青い鳥の世界へ

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頼る

2011年11月04日 | 短歌に政治や社会

支給開始年齢引き上げ案の先送りは泥沼化の序章?年金の「100年安心」と引き換えに国民が覚悟すべきこと(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

今日の我々人間は、「独立心、自立心」が無くなっている。
「独立心、自立心」が無くなっているから、他のものを頼り依存してしまう。

「年金制度」とは、本来は「共助」に基づく制度だったはずだ。
しかしこうした「共助」の精神が、「国民同士の共助」であるべきはずのものが、それを運営し立案する「政治」という者が、この「共助」自体を、我がもののように取り扱っている。
即ち、政治」というものが、この「共助」と乖離していて、一体化していない。
これは国民の立場、目線に立っていないからで、その反対の「政治家、官僚」などの都合の目線におもねっている。
だから年金制度を「支給年齢の引き上げ、保険料の引き上げ、年金額の減額」などという方策をとり、その上に「消費税増税」を打ち出して、つじつまを合わせようとしている。
このつじつまを合わせようというのは、「政治家、官僚」などの国家公務員の年金には、少しも影響を受けないように配慮しての方策で、国民に負担の全部を負わせてしまういうやり方になっている。
これは政治家や官僚が、国民を頼りにしていることを意味する。しかし頼りっぱなしで、国民に辛苦ばかりを押し付けるのを頼りにしていながら、自分たちは親方日の丸暮らしに夢中になる。

原発問題も、都市部が辺地に「頼る」ことで大都市とて繁栄できた。
ところがこうして辺地の過疎地のおかげで繁栄させてもらっているのに、過疎地や辺地の人たちの事を「ダサい、田舎っぺ」と言って蔑む。
この「田舎っぺ、ダサい」人たちを頼らずして、自分たちは「安心安全」な生活もできない。

そんなに過疎地や辺地の人々を「田舎っぺ、ダサイ」というなら、「電気、水道、」などのライフラインは、地だけに限定消費とし、他地区への配電はしない方が良い。

金融危機も、相手国に頼るがあまり、国債償還ができなくなって現れたれ現象といえる。
企業同士、政府の中央銀行が他国の債券を購入したりして「頼り」に答えられにも、現界があることを示しいる。

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