日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

利休の愛した柳の水

2011-10-28 | 名水
京都の中京区西洞院通三条に「柳の水」の碑があります。





このあたりは、織田信長の三男・信雄の屋敷跡で、江戸時代には紀伊徳川家の京屋敷となり、現在は馬場染工場が建っています。

柳の水

この柳水町あたりの地は、平安時代末期には崇徳院の御所があった所で、「今鏡」に「崇徳永治元年新院十二月九日ぞ三条西ノ洞院へ渡らせ給ふ、太上天皇の尊号をたてまつらせ給」とある。また、近世初期には、織田信長の子、信雄の屋敷になっていたようで、「雍州府志」は「在西洞院三条南元内府織田信雄公之宅井也、斯水至清冷也、植柳於井上避日色、因号柳の水、千利休専賞此水点茶、故茶人無不汲之」此水至って清冷なり、千利休此水を沸してもっぱら茶の水とす。町名は、寛永14年(1637)洛中絵図に「柳水町」とみえ、その後、変化はない。なおこの邸跡は紀州徳川氏の京都屋敷となった。(案内板)





お店の2階では、柳の水で入れた抹茶や珈琲が、有料で飲めるそうですよ。
利休の愛した水の味、気になりますね。

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野口家住宅

2011-10-27 | 町屋
本能寺の跡の石碑を見学した後、ある町屋の前を通り掛かりました。



野口家は代々呉服商を営んできた旧家である。現在の主屋は、元治元年(1864)の大火後に再建されたもので、店舗棟と奥の居住棟を玄関棟で接続した「表屋造り」の形式となっている。
主屋の表構えは、店舗棟の北側に高塀を接続させた構成である。
内部では特に座敷が注目される。野口家文書によると、座敷はもと伏見の小堀屋敷にあったとされるものを、明治4年(1871)に伏見の豪商松屋彦兵衛から購入、移建したもので、十二畳半の主室と次の間から成る。
主室は一間半の床の間と一間の違い棚を備え、端正ななかに洒落た数奇屋風書院の構えをもち、長押の釘隠し金物や天袋の引手金具の意匠に、小堀遠州との関わりの深さを思わせる。
この住宅は京町家の典型例の一つとして貴重であり、昭和58年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。(案内板より)



何となく歩いていても、京の町は史跡に巡り会えますね。

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赤い靴の女の子の母子像

2011-10-24 | 銅像

久能山東照宮見学後、静岡駅方面のバスを待つ間、富士山が見えるという展望台まで行ってみました。






ところが・・・この日は晴れていたのですが、富士山はぼんやり山頂が確認できる程度で




アップにしても




真ん中に浮かぶ三角がおわかりになりますか?

これなら、新幹線からの眺めの方がはっきりしてるわ

近くまで行っても、雲が多いと見えないのですね~



展望台には、赤い靴の女の子の母子像がありました。



赤い靴の女の子のモデルとなった「岩崎きみ」ちゃんは、静岡市清水区で生まれました。
2歳の時に母かよと函館に渡りましたが、生活が厳しく、母親に再婚の話がもちあがると、3歳の時にきみちゃんを米国人の牧師夫妻に預けました。牧師夫妻はきみちゃんを連れて渡米する予定でしたが、不治の病にかかったきみちゃんを連れて行くことができず、次に預けられた東京麻布の孤児院で9歳という若さで亡くなってしまいました。
母かよは、娘の死を知らずに亡くなってしまいます。
童謡「赤い靴」では、「異人さんに連れられて行っちゃった」と、きみちゃんが渡米したと思っていた母かよからの話をもとに、野口雨情が書いたものとなのだそうです。

昭和61年、日本平山頂の展望台に「赤い靴の女の子母子像」が建立されました。


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南禅寺・金地院

2011-10-22 | 庭園
南禅寺塔頭の金地院は、応永年間(1394-1428)室町幕府4代将軍・足利義持が洛北・鷹ケ峯に創建しました。江戸時代に入ると、家康の信任が篤く、1605年(慶長10)「黒衣の宰相」と呼ばれた崇伝により現在地に移築されました。

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本堂(大方丈)
慶長16年(1611年)に崇伝が伏見桃山城の一部を徳川家光から賜り、移築したものといわれ、狩野探幽・狩野尚信の襖絵で飾られています。

八窓席

小堀遠州作の八窓席は、大徳寺孤篷庵、曼殊院の茶室と共に京都三名席のひとつに数えられています。
創建当時は8つの窓がありましたが、明治時代の修築で6つになったそうです。

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鶴亀の庭
崇伝が家光のために小堀遠州に作らせた枯山水庭園

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東照宮
崇伝が徳川家康の遺言により、家康の遺髪と念持仏とを祀って寛永5年(1628年)造営したもの。

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南禅寺・大寧軒

2011-10-16 | 庭園
京の夏の旅で特別公開された大寧軒







南禅寺の境内にある大寧軒は、茶人・藪内紹智によって作られた池泉回遊式の庭園。

飛び石の打ち方や、苑路などに趣向を凝らした露地風の庭園で、池には琵琶湖疏水を引き込んでいます。











三柱鳥居は、太秦の蚕の社の鳥居を模したものといわれ、明神鳥居を三基組み合わせた珍しい形をしています。





滝やお茶室もあり、静寂な空間を味わうことができます。







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