日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

石像寺(釘抜地蔵)

2014-12-29 | 仏閣
京都市上京区にある石像寺は、空海によって弘仁10(819)年に創建されたお寺です。



遣唐使として唐に渡った弘法大師は、日本へ帰国の際に石を持ち帰り、その石に地蔵菩薩を自ら彫り、人々の「諸悪・諸苦・諸病を救い助けん」と祈願されたといわれています。苦しみを抜き取ってくださるお地蔵様ということから、「苦抜(くぬき)地蔵」と呼ばれるようになり、その後「くぬき」がなまり「くぎぬき」の名で知られるようになりました。



釘抜地蔵」については、次のような伝説があります。
室町時代、紀ノ国屋道林という商人が両手に激しい痛みに悩まされ、どんな治療を施しても効き目がなかったため、石像寺の地蔵菩薩に7日間の願かけをしたところ、7日目の夜、夢の中に地蔵菩薩が現れ、「この痛みは、お前が前世でわら人形に釘を打ち人をのろったむくいだ」と手の中に刺さっていた恨みの釘を抜き、2本の釘を見せました。目覚めると両手の痛みが治まっていたので、不思議に思った商人は急いで石像寺に行くと、地蔵像の前に血のついた2本の釘がありました。大商人はお地蔵様に感謝し、100日間お礼参りをしました。その時から人々から「釘抜地蔵」と呼ばれるようになり、体や心の痛みを治癒に願をかける人が絶えず訪れるようになり、苦しみがなくなった人は2本の八寸釘と釘抜を貼り付けた絵馬を奉納する習わしとなりました。





堂本印象作の釘抜きの像






賓頭盧尊者


石像弥陀三尊像


弘法大師開山堂


釘抜地蔵尊


おさすりの地蔵



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元和キリシタン殉教の地

2014-12-19 | 石碑
日本の大殉教と呼ばれるものは三つであり、1622年9月10日の長崎の殉教、1623年12月4日の江戸の殉教、そして京都の大殉教。

江戸幕府のキリシタン弾圧は、慶長17(1612)年に始まり、二回目の弾圧は,元和年間(1615~23)に始まり,元和5(1619)年、伏見城に上洛していた徳川秀忠は、伏見でキリシタン投獄者がいることを知ると、老若男女の区別なく、全ての信者を火あぶりで処刑するように命じたといいます。小川牢屋敷に投獄されていた信者たちは、52人が大八車に積み込まれ、見せしめのため、六条から七条まで引き回された後、27本の十字架に縛られました。夕暮れになると、六条河原で、十字架を囲む薪の輪に火が付けられ、悲惨な最期を遂げました。



その中で、最も人々の涙を誘ったのは、橋本太兵衛の妻テクラと子供たちで、3人の子供と一緒に縛られたテクラは、泣き叫ぶ子供たちを励ましながら、最後まで抱き締めていたといいます。

中山正美作「都の大殉教」より テクラ橋本(バチカン美術館蔵)

川端通りの正面橋のふもとに「元和キリシタン殉教の地」という石碑が建っています。





鞍馬石に「元和キリシタン殉教の地」と刻まれています。



1994年8月、平安遷都1200年の記念事業として、この碑が建てられました。

人は人に対してどうしてここまで残酷になれるのでしょう?

このような悲惨な出来事が過去にあったということを、後世まで語り継いでいかなければなりませんね。

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