























切る前はステージ0と言っていたけど、やっぱりステージ1だった。
浸潤の具合とかで更にA.B.Cに分かれるそうで、自分はC寄りのB(腫瘍があと1mm大きいとCになるらしい)とのこと。
抗がん剤はやらなくていいそう。ラッキー。
ホルモン療法はやれるならやった方がいいけど、やらない人もいる。とのこと。
「どうしますか?」と聞かれても、すぐには答えられぬ。
なぜなら、婦人科との兼ね合いがあるから。
来月までに決める事になったけど、やるなら早く始めた方が良いそうで、11月の診察時に出揃ってるはずの検査結果が、揃っていなかったことが悔やまれる。あの時にこの話を聞けてたなら、今日から始められたかもしれないのになぁ。。。
他にも今日は病院の不手際も多くて、ちょっとイライラしてしまった。
たくさん笑って、機嫌良くすごして、自己免疫をもっと発動したいよー!
手術から2ヶ月。
ちょっと雑感をまとめておく。
負け惜しみとかじゃなく、新しい身体が気に入っている。
手術前は「鏡を見て泣いたりするのかな?」なんて思ってたけど全然だった。
むしろ「個性が出ていい感じかも?」「なんならカッコよくなったかも?」くらいに思ってる😏
目の前に『手術前の身体に戻る薬』と『痩せる薬』があったら迷わず痩せる方を選ぶ💊
ただ、切った部分の両端にシワが寄ってて、ちょっと肛門っぽく見える気がして、それは気になってる😞
傷ができると周りの毛が濃くなるタイプなのだが、予想通り産毛が濃くなってきて、なんかオッサンのケツ毛みたいでヤダ😣
それともオッサンのケツ毛はこんなもんじゃないのかな🤔
手首の傷の毛や、ピアスの周りの毛は、一度抜いたら生えてこなくなったので(毛の方にも自分はイレギュラーな存在だという自覚があるのかもしれない)こっちの毛もそうだといいなと思う😅
切った周辺は肉をゴッソリ持っていかれたからなのか、めっちゃ硬くて「真下は骨か?」って思うくらいだが、筋肉はちゃんと残ってるそう。
死ぬ気でトレーニングすればスーパーサイヤ人みたいにもなれるらしい。やらないけど。
『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』
美術鑑賞は主観的でよい、色々な解釈があってよい、と言いつつ、「(読者も含めての)私たち」という主語を使ってきたり、作品の解釈を断定的に書かれている部分もあり、なんか違和感。
「私にはこう見えた」「私はこう感じた」というのは分かるけれど、「この絵はこういうものだった」などと書かれると、なんだかなぁ…って感じ。
作品解説本ではないはずなのに、主語が「自分」ではなく「作品」や「人々」となっていたり、しかも自分以外を主語としながら感覚的なことを述べているような部分には押し付けがましさを感じてしまい、読んでいてちょっと辛かった。
本の内容とも矛盾していると思う。
また、美術鑑賞からは離れた部分では、見える人・見えない人などの安易なカテゴライズに対する違和感について書いていたはずなのに、ステレオタイプやバイアスも甚だしい「さすが関西人」「技術者の"男の"人たち」というような表現が頻出するのも不快。
あと、私にとっては文体がややエモすぎる。描いてる方は気持ちよさそうだけど、個人的には読んでてちょっと気持ち悪かった。
作中に出てくる色々な人たちの語る言葉はとても興味深くて面白いのに、それを読んで自分が何かを感じかけても、作者の言葉が怒涛の勢いで塗りつぶしてしまう。
個人的には、そこに出てくる色々な人たちの言葉をもっと"生のまま"で受け止めたかった。
それは作者自身の言葉にも言えることで、ステキだなと思える気づきや着眼点なども、コテコテのエモさでデコレーションされてしまって受け取りにくくなってしまっていた。
なんというか、美味しい生野菜にマヨネーズをぶっかけたようなもったいなさだと思う。
主観と客観の曖昧な使い分けや、エモめの言葉遣いなどの影響か、友人との長電話のような雰囲気で、それが読みやすさとなり、多くの人の支持に繋がり、本屋大賞ノンフィクション大賞を取るに至ったのかもしれないけど、どうしても独善的に感じてしまう。
色んなことのライトな入り口としてはいいのかもしれない。人と人との関わりとか、アートとの向き合い方に新しい視点や気づきを得る読者もたくさんいると思う。
ただ、個人的に目新しい内容はなく(だからこそ登場する個性的な方々の言葉は私にとってはすごく大切だった)、読み物としても私の趣味にも合わなかった。
もしかしたら「エッセイ」や「ブログ」と思って読んでいたら、少しは感じ方も違ったのかもしれない。
