日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

京を巡る(5)慈照寺「錦鏡池~庭園」

2020-11-30 | 庭園

では、慈照寺の庭園に目を向けてみましょう。



錦鏡池を中心とする池泉回遊式庭園で、特別史跡・特別名勝。



錦鏡池には、北斗石をはしめとする名石が配置されています。

北斗石


樹齢500年の千代の槇



洗月泉



錦鏡池南東端に落ちる滝。

大内石


守護大名・大内政弘の寄進によるもの。



青紅葉に囲まれた慈照寺の境内。

ゆっくりと出口に進んで行きます。

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京を巡る(4)慈照寺「東求堂」

2020-11-23 | 仏閣

方丈から東求堂へ。

観音殿(銀閣)とともに、東山殿造営当時の遺構として現存するのが東求堂(国宝)です。

一重入母屋造、檜皮葺で、文明18年(1486年)の建立。

足利義政の持仏堂で、阿弥陀三尊が安置され、仏間の東北に同仁斎と呼ぶ 4畳半の書院があります。

名は「東方の人念仏して西方に生ぜんことを求む」の語による。書院は同仁斎(名は「聖人一視而同仁」の語による)と呼ばれ,四畳半で付書院と棚をもち,四畳半茶室のはじめとされる。

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京を巡る(4)慈照寺 銀沙灘・向月台

2020-11-16 | 仏閣

方丈前には、白砂を段形に盛り上げた銀沙灘や円錐台形の向月台があります。


銀沙灘は月の光を反射させるため、向月台は坐って東山に昇る月を待ったものという説があります。

銀沙灘

向月台

八幡社

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京を巡る(3)慈照寺 総門~観音殿(銀閣)

2020-11-08 | 仏閣

数年ぶりに慈照寺を訪ねました。

総門

銀閣寺垣


慈照寺の門から庭園を結ぶ入り口の道の両側の垣根は、銀閣寺垣と呼ばれています。

庫裏・大玄関

宝処関

方丈(本堂)

慈照寺は、相国寺の境外塔頭であり、室町幕府第8代将軍・足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺として知られています。

観音殿(銀閣)


銀閣は、金閣、飛雲閣(西本願寺境内)とあわせて京の三閣と呼ばれ、「古都京都の文化財」の一部としてユネスコ世界遺産に登録されています。

銀閣は宝形造り二層の楼閣。上層は潮音閣。下層は心空殿。庭の北にある東求堂(国宝)内部に同仁斎があり、四畳半茶室の原型といわれています。仏間は阿弥陀如来像、義政公像を安置。

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京を巡る(2)閑臥庵

2020-11-01 | 仏閣

京都市北区烏丸通の閑臥庵(かんがあん)は、黄檗宗の寺で、江戸時代前期には後水尾法皇の実弟である梶井常修院の宮の院邸でした。

王城鎮護の為に貴船の奥の院から鎮宅霊符神(ちんたくれいふじん)をこの地に歓請し、初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆(せんがい)禅師を招いて1671年に開山したのが始まりです。

法皇より「閑臥庵」の勅号を賜り、御所の勅願所とされました。

鎮宅堂



十干十二支九星を司る総守護神で、安倍晴明が開眼した北辰鎮宅霊符神が祀られています。

後水尾法皇ゆかりの品々や伊藤若冲の十二支版木、開山三百三十周年記念時に制作した砂曼荼羅などが公開されています。

また、黄檗宗の普茶料理を京懐石風にアレンジした料理を、庭園を眺めながらいただくことができます。


  閑臥庵

山号を瑞芝山という黄檗宗の禅寺である。本堂には、唐の仏師による釈迦如来像が安置する。もとは梶井常修院の宮の院邸であったが、江戸時代前期に後水尾法皇が、夢枕に立った父・後陽成天皇の言葉に従って、王城鎮護のために貴船の奥の院より鎮宅霊符神をこの地に勧請し、初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆禅師が開山となって寺としたのが当寺の起こりである。北辰鎮宅霊符神は十干十二支九星を司る総守護神であるこの神は、衆星守護をつかさどる神とされ、安倍晴明の開眼といわれ、方除け・厄除けの信仰がある。御所の祈願所として法皇自ら「閑臥庵」と命名し、御宸筆の額を寄せて勅号としたほか、法皇は、春に、秋に、和歌を詠んで庭を愛でたといわれ、秋の句

「明けぬとて  野辺より山に入る鹿の 

   あとふきおくる  萩のした風」

など、御宸翰その他が今も伝えられている。

また、法皇も好んだ黄檗宗特有の精進である普茶料理が、今は教化の一部として一般に饗されている。(駒札より)

羅漢像

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