みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

2011年夏の嫌な話

2012年05月27日 01時15分46秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

未だに忘れられなくて、たまに思い出すとヤな気持ちになることがあって、ヤな気持ちになるのにそれを人様の目に触れるところに書こうとしてる自分も、なかなかヤな奴だな。


もう去年の夏の話だけど、宮城にボラに行ってきた。
活動場所はボラの人間が寝泊まりするような場所はなくて、宿泊場所からは車で二時間ほど移動。

その車中、1人の方が語ってた。


自分は心臓が悪いけどサッカーが大好き。
好きなこと我慢してまで長生きしたいとか思わない。
短命でもいいんだ。

自分は3~4回、泥棒に入られたことがある。
そのうち1回は鉢合わせしちゃって(笑)…(以下省略)

隣の家が大火事で消防車とかきて大騒ぎで、自分は爆睡してて、消防士に逃げなかったことを怒られたけど、爆睡してたんだし仕方ないよね(笑)


などなど、語ってた。
自分には『俺、昔ワルだったんだ』っていう武勇伝を語る人と同じようなテンションに聞こえた。


地震後の火事で家を失った人や、
地震後の混乱に乗じて泥棒に入られた人や、
地震や津波のせいで生きたくても生きられなかった人が
沢山いるんだと思う。

被災地から何キロ離れたら、自分の体験談を自由に語ることを許されるのか、
被災日から何日経過したら、自分の人生観や死生観を語ることが許されるのか、
それは分からないし、線引きは難しいんだけど、
2011年、夏、宮城県女川町に向かう自分は、
そーゆー話が苦痛だった。

ついていけないと思った。


活動を続けたい気持ちと、
ついていけない気持ちで悶々として、
最初は、それが嫌だったって事を伝えるのは相手を責める事になって申し訳ない気もしたし、
『不謹慎厨』なんて言葉も流行ってたから、自分もそういうことなのかもと思ったりして黙ってた。

けど、結局伝えた。

したら
『そーゆー体験があるからこそ、私は被災者の気持ちが一瞬で理解・共感できるの』
だってさ。

ついていけないと思った。


チームのやり方とか段々と変な方に変わってきちゃったりで色々思うことはあったけど、
その人がいてくれたお陰でできたことも沢山あるし、何よりボラに参加出来るきっかけを与えてくれた人だから、
そこはすっごく感謝してる。

でも、その時の言動と、その後の回答に対する嫌な気持ちは消せなかった。

つらかったにゃあ。

悩み・3月11 日のボラについて

2012年03月08日 00時50分14秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。
悩んでます。

3月11日、福島にボラに行く予定でしたが悩んでます。


行きたい気持ちは強いです。

ただ、今回はいわゆる復旧や復興のための作業ではなく、
一年目という催しの手伝いなどになりそうとの事。


多分、一年ということで現地も道路も相当混雑すると思います。

私よりもずっと大きく震災が人生に影響した方や、
一年を重要な節目と捉えている方々が沢山いると思います。

そのすべての方たちに色んな思いや生活があるはず。


一年目を福島で迎えたい。
けど、混雑は困る。

とか、

狭義での『被災者』じゃない人がいると、
なんとなく不愉快。

とか、

そんな気持ちの人がいてもおかしくないと思う。
いたら、共感する。


自分がいかなければ車は一台減る。
宿泊予定地も大混雑での雑魚寝らしいから、一人分のスペースにゆとりができる。

なにより、自分の何十倍も何百倍も震災と深く関わらざるをえなかった人たちが一年を迎えるにあたり、邪魔だけはしたくない。


私は行きたいと思う。

けど、行ける資格があるのか分からない。
資格が何かも分からないけど…。


このまま思いを通して行ってもいいのか、
被災地に足を運ばなくとも、
自分の中で14時46分を受け止めることで満足(?)したほうがいいのか…


いつも通りのボラだったら最近は、
行きたい人・行ける人は行けばいいし、
行けない人・行かない人を責めるのも違うな
って思ってて、
でも、
今回は、いわゆるボラ活動ではなくて迷う。悩む。

