日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

焼津市の徳川家康ゆかりの地(2)教念寺

2024-05-01 | 織田信長

焼津神社から教念寺へ。



こちらにも小泉八雲が散歩でよく訪れたそうで、「小泉八雲ゆかりの地」の案内板がありました。

母(二十八代忍晃の妻)が嫁にきて間もなくの頃、裏の畑で仕事をしている処へ乙吉が垣根越しに面を出して、「おばさん、八雲先生が来たので、泉水(池)の鯉を見せてくりよや」といった。
「ああええともサ」と返事すると、乙吉のほうがむしろ背の高い、目の大きい外人さんが入って来てニコニコ笑って頭を下げた。
そして、池の鯉を見たり、本堂の屋根から上に枝を覗かせている大松を眺めて「大変いい景色」と何度もほめていた。母が渋茶を汲んで出すと喜んですする様に飲んだ。茶碗を持つ手も型にはまっていて、この外人さんはきっと偉い人に違いないと思った。
(北山宏明著『小泉八雲と焼津』より)

江戸時代、徳川家康拝領の品が伝わっているそうです。

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秋の京都 妙祐久遠寺

2022-12-23 | 織田信長

常寂光寺・二尊院の紅葉を満喫した後、妙祐久遠寺を訪ねました。

総本山を京都・岩倉の「妙満寺」とする顕本法華宗の寺院で、

開山は、慶長14年(1609年)慶長法難にて徳川家康に「耳削ぎ・鼻削ぎの刑」に処された日経上人。

本堂には、青銅製の物では日本最古とされる日蓮聖人像と、木造の日経上人像を安置しています。


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多賀町を巡る(6)西徳寺

2021-06-15 | 織田信長

滋賀県の多賀大社の門前に位置する西徳寺を訪ねました。

山門



聖武天皇の勅願により、天平八年(736)行基が創設。
当初は「山天平寺」と称し、法相宗に属す。

天平11年、行基により座像弥陀仏一体、立像二体を彫刻。
座像弥陀仏は多賀大社の本地仏に、立像一体は西徳寺の本尊、
もう一体は四十九院の本尊に給う。

第二世基恩僧都の天平12年には帝により多賀天守社を命じられる。

第八世義真大僧都が延暦寺初代座主となり、第十四世静源権大僧都の時、承和二年(835)に法相宗から天台宗に改宗。

第四十八世慈広大僧正の建長七年(1255)親鸞聖人が関東から上洛の際、当院に三日間滞在。

第六十一世慈照の永正元年、勅許を得て浄土真宗に改宗、寺号を「西徳寺」。
室は蓮如上人第十三女貞子なり。

元亀元年(1571)織田信長浅井長政による元亀の役の兵火により七堂伽藍が焼失。

本堂


慶長13年に仮本堂再建。

鐘楼


元禄元年再建。


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京都・大徳寺塔頭の秋の特別公開(3)総見院 信長一族の墓

2014-11-21 | 織田信長
次は、織田信長の菩提を弔うため、秀吉が創建した総見院です。





本能寺の変の100日後、10月10日に大徳寺において織田信長の大葬礼が執り行われました。
そして、信長の一周忌に間に合うように豊臣秀吉が建立した寺院が総見院です。

開祖は大徳寺117世の古渓宗陳。創建当時は、広大な境内に豪壮な堂塔が立ち並んでいたといいます。
明治の廃仏毀釈により、堂塔伽藍や多くの宝物が灰燼と化してしまいましたが、大正年間に再興。1961年(昭和36年)に本山に安置されていた信長木像を再び迎え、380年忌を行いました。

創建当時から残る正門、土塀、鐘、鐘楼に、当時の雰囲気をわずかに偲ぶことができます。

土塀


土塀は、「親子塀」といわれ、塀の内部に塀がもう一つ設けられた珍しい二重構造になっています。

鐘・鐘楼


信長の家臣・堀久太郎秀政の寄進によるもの。

本堂




侘助椿


木が三本の枝に分かれ、その枝から紅白の花を咲かせるお茶人に珍重される椿。
樹齢400年で、日本最古の胡蝶侘助とされ、秀吉がこよなく愛したと伝わります。


信長公一族の墓




(中央が信長、右が信忠、左が信雄)

信長公をはじめ徳姫(信長公の息女)、濃姫(正室)、おなべの方(側室)など、一族七基の五輪石や墓が並んでいます。

帰蝶(右)と側室・お鍋(左)の墓


本堂に安置されている信長の木像は、高さ三尺八寸(115cm)、衣冠帯刀の姿を映した座像。
天正11年の作で、作者は運慶・湛慶の流れをくむ康清によるもの。

目がらんらんと輝いていて、威圧感のある木像です。


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安土の東南寺

2014-10-12 | 織田信長
安土城に行く道中、通りかかった東南寺





案内板によると

「東南寺には、桑実寺正覚院に宛てた織田信長足利義晴等の文章をはじめ、屋根瓦に足利氏の家紋である「二両引」などが残されている。これは室町幕府第12代将軍義晴の仮幕府がおかれた正覚院が浄土宗に転宗し、現竜王町へ移設されたため東南寺が正覚院の寺務と寺格を引き継いだためで、天台宗中本山として勢威を誇った。重要文化財の地蔵菩薩はこの時正覚院から移されたものと考えられ、像高66.7センチメートルの小像であるが大像であるが大像の風格をうかがわせる量感を持ち穏やかな表情や肩の丸み、衣文の彫刻などから平安時代中期の作と考えられる。 安土町教育委員会」



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