日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

妙心寺の塔頭寺院(1)春光院

2017-08-20 | 仏閣
昨年の秋、京都の妙心寺の境内を散策しました。





春光院は、堀尾吉晴が、小田原の戦いで失った長男・堀尾金助の菩提を弔うため、天正18年(1590年)に建立した寺です。





当初の寺名は金助の戒名「逸岩世俊禅定門」に因んだ俊巖院(しゅんがんいん)でした。



堀尾家は三代・忠晴が、寛永10年(1633年)に病死し、嫡子がなかったため断絶し。その後、忠晴の息女が石川家に嫁いでいたことから、石川憲之が檀越になり、寛永13年(1636年)に、寺号を春光院と改称しました。

庭園に伊勢神宮の外宮(豊受大御神)を祀っているため、商売繁盛の寺としても有名です。



ここは通りがかったので、入り口からのぞいただけですが、公開されることがあれば、見学してみたいです。

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高山寺 淳和院跡(京都)

2017-08-10 | 仏閣
和歌山編を終了し、久しぶりに京都のお寺の記事です。

西大路四条の北東にある高山寺



「西大路四条」のバス停で降りたついでに、ふらっと寄ってみました。

高山寺は、平安時代の淳和天皇が譲位後ここに建てた後院・淳和院が別名西院(さいいん)だったことから、西院の河原(さいのかわら)、賽の河原とも呼ばれてます。





本尊の地蔵菩薩(子安地蔵)は安産地蔵として、また子供を救う地蔵として信仰を集めています。
足利義政の妻・日野富子もここで祈願し、義尚を生んだといいます。




高山寺(淳和院跡) 
この地は、平安前期、淳和天皇の後院(ごいん)淳和院があったところである。
後院とは、天皇即位後の御所をいう。 
広さは東西約230メートル、南北約250メートル、池に面した華麗な御所で、高山寺はほぼ東南隅にあたる。天長10年(833)、仁明天皇に譲位された淳和天皇は、皇太后正子内親王とここに住まれ、後嵯峨上皇らも行幸になり文人を交えた遊宴がたびたびひらかれた。 
平安前期宮廷文化の一中心であり、淳和院の林泉の美を詠じた文学作品も多くのこされている。
承和7年(840)上皇がこの地で崩御されてのち、皇太后は出家され、淳和院は仏道修行の道場となり、薨後(こうご)は遺命により寺となった。高山寺はその故地に建てられたものである。なお淳和院は別名西院といい、西院の地名の起源でもある。
(駒札より)

境内はひっそりとしていました。

観光で訪れる方はほとんどないと思います。



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和歌山城(4)紅葉渓庭園

2017-08-03 | 庭園
紅葉渓庭園(西の丸庭園)は、徳川頼宣が西の丸御殿に築いた庭園で、浅野公時代に築かれた内堀の一部と、虎伏山の起伏がたくみに利用されています。





池は山すそから湧き出る泉を利用して作られ、池の中央には舟の形をした「御舟石」があります。





秋にはのモミジなどが色づき鮮やかな色彩に染まります。



ここから見た御橋廊下



堀の中に浮かぶ鳶魚閣(えんぎょかく)





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