愛知県の野間に出かけて来ました。
今年は源義朝ゆかりの地の幟が立っています。
安養院(あんよういん)「知多四国第五十三番」「開運七ヶ寺第六番」
安養院は承暦年間白河天皇の発願で大御堂寺の一院で、1190年(建久元年)源頼朝公先考菩提の為創建。
本尊阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩(藤原期の作)、地蔵菩薩
1583年、羽柴秀吉に岐阜城を追われた織田信長の三男・織田信孝が自害した「信孝自刃の院」があります。
辞世の歌「むかしより 主をうつみの 野間なれば むくいをまてや はしば筑前」を書いた後、腹をかき切って自ら腸をつかみ出すと、床の間にかかっていた墨梅の掛け軸に投げつけたといわれています。
その血の跡が掛け軸に残っていて、掛け軸に描かれた梅の花は、四季折々に色を変えると伝えられているそうです。
何とも恐ろしい(*_*)
信孝の墓は、大御堂寺(野間大坊)にあります。
怒りを込めた辞世の句、血染めの掛け軸や自刃の短刀、自刃の間は非公開ですが、そのパネルを見せていただいたので、写真を撮らせていただきました。
掛け軸の左下が血の跡、手前に置かれているのが短剣です。
境内の樹齢600年の蘇鉄は、「あいちの巨木」に指定されています。
本堂
地蔵堂
辺りはのどかな景色が続いています。
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安養院(あんよういん)「知多四国第五十三番」「開運七ヶ寺第六番」
安養院は承暦年間白河天皇の発願で大御堂寺の一院で、1190年(建久元年)源頼朝公先考菩提の為創建。
本尊阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩(藤原期の作)、地蔵菩薩
1583年、羽柴秀吉に岐阜城を追われた織田信長の三男・織田信孝が自害した「信孝自刃の院」があります。
辞世の歌「むかしより 主をうつみの 野間なれば むくいをまてや はしば筑前」を書いた後、腹をかき切って自ら腸をつかみ出すと、床の間にかかっていた墨梅の掛け軸に投げつけたといわれています。
その血の跡が掛け軸に残っていて、掛け軸に描かれた梅の花は、四季折々に色を変えると伝えられているそうです。
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信孝の墓は、大御堂寺(野間大坊)にあります。
怒りを込めた辞世の句、血染めの掛け軸や自刃の短刀、自刃の間は非公開ですが、そのパネルを見せていただいたので、写真を撮らせていただきました。
掛け軸の左下が血の跡、手前に置かれているのが短剣です。
境内の樹齢600年の蘇鉄は、「あいちの巨木」に指定されています。
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