日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

皆様へ

2013-12-31 | その他
今年も当ブログへの訪問ありがとうございました。

来年も、マイナーな史跡からメジャーな史跡まで、紹介していければと思っています。

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良いお年をお迎えください。

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落柿舎

2013-12-28 | 史跡
落柿舎は、江戸時代の俳人・向井去来の別荘として使用されていた草庵です。





古い家の周囲には40本の柿の木があったそう。
庭の柿を売る契約をしたのちに、柿がすべて台風で落ちてしまったため「落柿舎」と呼ばれています。



落柿舎の西隣に、嵯峨天皇皇女の有智子内親王(うちこないしんのう)の陵墓があります。



有智子内親王は、嵯峨天皇の第8皇女。
嵯峨天皇の初代の賀茂斎王(斎院)。平安時代の漢詩人。



弘仁1(810)年、4歳で嵯峨天皇の創始した賀茂社の斎王となりました。
嵯峨天皇の皇子女の中でも豊かな文才に恵まれた皇女で、日本史上数少ない女性漢詩人のうちの一人だったといいます。

落柿舎の北西にある小倉山墓地には、向井去来の墓があります。





ここには去来の遺髪が埋葬されているそうです。

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法然院

2013-12-15 | 仏閣
法然上人と寺院で、弟子の住蓮・安楽が念仏三昧行を修した庵の跡に、1680年(延8)、知恩院第38世の萬無和尚が開いたお寺。





山門を入ると、両側に白い盛り砂(白砂壇)があります。



盛り砂の模様は、季節ごとに描き変えられるのだそうです。



水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しているとのこと。



この山門の表と裏で、アマチュアカメラマンがずらりと並び、山門と紅葉を競い合うように撮っていました。



通常伽藍内は非公開ですが、毎年春と秋の年2回、伽藍内部の一般公開を行っています。

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鹿ケ谷の安楽寺

2013-12-05 | 仏閣
鹿ケ谷にある安楽寺は、通常は非公開ですが、さくら・つつじ・さつき・紅葉の時期に合わせ、一般公開をしています。



鎌倉時代、法然の弟子の住蓮房安楽房の二人の僧が念仏道場「鹿ヶ谷草庵」を建てました。



当時、後鳥羽上皇の女御であった19歳の松虫姫と17歳の鈴虫姫は、法然や二人の僧の念仏の教えに感銘を受け、密かに出家しました。

これを知った上皇は激怒し、住蓮房・安楽房を斬首に、法然を讃岐へ、親鸞を越後へ流刑にしました。





その後、両姫は瀬戸内海の島で念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35歳、鈴虫姫は45歳で往生を遂げたと伝えられています。

 

その後、鹿ヶ谷草庵は荒廃しましたが、流罪地から帰京された法然上人が両上人の菩堤を弔うために草庵を復興するように命ぜられ「住蓮山安楽寺」と名付けられました。
本堂には本尊阿弥陀三像を安置し、住蓮・安楽両上人、松虫・鈴虫両姫の座像、法然上人張子の像が祀られています。





住蓮房・安楽房の供養塔



松虫姫・鈴虫姫の供養塔



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