(後から著者の紹介を読むと、旅行記やエッセイを書かれている方とのことで、ある意味で納得)
(なお、個人的にエッセイ全般が苦手とか、旅行記・探検記が嫌いということはないです)
余談だけど
ノンフィクション部門ってこれまで気にしてこなかったけど、小説部門に関して言えば、そもそも本屋大賞ってピンとこないことが結構あった。(すごく好きなのもあったけど…)
本は好きなつもりなのに全国の書店員さんたちとフィーリングが合わないって、なんか寂しいorz
そして更に余談だけど、
美術館の中で喋っているのを注意された時の作者の「美術館はあなたの占有物じゃないんですよ」という内心の反応は、個人的にはどうかしてると思った。
行き過ぎたマナーや同調圧力などに対する息苦しさは自分にも覚えがあるし、もう少し社会が寛容になればという願いも、文字面では共感する。
ただ、彼女が求める「自由」や「寛容さ」は、時々随分と身勝手にも感じられた。
自分は「食べたいものを食べられない」のと「食べたくないものを食べさせられる」のとでは我慢や苦痛の質が違うと思っている。
食べたいものは別の機会に食べたり、別の好きなものを食べたりできるかもしれないけれど、食べたくないものは口に押し込まれた瞬間に終わる。
美術館では一言も喋るなとは言わないが、静かに過ごしたい人のことを無視してはいけないと思うし、(もしかしたら散々我慢した挙句に)静かにしてほしいと言ってきた人の事を「不寛容」の権化のように見なすのは違うと思う。
喋りながら鑑賞したい人もいれば、自力で鑑賞したい人もいるだろうし、目の見えない人がいるように、耳の敏感な人もいるんじゃないかな。
なんか愚痴っぽくなっちゃった。
最初の健診で『非浸潤がん』と診察を受けて手術に及んだものの、切り取った後のおっぱいを色々と検査したら「実は『浸潤がん』でした」とのこと。
当初は非浸潤がんと思っていたので「リンパ節への転移はない」と言われた時点で「切除したし大丈夫♪」と油断していたけど、浸潤がんとなると、切って終わりとも限らない。
さて今後の治療方針は?と気になるところだが、検査がすべて完了していないとのこと。(私、なぜ今日、有給使って病院行ったんだ?)
左胸のこともあるし、婦人科のこともあるし、抗がん剤治療、ホルモン療法、あえての放置など、これからどーなることやら。
続きは来月までおあずけ。
11/4(金)
手術がすんごい前のような気もするが、まだ4週間しかたっていない。
身体の回復は順調。
少し前までは一日中アンダーバストあたりの皮膚が引き攣れるような痛みがあったが、かなり和らいできた。
腕の付け根あたりは、皮膚も、その内側も、相変わらず痛みや違和感があるけど、少しずつ軽くなってきてる気がする。
新しい身体にまだまだ慣れていないのか、何気なく身体を触ったり鏡を見たりしたときに「ない⁉︎」ってビックリしてしまうこともある。まぁ、40年やってきた身体の記憶は簡単には消えないか。
でも、新しい身体はとても気に入っている。
手術前は「鏡を見て泣いたりするのかな」「手術前に撮った写真を見て泣いたりするのかな」なんて想像してたけど、全然そんなことなかった。
手術当日に傷口見た時も、ショックとかは殆ど無かった気がするし、その日のうちに撮った写真ではピースサインしてる。
裾が斜めのスカートとか、左右の耳でピアスの数が違うのとか、そういうアシンメトリーなスタイルは元々好きだったし、なんか前よりもカッコイイ身体になった気がしたんだよね。今もそう思ってるし。(もうちょっと痩せたいけど)
彼も気に入ってくれるといいのだが…
今は傷跡が引き攣れる(ケロイドっぽくなる)のを防止するために毎日テープを貼っているので、周りの皮膚がテープかぶれで赤くなってるけど、傷自体は順調に塞がってきてるのを日々実感。
10/22(土)
退院から1週間、バストバンド卒業から3日が経過して、初めての本格的な(?)外出である。
腕が重い。
入院中に歩いている時や、自宅で仕事(PC作業)してる時は気にならなかったけど、お出かけでは妙に腕が重く感じる。
反対の肩から下げた鞄を掴んでみたり腕を組んだり、色々やるけどそれはそれで別の場所に負担がくる。今だけのことだといいな。
バストバンドが取れたのでブラ着用再開。
スポブラや所謂ブラトップを勧められてたけど、個人的には脇が当たって結構痛いかも。
逆にノンワイヤーの脇低めのブラの方が楽な感じ。
色々工夫してみよっと。
退院後初の通院。
リハビリ通院は完了。可動域は問題ないので、あとはツッパリ感などがなくなるまで、自宅でコツコツ続けるべし。
術後の経過も良く、体内に水が溜まったりもしていないそうで、バストバンドも今日で卒業!
