六所神社は37代・斉明天皇の勅願により、奥州の六所大明神を歓請し創立したと伝えられています。
松平氏が三河入国以来、代々崇敬厚く、徳川家康の産土神として江戸幕府の厚い保護を受けました。
楼門は、4代将軍・家綱が寄進したものといわれています。
現在の社殿は寛永11年(1634年)~寛永13年にかけて三代将軍・徳川家光が再建したものです。
日光東照宮を思わせる華麗な社殿ですね。
天守閣は、2階から4階までが江戸時代の岡崎を紹介する歴史資料館になっています。
5階は展望室となっており、三河平野を一望することができます。
家康はいつも、この天守閣から北に見える徳川家菩提寺の大樹寺を拝したといわれています。
木々の間に大樹寺がちらっと見えます。
龍城神社
岡崎城の跡地に鎮座する龍城神社(たつきじんじゃ)は、東照宮の一つです。
三河国守護代・西郷稠頼が岡崎城を築城した際に龍神が現れ、城の井戸から水を噴出させて天に去っていたので、以降、天守に龍神を祀り、城の名を龍ヶ城、井戸の名を龍の井と称したという伝承があります。
1543年(天文12年)岡崎城で、家康が誕生した際にも金色の龍が現れたといいます。
1624年~1643年(寛永年間)家康を祭神として東照宮を岡崎城天守に祀りました。
後に本多忠勝を合祀し、大正三年県社に昇格、神饌幣帛料供進神社に指定され、岡崎市の中心神社として崇敬されました。
三河武士のやかた
三河武士の源流から家康の祖松平氏の歴史と家康の75年の一生をテーマ別にし、時代順に展示しています。
忠勝が愛用した槍・天下三名槍と呼ばれた槍の1つ、蜻蛉切のレプリカがこちらに展示されています。
岡崎城は、愛知県岡崎市康生町にあった城で、松平元康のちの徳川家康の生地です。
元康は、岡崎城内の坂谷邸で生まれましたが、6歳で故郷を離れ、織田家、そして今川家の人質として少年期を過ごしました。
岡崎城の別名は「龍城」。
1452年(享徳元年)または1455年(康正元年)龍頭山の砦として三河国守護仁木氏の守護代西郷氏が築城。
1531年(享禄4年)松平清康(徳川家康の祖父)が城主となり、城郭を整備して勢力を広げたが家臣の謀反により命を落とす(森山崩れ)。
1542年(天文11年)城内で竹千代(後の徳川家康)が生まれる。
存城当時の東海地方の城では3番目に数えられる規模でしたが、1873年(明治6年)の廃城令によって廃城となりました。
現在は本丸と周辺の持仏堂曲輪、隠居曲輪、風呂谷等の曲輪と石垣、堀などの遺構を残すのみで、岡崎公園として整備され、天守などが復興され、市民の憩いの場になっています。
からくり時計
ここには、さまざまな家康の銅像があるのですよ。
威厳たっぷりの像
騎馬像
出生ベンチの像
家康の子供の頃の竹千代の像
そしてあの有名なしかみ像