首相、10日にもTPP交渉参加表明(読売新聞) - goo ニュース
「太平洋経済連携協定(TPP)」というものも、原子力発電問題と同じ。
「原発立地、発電事業者、需要者」の三者が絡み合う。
「太平洋経済連携協定(TPP)」も、「農業生産者、外国、需要者」の三者が絡み合い、「東日本大震災」のような「想定外」な出来事に会うと、身竦みになってしまう。
そして、同じ道をたどる。
これというのも、「他を頼らず、自力で生きて行こう」という気概がないことにある。
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一体どうなっている ????
「東日本大震災」の瓦礫処理に、その処理の分別手分け作業が厄介なのに、スポーツしている者も見物している者も、こんなことしている暇があるなら、この「分別手分け」作業に加わったら、瓦礫処理もはかどる。
もっとも「放射能汚染が怖い」といって、逃げ腰にばかりになっているから、いくら「がんばろう日本」と言っていたって、災害地復興が進まない。
いくら消費税上げたりしても、無理ですな。
この事から人間は、自然との「平等的対等性の中の対称性」が整わず、整わないから人間と自然との「平等的対等性の中の対称性」から離れた存在になってしまい、人間が人間としてこの世に生きて行く進路を見いだせなくなっている。
前述で上記のように述べたきた。
このことは、我々人間は「自然の摂理」から遊離してしまっていることを述べている。
この乖離した様は、言ってみれば「人間崇拝」から起きていると言える。
「この世は人間だけのもの」といった、自らの事を「万物の霊長類」ということにも、現われている。
だが我々人間としても、自然の中にしか生けるところはない。自然の中の「水に生き、土に生き、山野に生きる」ことにこそ、我々人間の生きる場がある。
ところが我々人間は、「美」にこそ生きる場があるとして、この「美」を我が物にしようと切磋琢磨している。
「美」とは、文化文明のことであり、且つ我々の欲する「豊かさ、楽しさ、楽(快適、便利)さ」の事でもある。
こうした「文化文明」や「豊かさ、楽しさ、楽(快適、便利)さ」は、自然中に、自然の摂理の中での生きるということとは馴染まない。
何故なら、「美」では、自然や自然の持つ摂理には歯が立たないからである。
自然や自然の持つ摂理の中で生きていくためには、どうしても「汗まみれ、泥まみれ」になっていかなければならず、こうした「汗まみれ、泥まみれ」になれないならば、自然の厳しさをもろに受けると、「泣きごとや弱音」を吐いてしまうものである。
正しく「平等的対等性の中の対称性」として我々人間が、自然と自然の摂理とに相対する時、我々も自然と平和をものにできる。
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゜社会保障、復興財源、財政再建」として消費税増税を上げようとしながら、こっちの方へと、引っ手繰ってしまおうとしている。
「国際公約」は、そういうための公約だったらしい。