日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

鎌倉・星ノ井

2014-07-02 | 名水
長谷駅から極楽寺駅に向かう途中、成就院の手前の虚空像堂の石段下にある「星ノ井」は別名「星月ノ井」とも呼ばれています。







井戸の中は覗くことができません。



この辺りは周囲に木々があって、昼でも暗かったため、井戸をのぞくと昼でも星が光って見えたといういわれからこの名がついたそうです。

奈良時代の名僧・行基がこの井戸で光る石を見つけ、これは虚空蔵菩薩の化身だと思い、お堂を建てて虚空蔵菩薩像祀ったという伝説があります。



古来より水に恵まれなかった鎌倉では、水が豊かに湧き出る井戸は貴重な水源だったのですね。

虚空蔵堂



星の井水神




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利休の愛した柳の水

2011-10-28 | 名水
京都の中京区西洞院通三条に「柳の水」の碑があります。





このあたりは、織田信長の三男・信雄の屋敷跡で、江戸時代には紀伊徳川家の京屋敷となり、現在は馬場染工場が建っています。

柳の水

この柳水町あたりの地は、平安時代末期には崇徳院の御所があった所で、「今鏡」に「崇徳永治元年新院十二月九日ぞ三条西ノ洞院へ渡らせ給ふ、太上天皇の尊号をたてまつらせ給」とある。また、近世初期には、織田信長の子、信雄の屋敷になっていたようで、「雍州府志」は「在西洞院三条南元内府織田信雄公之宅井也、斯水至清冷也、植柳於井上避日色、因号柳の水、千利休専賞此水点茶、故茶人無不汲之」此水至って清冷なり、千利休此水を沸してもっぱら茶の水とす。町名は、寛永14年(1637)洛中絵図に「柳水町」とみえ、その後、変化はない。なおこの邸跡は紀州徳川氏の京都屋敷となった。(案内板)





お店の2階では、柳の水で入れた抹茶や珈琲が、有料で飲めるそうですよ。
利休の愛した水の味、気になりますね。

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清寿院の柳下水

2011-09-29 | 名水
大須観音に向かう途中、アーケード街で見つけた史跡です。





清寿院の柳下水
 
尾張名古屋の三名水は、亀尾の蒲水と蒲焼町風呂屋の井とここ清寿院の井といわれていた。
清寿院は、修験道当山派・富士山観音寺ともいったが、寛文七年(1677)藩命により清寿院と改め、明治の廃仏棄釈により廃寺となった。当時、境内では芝屠、見世物小屋なども出て大いに賑わったと伝えられる。
柳下水は、清寿院の中門前にあり、当院の供水として、また将軍家上洛のときには、その飲用水として用いられたともいわれる。

名古屋市教育委員会


喫茶店の一角に柳の木と井戸が保存されています。





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