弘法大師独鈷水
弘法大師が独鈷という仏具で掘り当てたという井戸。縦穴の井戸ではなく、横井戸(洞窟のような形状)になっているので、柄の長い柄杓で汲み上げるのだそうです。
霊元天皇に仕えた女官・小少将の局の娘は生まれつき目が不自由でしたが、この独鈷水で目を洗っっところ、たちまち見えるようになったと伝えられています。
(来迎院HP、Wikipedia参照)
泉涌寺長老・卓巖和尚が来迎院の住職を務めていた時、1701年(元禄14年)3月14日、江戸城松之大廊下において、赤穂の大名であった浅野長矩(浅野内匠頭)が吉良義央(吉良上野介)に斬り付ける「忠臣蔵」で有名な事件が発生。この卓巖和尚は大石内蔵助(良雄)の親族でした。
浅野長矩は切腹、赤穂浅野家はお家断絶に。
大石内蔵助は赤穂を退去した後、卓巖和尚を頼り、来迎院の檀家となって身分証明をし、山科に居を構え、来迎院に「含翠軒」という茶室と庭を設け、多くの時間を過ごしたそうです。そして、今も本堂に安置されている勝軍地蔵を念持仏として祈願し、見事に討ち入りを成就しました。
内蔵助は来迎院に書院を興し、また、境内に弘法大師が独鈷を用いて掘られて湧水したという伝承のある「独鈷水」が湧き出ることから茶室「含翆軒」、「含翆庭」を設け、ここで茶会を催しながら元赤穂藩の家臣達と討ち入りの密議をおこなったとされています。
また内蔵助は、現在も来迎院本堂に安置される勝軍地蔵像を念持仏として祈願したと伝えられています。