静岡市葵区の紺屋町に鎮座する小梳神社(おぐしじんじゃ)は、奈良時代以前の由緒をもつ古社です。
静岡駅からわずか200m。繁華街の一角にあります。
竹千代(後の徳川家康)が人質として駿府に来たとき、まずはこの神社に立ち寄り、服装を改め武運長久の祈願をしてから、今川義元と対面したと伝えられています。
その後、徳川家康が天下を統一し駿府城にとどまるにあたり、代々徳川家の守り神である大己貴命と天照大神の2柱を合祀して、駿府城の守護神として尊崇されてきました。
平安時代初期のころから少将井神社とも呼ばれました。
小梳神社
小梳神社は、俗に少将井宮(少将井社)、略して「少将さん」と呼ばれ、駿府城の守護神として崇められていた。
建速須佐之男命、奇稲田姫命、大己貴命、天照皇大神宮が祭神である。
徳川家康は、駿府城造営の時も小梳神社を城内に残したが、寛永年中(1624-43)には、城内から移転し、再度、延宝3年(1675)に現在の所に移された。
家康は、今川義元の人質として駿府にいた時、小梳神社境内でよく遊んだ思い出の場所として、この神社を大切にしたという。「なをりその記」によると、家康が人質として駿府に来た時、まず、この神社に立寄り、服装を改め、武運長久の祈願をして、その後に今川義元と対面したと伝えられている。当時、造営に当った城代は、松平左近大夫で、延宝4年6月、神輿渡御の神事がはじまった。例祭日の7月27日、この風習は、今なお、氏子の間に引継がれ、隔年に大神輿が市内を巡幸する姿は、夏の風物詩の一つとなっている。
明治以来、再三にわたる火災の被害に会ったが、その都度造営されるほど、地域住民が寄せる当神社の信仰には根強いものがある。
なお、境内には、平田篤胤選文による駿府の国学者新庄道雄の碑がある。
昭和60年1月 静岡市
祭神は建速須佐之男命、奇稲田姫命。
境内に湧き出る水は江戸時代から「霊水・少将の井」と呼ばれ、病気平癒・健康増進の霊水として知られ、多くの人がお水取に訪れています。
霊水・少将の井
宗像神社
稲荷神社
新庄道雄の碑