日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

青蓮院(2)将軍塚青龍殿 その弐

2015-01-23 | 仏閣
続いて将軍塚



長岡京に遷都した桓武天皇は、様々な事故に見舞われていました。
和気清麻呂は天皇をお誘いし、この山頂から京都盆地を見下ろし、ここが都の場所にふさわしいと進言し、天皇はその勧めに従って延暦13年(794年)、平安建都に着手しました。

将軍塚は、桓武天皇が平安京造営に際し、王城鎮護のため、高さ8尺(約2.5メートル)の土の人形に甲冑を着せ、弓矢を持たせ、京都の方を向けて埋めた塚であると伝えられています。
国家の大事があると鳴動したという伝説が、源平盛衰記や太平記に残されております。

また、延元年間(1338年頃)には新田義貞がここに陣を敷いて足利尊氏の軍を敗り、また近くは太平洋戦争にここが高射砲の陣地にもなりました。(青蓮院HP参照)



展望台から見た景色





ズームにすると、「将軍塚」の文字がはっきりわかります。



ブログランキングに参加しています!応援よろしくお願いしますm(__)m



にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

神社・仏閣 ブログランキングへ




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青蓮院(1)将軍塚青龍殿 その壱

2015-01-17 | 仏閣
青蓮院の飛地境内である将軍塚の境内地に、昨年10月、かつて北野天満宮前にあった大正時代の建物「平安道場」を移築再建した大護摩堂「将軍塚青龍殿」が誕生。





10月から12月まで、期間限定で公開され、期間中は青蓮院からシャトルバス(片道100円 所用時間15分)運行されました。



青龍殿の収蔵庫には青連院門跡の国宝・青不動が安置され、青龍殿落慶記念としてご開帳されました。

青不動は高野山の赤不動・三井寺の黄不動とともに、日本三不動画のひとつに数えられ、平安時代から篤く信仰されています。

青龍殿の裏側には大舞台が広がり、京都全市街繁華街を眼下に見下ろすことができます。



これは京の新名所といえますね!







比叡山などの山々も見渡せます。





中央に広がる緑のエリアは、京都御苑です。



御苑がいかに広いのかがわかりますね。



赤い鳥居は平安神宮です。



ズームにしてみると・・・



こんな風に見えます。



ブログランキングに参加しています!応援よろしくお願いしますm(__)m



にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

神社・仏閣 ブログランキングへ






コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大将軍八神社

2015-01-09 | 神社
先月、北野天満宮の帰りに大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ)を参拝しました。



大将軍八神社は、桓武天皇が、王城鎮護のために星神大将軍を勧請したといわれる社で、方除け厄除けの神として、建築・移動・転宅・婚姻・旅行・交通等あらゆる人間生活に於いて方位の厄災から守護する神として信仰されました。



本来の祭神は大将軍ですが、明治の神仏分離令にて祭神は素盞嗚尊と改められました。



方徳殿に大将軍神像80体(重要文化財)と陰陽道安倍家の古天文暦道資料(京都府指定文化財)があり、毎年5月1日~5月5日と11月1日~11月5日には一般に公開されています。(その他の日は予約制)

神像群は平安時代中期から末期の制作といわれ、すべて男神像で、甲冑を着用した武装形の像、束帯姿の像、童子形の像などがあるそうです。これはいつか公開時に観に行きたいと思っています。





当社は、平安建都の際に都城の方除守護神として造営されたのが始まりとされ 、当初は大将軍堂と称したが、江戸時代初期になって大将軍社と改められ、更に大将軍八 神社となって現在に至っている。  

大将軍とは、陰陽道にいう星神天大将軍で、方位をつかさどる神である。このため、建築 ・移動・旅行などに関し、方除け、厄除けの神として世間の崇敬を集め、その時々の権力 者達も当社を厚遇したといわれる。  

当社には、平安時代中期から末期にかけての大将軍信仰高潮期に奉製されたと思われる「 神像」百余体が所蔵されている。このうち、武装像、束帯像、童子像合わせて八十体が昭和47年(1972)に重要文化財に指定された。いずれの像も、独特の表情、装束で異 彩を放っており、興味深い。また、陰陽道に基づく、古天文暦道資料(府指定文化財)も蔵されている。

京都市





「北野白梅町」または「北野天満宮前」バス停下車 徒歩約5分

ブログランキングに参加しています!応援よろしくお願いしますm(__)m



にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

神社・仏閣 ブログランキングへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

檀王法林寺(だんのうさん)

2015-01-03 | 仏閣
三条京阪前バス停前に檀王法林寺があります。

文永9年(1272)に、望西楼了慧(ぼうせいろうりょうえ)上人により「悟真寺」として創建。

その後一時、応仁の乱などで廃寺となりましたが、慶長16年(1611)、袋中上人が「檀王法林寺」として復興、その弟子である團王(だんのう)上人により基礎が築かれました。

正式名称は「朝陽山 栴檀王院 無上法林寺」ですが、團王上人を人々が親しみを込めて「だんのうさん」と呼んだ事から、当寺の呼称も檀王法林寺として定着したといいます。

三条門


明治21年(1888)、二十二世譲誉玄亮上人によって建立。



楼門






明治21年(1888)に二十二世譲誉玄亮(じょうよげんりょう)上人によって建立。
楼内に縮冊一切経、十六羅漢像、大日如来像を安置し、四隅に四天王立像を祀っています。
門上部には山階宮晃親王の御筆による「朝陽山」の扁額を南に、「望西楼」を北面に掲げています。



本堂





石仏


ブログランキングに参加しています!応援よろしくお願いしますm(__)m



にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

神社・仏閣 ブログランキングへ
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明けましておめでとうございます

2015-01-01 | その他


ブログランキングに参加しています!応援よろしくお願いしますm(__)m



にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

神社・仏閣 ブログランキングへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする