文庫
桜田門外の変の後、彦根藩は勤王の旗印を刻印を明らかにしました。
この文庫は、江戸時代に多賀大社の神職などを務めた車戸(くるまど)家の文庫で、昭和7年の造営時に現在地に移築されました。幕末期の車戸宗功(そうこう)は勤皇の考えが強く、長州藩士ら勤王方と彦根藩老との仲介役を務め、徳川幕府家の井伊家の領内にある中で、長州の伊藤俊介(後の博文)らと、この文庫内で密会していたといいます。
大釜
寛永10年(1633)と元禄12年(1699)の銘が入った釜が2つあり、多賀大社が造営された竣工時に湯神楽に使うために寄進されたとされています。
神輿庫
昭和の造営時に、参集殿の西側から移築され、鉄筋コンクリートで築造されました。
神輿と鳳輦(ほうれん)が保管され、4月22日の古例大祭(多賀祭り)の際、町内を巡行します。
鐘楼
天文24年(1554)に不動院の別当・祐尊の歓進で鋳造されたもので、寄進者の中には浅井長政の幼名・猿夜叉も。
昭和61年の多賀講創設五百年の記念事業の一環で、現在地に新築された鐘楼内につり下げられました。
(滋賀彦根新聞参照)
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