日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

手児の呼坂

2012-12-05 | 石碑
岳南鉄道の岳南原田駅から歩いて15分ほどのところにある原田公園の一角に、「手児の呼坂」の碑があります。





手児の呼坂の由来

昔このあたりに、一人の娘が住んでいました。心やさしく美しいこの娘に村の若者たちはほのかな思いを寄せていました。
ある夏の夕方のほとりです。松原川のほとりを散歩していた娘は一人の若者は、十里木を越えてやって来たアイヌの若者でした。
村の若者たちは嫉妬し、二人の結婚の邪魔をしました。
娘は大変悲しみ、この坂の下でいつまでも若者の名を呼び続けていたということです。
以来この坂を『手児(娘の意味)の呼坂』と呼ぶようになりました。



その後、娘はやせ細り、ひとり川辺を歩いていると、蛍の集団が娘の回りを取り囲み、花車に乗せて天高く舞い上がり、愛鷹山を目指して消えていったといいます。

かぐや姫伝説と似ていますね。

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浅草寺(9)鳩ポッポの歌碑

2012-06-03 | 石碑
鳩ポッポの歌碑



明治33年(1900)東くめ作詞、滝廉太郎作曲の童謡「鳩ポッポ」の歌碑
昭和37年(1962)に建立された。作者は「東洋のロダン」とも称された朝倉文夫

この碑にちなんで数羽の銅造の鳩が羽を休めている。あたかも生きている鳩がとまっているかのようであり、顔や羽などの細かな表現にも驚かされる。作者は「東洋のロダン」とも称された朝倉文夫(1883~1964)で、歌碑近くの「雲」像も同氏の手による。
(浅草寺HPより)

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六万部経塚

2012-01-28 | 石碑
東京の足立区を散策中見つけた石碑です。





六万部とは、法華経二十八品を繰り返し6万回にわたり唱える意味で、六万部経塚の名の由来もここにある。
この塚の南東にある寿福山長勝寺の第一世智性院日座聖人が宝永2年(1705)に平安と幸せを祈願して、小石に題目を書写してここに埋めたとされる。


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新京極 迷子の道しるべ

2011-12-06 | 石碑

新京極通は、1872年に京都府参事槇村正直によって作られた通りです。



隣の寺町通に集まる寺院の境内が、縁日の舞台として利用され、人が多く集まったため、各寺院の境内を整理し、寺町通のすぐ東側に新しく道路を造ったのが新京極通のはじまりで、明治の中頃には見世物小屋や芝居小屋が建ち並びました。

新京極のど真ん中に、誓願寺があり、その前に「迷子のみちしるべ」という石碑が建っています。

誓願寺 迷子のみちしるべ



誓願寺門前の石造角柱で、1882年(明治15)に建立。正面に「迷子みちしるべ」、右側に「教しゆる方」、左側に「さがす方」と彫られています。
江戸末期~明治中期の、まだ警察のなかった江戸末期から明治中期、迷子が深刻な社会問題となり各地の社寺や盛り場に建てられたそうです。 月下氷人(仲人)役の石ということから、別名「奇縁氷人石」とも呼ばれています。
迷子や落し物などの際、その行方を求める紙をこの石に貼って、情報交換が行なわれました。
現存の石柱は、明治15年(1882)9月に建立されたものです。

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