奥書院は多賀大社に残る最も古い建物で、江戸時代中期、安永12年再建の不動院書院跡です。
鶴の間
床の間に富士山と鶴が描かれています。
彦根藩井伊家の参内の時の休憩所ともなり、勅使の間ともいわれています。
狩野派の絵師による襖絵は、元々多賀大社の別当寺(神宮寺)であった天台宗不動院の大書院にあったもので、安永2年(1773年)の大火で大書院が焼失した際にも持ち出されて無事だったそうです。
庭園(国名勝指定)
奥書院から見下ろすように築かれた安土桃山時代の池泉観賞式の庭園で、広さは約二百坪。
正面に守護石を据え、左右に鶴と亀の岩島を配し、大きな自然石を渡して橋としています。
天正16年(1588)豊臣秀吉が、母・大政所の病気平癒を祈願して奉納した米一万石をもとに築造されたと伝えられています。