これで肌荒れやお腹の苦しさから解放されると信じたい。自由に動けるようになる事で、肩こりや腰痛も楽になるといいな。
バストバンド卒業と言えど、ここでこのままバンド外すとノーブラになってしまうので、帰宅までは着けておくってのが、やや悔しい。
そして、テープなどなく、直接手術痕を全部見たのは今日が初めて。
縫い始めと縫い終わりの皮膚の寄りが少し気になるけど、まぁ、しゃあない。
今日からは傷跡の皮膚を少し寄せるように毎日自分でテープを張り替えていくことになる。
3ヶ月ほど続ける事で、傷跡が目立ちにくくキレイに治るらしい。
来年まで続くのは鬱陶しいけど、コツコツがんばろー!
そして、それより鬱陶しいのは
・婦人科でも要手術案件があること
・左も癌かもしれないこと
生きていくって大変だ。
10/16(日)
退院翌日。
リハビリは予定通り実行。
隣の駅の公園まで散歩。楽しかった。
が、
肩こりと腰痛がヤバイ。何もしてないはずなのに、夕方以降、肩や腰に激痛が走る。手術した箇所なんかよりよっぽど痛くてつらい。顔に出ないタイプでよかった。
こういう場合、処方された痛み止めを飲んでいいのだろうか?あれって手術後の傷の痛み用だよな?と悩む。
二日前から下剤の服用をやめているのだが、せっかく戻ってきていた便通が再びどこかへ行ってしまったらしい。(お腹が張るとバストバンドが益々苦しく、気持ち悪くなるので地味につらいんだよね)
いずれも生理前ということも関係しているのかもしれない。入院前からコロナ後遺症っぽい症状もあったり、もともと腰痛持ち、肩こり症とかもあって、今自分の体に起きている不調が何由来なのか自分で見当がつかなくてちょっと困る。
明日から通常通りの900ー1800勤務を再開。
生活のリズムを戻したらバイオリズムも戻ってくるといいんだけどな。
10/15(土)
退院。
腕のネームバンド切ってもらったとき、地味に解放感がすごかった。
バストバンドはつけたまま退院。
ということを忘れていて持参した服のローテーションを間違え、タンクトップを追加購入する羽目になってしまったことが悔しい。
もともと退院時は一人でタクシーで帰宅の予定だったが、お迎えが来てくれた(死神にあらず)
基本的には自分は自立した人間だと思っているし、実際ひとりでも帰れたと思う。荷物は最悪、看護助手さんとかが運んでくれると思うし。
でも、迎えに来てくれる人がいてとても嬉しい気持ちになったし、一番迎えに来てほしい人が来てくれて、とてもほっとした。
荷物を全部持ってもらって駅に向かう。
院内では毎日10000歩歩いてたのに、新横浜駅につくまでにグッタリと疲れてしまった。シャバは刺激が強すぎる?
でも、ケーキを食べて、地元駅に着くころには体も少し慣れてきて、帰宅後もちゃんと片付けとかもできた。
病院内では自分の体をじっくり見る機会がなかった。
胸元は直接正面からは見えないし、病院のお風呂は鏡も小さいし、眼鏡してないし、時間も限られててあわただしい。
大きい鏡は共有スペースのトイレしかないので、体を見下ろすか、スマホの自撮りでしか見れなかったのである。
帰宅して、やっとじっくり大きい鏡で自分の体を見ることができた。が、特に感慨はなかった。
病院で写真で見たとき全然ショックとか受けなくて、改めて見直しても全然悲しい気持ちとかにならない。
自分の場合、少なくとも自己完結できる世界では、私は私の新しい体を非常に肯定的に受け止めている。
(これについては追々長々書くんだろうな)
お酒もOKが出ていたので、缶チューハイを飲んで、久々の夜更かしをして寝る。
特別な痛みも熱もない。
ありがたいこってす。
10/14(金)
いよいよ明日は退院なのだが、昨夜あたりから脇、胸、腕などに地味に痛みが出始めた。
先生に相談してみたところ、術後時間が経って、段々と感覚が戻ってくるので、最初の頃には無かった痛みが出てくることもあるとのこと。そういう事ならむしろ良くなってる証拠とも言えるのかな?
こんなにメンタル抉られる入院は初めて。
昔より自分が神経質になったんかなぁ〜とな、年取った感じ。
あと、自分は新しい体を気に入ってるつもりだけど、自分では認識できないところで、目に見える部分を切り取ったことから影響を受けてるのかも。
寂しくて泣いちゃった日もあったけど、辛い時に電話ででも甘えられる人がいてよかった。
今夜は薬は貰わずに寝てみようと思う。