3/28の腹腔鏡手術から一週間が経過した。
もうそんなに経ったのか。という印象。
ざっくりと退院後の体調を振り返る。
4/1(土) 手術から4日
久々にパンを食べた。ご飯よりもたれなくていいかも。
昼頃に散歩に出たが、予定の3割ほど歩いたら急激にお腹がすいて、血の気の引くような感覚になり、急げないけど急いで帰宅。
午後は比較的ゆっくり過ごせた。トイレが今ひとつスッキリしない。お腹がいたくていきめない。22時前には就寝。
4/2(日) 手術から5日
お花見を兼ねて、ゆっくりしっかり歩行。10,000歩超え。
ゆっくりよく噛んで甘味も食べられたし、外食もできたし、コーヒーも飲めた。
お腹は苦しいけど、引き攣れるような痛みは出なくてほっとした。24時前に就寝。
4/3(月) 手術から6日
仕事始め。仕事はまぁこんなもんか?って感じで終えられたが、17:30頃から強いめまいが出てしまい、2時間ほど横になってから迷ったけど散歩へ。
2,500歩歩けた。歩いたほうが治りが早いらしいので、頑張って体を動かしていきたい。
病院から帰宅後は、程度の差はあるものの、毎日めまいと頭痛はある。貧血と言われて鉄剤も処方されているが関係あるのかな?
4/4(火) 手術から一週間
朝食後、久々に悶絶する腹痛。病院で牛乳を飲んで以来。ヨーグルトのせいか?とにかく油断禁物。
集中力が続かない。手術前からのような気もするが、より一層な気もする。
年のせい、ホルモン剤の副作用、術後の痛みや疲れのせい、、、などなど、思い当たる節が多すぎて原因がわからない。
仕事後に散歩に行って3,200歩。夜は頭痛が出てしまったので痛み止めを服用。
だいたいこんな感じ。
全然関係ないけど、自分が手術してウンウンうなってた時、教授が亡くなった。
自分みたいな普通の手術ですらそれなりに苦しくて辛かったけど、教授の苦しみはもっとずっと深くて重いものだったと思う。
自分は物理的な痛み、そこからくる弱気、手術や薬の影響などで辛くて、悶えたり泣いたりすることはあったけど、心のどこかに「よりよく生きるための苦しみだ」という思いはずっと持てていると思う。だからこそ耐えようとしたり、頑張ろうと思えたりする。
教授はきっと素晴らしいサポート体制の中で、多くの人に愛されての闘病だったと思うけど、終わりを射程に入れながらの日々はどんなものだったろうか?そして、そこからの最後の数日ってどんなものなんだろう。
彼の音楽をすごく聞いてきたわけじゃないけど、すごく寂しくて悲しい。
もっと生きていてほしかった。
飲食のたびにお腹が痛くなるのがつらい。これは術後初の食事から変わらない。でも、水分もこまめに摂らなきゃだし、困ったもんである。痩せるかな?
しかし、今朝の腹痛はこれまでで一番酷い。牛乳のせいか、引き攣るような痛みが20〜30分続いて、待てば治ると感じてても「今日退院できるのか?」と一瞬本気で怖くなった。そして待ってたら治った。
昨日よりも歩けるようになっていたので、荷物は持ってもらって、自宅最寄り駅までは電車で帰ってみた。
周りの人が歩くの早くて怖く感じた。
自分も普段、同じ思いをさせてたのかも…と反省。
道中、諦めかけていたお花見ができて嬉しかった。このために退院したような気がするくらい嬉しかった。
家の方が病院よりもマイペースに飲食できて楽かも。お風呂も入りやすいし、気も楽だし、帰宅しただけで随分持ち直せた気がする。
この調子で土日でしっかり元気を取り戻し、週明けの仕事復帰に備えたい。
しばらく手術も入院も懲り懲りだけど、半年前のがんはどーなったかな?偽陽性であることを切に願うのみ(ーmー)
朝ごはんは普通のお米だった。多すぎてとても食べきれない。
9:00頃に回診。傷口のガーゼを取った。もうこのままお風呂とか入っていいらしいけど少し怖い。
おへその中にはマンガみたいなバッテンの縫い目があってちょっと面白い感じ。
日常に戻る練習をと思い、朝食後はデイルームの椅子で過ごし、時々少し歩いたりしていたが、それだけでひどく疲れてしまい、頭やお腹も痛みだしたので、10:30には部屋に戻って痛み止めを飲んだ。
横になっていても立ちくらみのような感覚が抜けない。
お昼ご飯は少し遅らせてもらった。
貧血とのことで1週間分の鉄剤を処方された。
午後は退院に向けて薬剤師さんが処方薬の説明に来たり、看護師さんが退院後の生活指導に来たりした。
一階の売店に行っただけでヘトヘトだけど、本当に大丈夫だろうか?
午後の診察で翌日の退院が決定。
その際、右の脇が痺れたように痛むことを相談。
個人的には10月のがんの手術のこともあるので、リンパは取っていないものの何かヤバイことが?と怖くなってしまう。が、今回は様子見(実際、大丈夫だった)
腹腔鏡手術はお腹に炭酸ガスを入れて膨らませることで術野を確保するのだが、術後にその炭酸ガスが発散(?)される過程で、肩や背中などの痛みを訴える人は多いらしい。自分も肩が痛かった。
痛みが左右非対称で出るという話は聞いたことがないとのことだったが、そもそも乳がん取って半年以内に腹腔鏡手術をした患者が、先生的にこれまでいなかったとのこと。
前の手術からまだ日が浅いので、影響があっても不思議ではないというのは、体感的にも納得。
この痛み&痺れはその後ちゃんと消えた。
夕方、痛み止めが切れる頃になると頭痛が再発。この1週間の午後の頭痛は花粉由来だと思ってたけど、そもそも病棟は窓開かないから花粉は入ってこないんだよな。手術前の月曜日も痛かったし、今も痛い。原因はなんだろ?
