浜松の心造寺は、徳川家康が、1580(天正8)年7月に徳川秀忠の産土神(うぶすながみ)として五社神社を浜松城内から常寒山(とこさむやま)へと移し、その北側の隣接地に開いたお寺です。
開山は讃誉智眼(さんよちげん)上人、開基は秀忠の母である西郷局。
西郷局が奉納した鉄灯篭は、戦災で片方が失われ、現在は1つだけ残されています。
西郷局(さいごうのつぼね)父は戸塚忠春。通称はお愛の方。徳川家康の側室であり、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠、松平忠吉の生母として知られている。院号は宝台院。
1758(宝暦8)年に完成した七間四面の本堂は1771(明和8)年に全焼、1775(安永4)年に同じ七間四面の本堂が再建されました。
しかし、1945(昭和20)年6月の太平洋戦争中に空襲を受け焼失してしまい、現在の建物は1951(昭和26)年に再建されたものです。
(浜松情報BOOKより)
この時は、境内を散策しただけで、本堂の中を見ていないので、西郷局が奉納した鉄灯篭もいつか見てみたいと思います。
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