消費税増税「徹底PRを」…藤井・民主税調会長(読売新聞) - goo ニュース
「消費税増税」のために、税金使って「徹底PR」しようという間抜けぶり。
これと同じように、
一川防衛相の進退について、「これまで以上に襟を正して職責を果たしてほしい」と述べるような当たり前の事を自覚せずに、「職責を果たす」様な言動を少しもしていない。
これも、間が抜けているし、こんな事を首相自身がいっているのも、間が抜けている。
日本の核廃絶決議を採択=国連総会(時事通信) - goo ニュース
核兵器可能になる原発は、どうした。
脱原発しないで、核兵器廃絶も何も、言っている事に整合性も合理性も無い。
まずはこちらが「脱原発」しないことには、意味がない。
聖書には、我々人間が何故「苦しみ 悲しみ」に悶えなければならなくなったのかという事を、「知恵の実を食べた」からだと述べている。
この「知恵の実」とは何を意味するかというと、「自我」を持ったということを意味している。
更にこの「自我」とは、「自立心、独立心」を持った事を意味していなくて、「おれが私が」という「自我」の内に、「おれはこんなに優れている、俺はこんな事をした」と言い、だから「お前たちは俺の下働きをしろ」というような、後の事を人にさせようという「依存心、寄り掛かり」を持ったものでしかない。
それ故に仏教で言うように、この「自我」を「無我」にしていき、自己への執着を解放させるのが、信仰の目的になっている。
「自己への執着」を解放すには、「復活」しなければならない。
「復活」とは「よみがえる」という事でもあるが、「脱化する」という事でもある。「脱化」とは、さなぎが成虫になる事を言う。
我々人間も、浅はかな「自我」のしがらみにすがっていずに脱化して、「命の本質」に目覚める「復活」を成し遂げていかなければならない。
しかし知恵を持った人間なれば、一旦復活した身であっても、そこの留まり執着していては、ならない。
更に脱化し、更に復活していく事に信仰の意義がある。
★ 一時の 一期一会は 常なりき
新たな一会 善の道行き 2011/12/1
一期一会は、繰り返し常に行われていく。この一つの後の「一期一会」の後、「生まれ変わり死に変わり」して行く時、新たな一期一会を正しき一期一会としていかなければ、人生は迷えることとなる。
宗教的真理は、音楽や美術における価値と同様の本質を持つ真理である。それは、科学におけるように万人が認めざるをえないような質の真理ではない。 したがって、宗教的真理は、各人が各人の度合いに応じて開示される真理である。 すべての事は「直観」によって大原理を握ることが基本中の基本になる。 人が何を直観したかで人生が決定する。 全宇宙は、神の霊に支えられて存在している。我々は信仰によって、この神の霊、神の生命に触れる。 そして、信仰によって神の霊に触れてこそ、我らの内奥の魂に本当の喜びを味わうことができるのだ。 -------------------------------------------------------------------------------------------- 「能動性」は即ち、「自我を放棄」し、「欲心、不平不満、愚痴」を放棄して膝まずく事でしかできない。
上記にある「音楽や美術における価値と同様の本質を持つ」という事は、「音声として聴くもの」とか、「眼で見て感じるもの」ということではない。
単に「聞くもの、見る者」でしかないならば、その事によって快さを感じるだけのものでしかなく、云ってみれば「体の耳で聞き、体の眼で見る」だけのものでしかないものになる。
ここで云う「価値と同様の本質」とは、「心の耳で聞き、心の眼で見る」ことにあり、そして単なる「受動姓」に囚われることなく、「心の耳や目」で受け取った価値から、「生命の本性」に目覚めることにある。
これが「直観」でもって、受け入れられる「全宇宙の霊」であり、「生命の本質、本性、天性」である。
この「全宇宙の霊」であり「生命の本質、本性、天性」は、「全宇宙の内に宿る」我々の内面に既に持つものであり、内在している。
いつもの我々は、この内面に持ち内在している「全宇宙の霊、生命の本質、本性、天性」を、「欲心、不平不満、愚痴」に覆われていて体を現わさないでいる。これを信仰によって、自分の内面に内在している本性を呼び覚ますという「能動性」が必要になる。
「膝まずき」、そして何の他意も無く受け入れるという「受動性」のもとに、信仰に目覚め、神や仏の本性と本質に触れ、「霊」と一体化していく。