術後初のお風呂にトライ。
今回の病棟のお風呂は予約制ではなく、空いてたら自由に入って良いというシステム。
だが、空いてたので準備していくと誰か入ってたりもする。こちとら素早く動けないので、スタスタ歩ける妊婦さんにはかなわない。必死で準備して行って入れなかった時の徒労感がヤバい。ある意味予約制の方がありがたいかも。ちょっとしたことがうまくいかなかった時のダメージが大きすぎる。
入院中は柄にもなく気弱になるらしく、声かけてもらうことのありがたみが沁みる。
「よく眠れた?」
「ご飯は食べられてる?」
「具合はどう?」
「困ってることはない?」
「看護師さんは優しくしてくれる?」
「必ず良くなるよ」
「待ってるよ」
そんなシンプルな労りの言葉が何より沁みる。
あとは愛。
入院中の友人知人家族がいる人は、しっかり愛を伝えてあげてほしい。
術後はとにかく腰が痛くて、夜は全然寝られなかった。
朝、先生の診察で傷の具合は悪くないとのこと。ベッドの背を立てて身体を起こす。
24時間ぶりに飲水解禁。水分はたくさん飲んだほうがいいみたいだけど、飲むとお腹が痛む感じで、なかなかガブガブとはいけない。
身体を起こすと腰は少し楽になった気がするけど、頭が痛くなる。
11:00にはカテーテルを外して歩行&自力でトイレまで行けた。
でも、活動するとフラフラする。
昼を食べて、歯磨きをすると、本格的に頭が痛くなってきた。
顔のむくみもひどいし、右の脇の下あたりも痛んだり痺れたりで、リンパ取ってないけど少し不安。
首や肩も痛い。
ずっと寝てたからというのもあるけど、手術の際にお腹にガスを入れて膨らませており、そのガスが体内に発散されていく際におこる現象らしい。(向かいのベッドの人も同じことを言ってた)
15:00に最後の点滴終了。
採血の結果、貧血とのことで1週間分の鉄剤を処方された。
夜になっても顔のむくみが取れない。
電話でたくさんお話ししたかったけど、座ってるのも辛くてあまり話せなかった。
でも、声聞けて、顔見れて、よかった。
夜中はうつらうつらしてたけど、朝方はよく眠れた。
朝、最後の診察を受けて、8:45には着替えて手術室へ。
ガスで眠って、気づいたら病棟に戻ってきてた。
反応熱が割と出て38度くらいなのだが、本人的には熱っぽい感じはない。
傷口の痛みは痛み止めでコントロールできてるけど、喉の不快感と、何よりも腰痛がヤバい。
カテーテル、点滴、モニターなどが付いていて、自由に寝返りが打てず、腰痛のせいで寝られないんじゃないかと不安。
明日はもっと楽になるはず。
頑張ろう!
前日にすごく落ち込んでしまい、それを引きずったまま病院へ。
道中の桜が満開で、本当は退院の時の嬉しい気持ちで見るはずだったのになぁ…と寂しい気持ちになった。
悪いものを取ってもらってスッキリ生きやすくなるための入院・手術なのだから、もっとウキウキワクワク行きたかった。
病院に着いてもイライラが止まらず、ホルモンの周期や薬の副作用なんかもあるのかもだけど、自分をどんどん嫌いになる。
けど、病棟について担当看護師さんや先生たちとお話しをしてたら少し気持ちが落ち着いてきた。人の力ってすごい。
昼を過ぎると相変わらず花粉症の頭痛がひどい。アレグラ、効いてたんだな。
夕食前に辛すぎてロキソニンをもらった。
夜、窓越しに会えた。
電話でも、画面越しじゃなく顔を見てお話しできて嬉しかった。
12年と12日経った。
昔の投稿などを見ると、最初の数年よりも少し後の方が緊張してる感じ。忘れちゃったらどうしようって自分への不安が裏返って、なんだか攻撃的になってたりもする。
けど、10年過ぎるあたりからそういう不安はなくなった感じ。
「忘れない」って言葉にイライラしてる時期とかもあったけど、今は力を抜いて「忘れない」って言葉を普通に受け止められるようになった気がする。
3.11を思い出すと、一緒に色々思い出す。
人によってその数字は色々だと思うけど、そういう人、結構いるんじゃないかな?
全部の日付や数字を覚えてるわけじゃないけど、その日が近くなったりすると、そのほかの地域のことや、地震以外の災害・人災も併せて思い出す。それで勘弁してもらえたらと思う。
これからも時々思い出すし、時々行動していきたい。
東北大好き。
2022年、実家の環境に耐えかねて「2023年の夏には家を出る」と決意。
これまでは「出たいな~」「もし出るなら」「どうやったら出られるかな~」だったけど、今回は「出る!」と思った。
最初は一人暮らしのつもりだったけど、色々あって二人暮らしの方向で進んできてる。
それに向けて、1週間ほどお試し同居をしてみた。個人的にはとても良かった。
勝手に頑張ってアワアワしたり、自分の悪いところも再確認したり、勉強になったことも多かったけど、それよりなにより楽しかった!
あと、生活にハリが出るというか、無駄な時間が減った気がする。
「ちゃんと起きないと相手も遅刻しちゃう」「そろそろ寝る時間」「お風呂も計画的に」って感じで、自分以外の人がいるからこそ計画的に動こうという気持ちが働いたし、短期間だったからかもだけど、それはストレスになる感じはなくて、むしろそういう風に暮らせてる自分が好ましく思った。
てか、お試しが終わった後の自分のダラケ具合に自己嫌悪。
シャキッとせねばね。