」や、「省エネエアコン、冷蔵庫、液晶テレビ」など、補助が付くものは買い替え、欲しいものばかりだ。

しかし、である。
いくら補助が付いても、「自己負担金」となる「お金」が無い。だから、いくら「チャンス・・・」といわれても、貧乏人達は、「指をくわえ」ているしかない。
いくら「エコポイント」が付くといわれても、である。


まるでこういう仕組みは、富裕族のためのものであって、貧乏人を羨ましがらせ、ねたまらしがらせ、コケにしているようなものである。
政策責任者の視線は、下々の方を向いていない。

そこに「引導力」の無さ、がある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引導力 (2)

2009年04月21日 | 人生設計
笑顔振りまきフル回転=五輪招致へ並々ならぬ意欲-IOC評価委視察で石原都知事(時事通信) - goo ニュース

皆さん、よく判りましたか  ?
一頃「非正規社員、派遣社員」などが解雇されて人々を雇用救済を叫んでいたり、「妊婦救急たらい回し死亡事故」や、「年金問題、後期高齢者医療問題」などに取り組む姿勢を見せていたが、そういうことにもっと資金をつぎ込まないで、「オリンピック」につぎ込もうとしています。
それも「東京一極集中」みたいなもので、ますます地方との格差が広がります。

こう言う風に、政治や官界は「引導力」を見せません。
覚悟しなければならないようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引導力 (1)

2009年04月21日 | 人生設計
中川前財務相「核には核で」(産経新聞) - goo ニュース

この人が、

「純軍事的に言えば核に対抗できるのは核だというのは世界の常識だ」と述べ、日本として核武装を議論すべきだとの考えを表明した。

こんな事を言うのは、実体性を知らない事にある。
尤も、こうしたことは、この人に限らない。「防衛力増強」とか「自衛」とか言うものの、尤も恐るべき相手がいるのを知らない。その「尤も恐るべき相手」に対して、私達はどれほどに無力なの者でしかない、という事に気が付かない。
だからこんな事を、言っていられる。

「もっとも恐るべき相手」とは、どういう相手かというと、それは誰にでも必ず訪れる「死」である。
この「死」に対する、心構えを持っていないから、「核に対して核を」なんて言っていられる。

そうしていられるのは、「引導力」を、持てないからである。
では「引導力」とは・・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする