日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

安祥院(日限地蔵)

2015-04-20 | 仏閣
清水寺に向かう五条坂の途中にある安祥院は、天慶五年(942年)朱雀天皇の勅願によって、尊意僧正が乙訓郡大藪郷に創建した大薮山仁王護国院という天台宗寺院が始まりとされています。



その後、荒廃と復興を繰り返した後、享保十年(1725年)に木食僧の養阿上人によって再興されました。



「六阿弥陀めぐり」の第4番札所。

本堂


地蔵堂



地蔵堂には、養阿上人が享保十五年(1730年)に霊元天皇らの寄進を受けて造った金銅製半跏像の地蔵尊が安置されています。



日限地蔵(ひぎりじぞう)は、日数を限って願い事をすれば必ずその願いが叶えられるとされ、日限地蔵尊と呼ばれています。

木食正禅上人自筆の「大日三尊光明真言碑」


西京極 佃橋(旧天神川)から移された橋桁石


陀枳尼天社


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春光院(春光禅院)

2015-04-10 | 仏閣
ねねの道沿いに高台寺の塔頭・春光院(春光禅院)があります。



この茅葺の門が目印です。




こちらのしだれ桜がちょうど見ごろでした。







1627年、木下勝俊(北政所の兄 木下家定の長男)が、娘の春光院を弔うために創建した寺院です。



西郷隆盛と勤王僧・月照が尊王攘夷に関わる密議をしたといわれ、月照はこの春光院で安政2年より約1年、隠棲していたとされています。

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角倉氏邸址

2015-04-04 | 史跡
高瀬川開削者である角倉氏の邸址が高瀬川沿いにあります。







高瀬川の水運

 京都は古代・中世を通して日本最大の都市であり、経済・文化の中心であった。この情況は近世に入ってもかわらなかったが、内陸部に位置していたため、交通運輸の面で大きな隘路を抱えていた。
これを打開するために開発されたのが、大量輸送を目的とした、伏見・ニ条間をつなぐ高瀬川の水運であった。その計画と施工者は、著名な嵯峨の豪商、角倉了以その人である。
 この交通大動脈の完成は、京都を大阪より直接水運で結ばせることになり、近世京都の経済発展を支える基となったのである。京都の運輸に画期的な変革をもたらした、この高瀬川の全長は、五千六百四十八間ニ尺(約十一・一キロメートル)、川幅平均四間(約八メートル)をはかり、水路にそって9か所の船入りが設置された。総工費実に七万五千両を要した。

角倉了以
安土桃山時代の海外貿易家,土木事業家。幼名は与七,のち了以。諱は光好。京都嵯峨の土倉吉田家の出。文禄1 (1592) 年豊臣秀吉から,慶長9 (1604) 年以降は徳川氏から朱印状を与えられ安南国トンキン (東京) に朱印船 (角倉船と呼ばれた) を派遣し巨利を得た。(コトバンクより)


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