京都の中京区西洞院通三条に「柳の水」の碑があります。
このあたりは、織田信長の三男・信雄の屋敷跡で、江戸時代には紀伊徳川家の京屋敷となり、現在は馬場染工場が建っています。
柳の水
この柳水町あたりの地は、平安時代末期には崇徳院の御所があった所で、「今鏡」に「崇徳永治元年新院十二月九日ぞ三条西ノ洞院へ渡らせ給ふ、太上天皇の尊号をたてまつらせ給」とある。また、近世初期には、織田信長の子、信雄の屋敷になっていたようで、「雍州府志」は「在西洞院三条南元内府織田信雄公之宅井也、斯水至清冷也、植柳於井上避日色、因号柳の水、千利休専賞此水点茶、故茶人無不汲之」此水至って清冷なり、千利休此水を沸してもっぱら茶の水とす。町名は、寛永14年(1637)洛中絵図に「柳水町」とみえ、その後、変化はない。なおこの邸跡は紀州徳川氏の京都屋敷となった。(案内板)
お店の2階では、柳の水で入れた抹茶や珈琲が、有料で飲めるそうですよ。
利休の愛した水の味、気になりますね。
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このあたりは、織田信長の三男・信雄の屋敷跡で、江戸時代には紀伊徳川家の京屋敷となり、現在は馬場染工場が建っています。
柳の水
この柳水町あたりの地は、平安時代末期には崇徳院の御所があった所で、「今鏡」に「崇徳永治元年新院十二月九日ぞ三条西ノ洞院へ渡らせ給ふ、太上天皇の尊号をたてまつらせ給」とある。また、近世初期には、織田信長の子、信雄の屋敷になっていたようで、「雍州府志」は「在西洞院三条南元内府織田信雄公之宅井也、斯水至清冷也、植柳於井上避日色、因号柳の水、千利休専賞此水点茶、故茶人無不汲之」此水至って清冷なり、千利休此水を沸してもっぱら茶の水とす。町名は、寛永14年(1637)洛中絵図に「柳水町」とみえ、その後、変化はない。なおこの邸跡は紀州徳川氏の京都屋敷となった。(案内板)
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