日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

広隆寺(2)上宮王院太子殿(本堂)

2025-02-19 | 仏閣

広隆寺の本堂である上宮王院太子殿は、享保15年(1730年)建立されました。

入母屋造、檜皮葺きの宮殿風建築で、厨子内にはご本尊の聖徳太子立像が安置されています。

木造聖徳太子立像 - 像高148センチメートル。像内に元永3年(1120年)、仏師頼範作の造立銘があり、聖徳太子が秦河勝に仏像を賜った時の年齢である33歳時の像で、下着姿の像の上に実物の着物を着せて安置されている。その着衣は、天皇が即位などの重要儀式の際に着用する黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)で、広隆寺では天皇より贈られたその袍を本像に着せるならわしが平安時代より現代まで続いている。上皇明仁も天皇時代に袍を下賜されており、この像に着せられている。本像は秘仏であり、11月22日のみ開扉される。(Wikipediaより)

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広隆寺(1)南大門~薬師堂

2025-02-07 | 仏閣

京都市右京区太秦蜂岡町にある広隆寺は、 渡来人系の氏族である秦氏の氏寺で、平安京遷都以前から存在した京都府下最古の寺院とされています。

本尊は聖徳太子、国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵することで知られています。

蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれています。

楼門(南大門)
 

元禄15年(1702年)建立と伝わります。

楼門を入り、参道を進むと、右手に講堂、左手に薬師堂などがあります。


講堂(赤堂、重要文化財) 

永万元年(1165年)再建。正面5間、側面4間、寄棟造、本瓦葺き。瓦銘や近世の絵図によれば元は「金堂」と呼ばれていた[16]。京都市内に残る数少ない平安建築の一つであるが、永禄年間(1558年 - 1570年)に改造を受け、近世にも修理を受けていて、建物の外観や軒回りには古い部分はほとんど残っていない。堂内は敷瓦を敷いた土間とし、正面柱間は中央3間を吹き放し(壁や建具を入れない)、左右端の間は花頭窓入りの土壁とする。堂内には平安時代の様式が見られ、身舎(もや)は梁行方向に虹梁(こうりょう)を2段に掛け、板蟇股(いたかえるまた)を置いた二重虹梁蟇股とし、天井板を張らない化粧屋根裏とする点が特色である。内陣には中央に本尊阿弥陀如来坐像(国宝)、向かって右に地蔵菩薩坐像(重要文化財)、左に虚空蔵菩薩坐像(重要文化財)を安置する。一般拝観者の入堂はできず、堂外からの拝観になる。(Wikipediaより)


薬師堂

木造薬師如来立像(平安時代前期、像高101.3センチメートル)を安置する。通常の薬師如来像と異なり、女神の吉祥天像のような像容に造られた吉祥薬師像である(Wikipediaより)

 

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鎌倉の薬王寺(2)鐘楼~観音堂

2023-12-23 | 仏閣

では、薬王寺の境内を散策してみましょう。

鐘楼

祈珠之塚叶水(かのうすい)

さしのべさんは、この祈珠之塚の後ろ側にあるのですが、写っていませんでした(:_;)

さしのべさん(本名 毒消し薬王菩薩)

長くさしのべた右手・・・苦悩する人々を抱きしめ救済しようとされるお姿
つま先を立てた左足・・・すぐにでも傍に駆けつけ寄り添おうとされるお姿
お姿の通り薬壷を持たれるさしのべさんは、皆様の悩みや苦しみを引き受けて
下さる菩薩様です。

縁起
徳川家・蒲生家とゆかりの深かった当山は元禄時代、三代将軍徳川家光公の弟、駿河大納言
徳川忠長公の奥方の寄進により三千坪の敷地を擁し、一般民衆が参詣できない格式の高い
お寺でしたが、当時その一隅に誰もがお参りできる、手を長く伸ばし足をつま先立て薬壷を
持った、毒消し薬王菩薩様がおわしまし、「さしのべさん」と呼ばれて一般民衆の信仰を集め、
一説には「薬王寺」という寺名の縁起となったとも言い伝えられています。
薬王菩薩は、法華経に登場される菩薩様で、法華経を聞き得た恩に報いるため、自身の身を
焼き、更にのち自身の両ひじを燃やす苦行をし、法華経の行者の守護を誓われた民衆救済の
菩謹様です。
 
かのうすい(叶水)
仏教ては、悲願成就の第一は罪障消滅と言われています。その罪障消滅は懺悔(反省)によって
叶うと言われます。皆様の悩みや願いを(きかのう『鬼叶う』)紙にしたため、日頃の反省と
ともにさしのべさんの手に触れ合わせたあと叶水にお納めください。
過去に犯してしまった罪障や気付かぬうらに犯してしまっている罪障をこの聖水で洗い流す
ことから、悲願成就の道が開けるのです。
 
縁起
その昔、当山は夜光寺と呼ばれており、毎夜、裏山に光を放っ箇所があったことから、山からの
湧き水は霊験あらたかと評判になり、民衆が挙って汲みに来たとの言い伝えがあります。」
 
祈珠之塚
念珠は、古から人の煩悩や天地の厄を吸収してくれると信じられ「お守り」として身に着けて
いた風習が日本各地にありました。
祈珠之塚は、種々の想いを念じながら身に着けられていた念珠を、懇ろに供養し大自然にお返し
する為建立された念珠供養塔です。

 

鎌倉ならではの「やぐら」もあります。

階段を上ると、小高いところには観音堂があります。

観音堂

 
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了運寺(知立市)

2023-09-30 | 仏閣

知立神社に向かう途中、この門に惹かれて立ち寄りました。

了運寺の創建は不詳ですが知立神社の別当寺院であった神宮寺七坊として開かれたのが始まりと伝えられています。

元は天台宗でしたが明応2年(1493)、浄林了運大和尚が浄土宗に改宗し、了運寺と改めました。

明治の廃仏毀釈運動により、神宮寺であった総持寺が廃寺になると、多くの仏像が了運寺に移され、後に総持寺が再興されると戻されたそうです。


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法雲寺(浜松市)

2023-01-13 | 仏閣

浜松市中区高町の法雲寺は日蓮宗の寺院です。

高町の坂の途中にあり、坂の途中にあり、モダンな建物です。


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