自分の行きたいって気持ちの中に不純なものがありそうで悩む。迷う。


デリケートな問題だと思うので、
コメントじゃなく、メッセージやメールでもいいので、
こんな私にアドバイスをお願いします(;´д⊂)

よろしくだにゃあ

脱ボラから早1ヶ月

2011年10月01日 04時31分54秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

気づけば最後のボラから1ヶ月以上たちました。


稽古が週3~4日になり、連休がない生活だから仕方ないけど…

無職で貯金食い潰す毎日なんだけど…

最近疲れやすいけど…

行きたいな。


特別な作業がなくても、
自転車でお話を聞いて回ったり、お外で遊べない子供たちを体育館に集めて、思い切り体動かしてもらったり、したいな。


作業も活動もなくても、今までお世話になった地域の今を見に行きたい。


お片付けした白鳥のお部屋には、入院してた奥さんはもう戻ってきたかな?

泥掻きしたお宅は、もう新しい畳敷いたかな?

秋には立ち退きか?と、心配してた宮城のお宅はどうしてるだろ?
家族で一つの答え、見つけたかな?

ひまわりの次は何を植えてるかな?

側溝に水は流れてるかな?

出荷出来るか分からないままでも、田畑を耕しているのかな?

陸に転がる無数の漁船は、まだあのままかな?

子ども達はみんな、少しは背伸びたかな?



現地で見たり、聞いたり、触れたり、出会ったりしたモノゴトヒトが気になる。

少しでもいい方向に向いていて欲しい。


今はとりあえず、コツコツと贅沢一割募金だ!

これが出来るのも街に募金箱があるうちだにゃあ

8月21日活動報告~写真洗浄も悪くない~

2011年08月27日 00時51分25秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。
南相馬ボラの活動報告です。

日曜日は雨だったので、屋外作業は全部中止。
募集がかかっているのは、写真や賞状など思い出の品の洗浄作業のみ。

7月の洗浄作業がなんとも言えずドンヨリしていたので、正直微妙なテンションでしたが、行ってみたら良かった!

今回で4回目の写真洗浄だけど、今までで一番楽しかった。

多分、すごく空気がよかったんだと思う。
リーダーをはじめとする常連の皆さんが、すっごくいい空気を作ってくれてました。


帰りに地元の駅のスーパーで買い物をしました。

そのスーパーには『100円募金カード』というのがあり、レジに並んだときに、そのカードをカゴに入れると会計時に100円プラスで払って、あとで募金にまわされるというシステム。

ボラでお金使ったし…って事でスルーした。

自分の後ろには、どこにでもいそうな、新聞とかとってなさそうな、ニュースとか見なさそうな、そんな姉ちゃんが並んでました。

彼女はスッと手を伸ばし、普通の顔して、その募金カードを自分のカゴにいれました。


『風化』って言葉があって、震災を語るときに、
『完全に風化してるよ。ケッ!』
って言う人もいるけど、そうでもないのかもとも思った。

勿論、風化はしてると思う。
テレビでも前ほど騒がなくなったし、現状に必要なエネルギー量にはまったく足りてないと思う。

けど、そもそも募金もボラも勝手にやるものだから、人の知らないところで自分に出来ることを続けてる人も沢山いるはず。

カードを入れた彼女から見たら、ボラ帰りの自分だって
『おやつ買うなら募金しろよ。みんな風化しちゃってるねぇ~』
なんて思われてるかもしれないしね(^_^;)


何が言いたいのか分からなくなってきたorz

でも、みんなもう少しだけ思い出してくれたらいいなとは思う。

春、やっきになって募金や献血してた方々が、今一度、もう一肌脱いでくれたら嬉しいにゃあ

自分も頑張ろう。頑張りたいから。

8月20日活動報告~泥掻き後に放射線量測定してみた~

2011年08月22日 22時51分42秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。
南相馬ボラの活動報告です。

今回もマイミクさんの車に相乗りで福島県南相馬市に行って参りました。

初日は久々の泥掻きでした。

実は出発の4日ほど前から体調が悪く、今回はボラ自体も辞退しようかと悩んでいましたが、ついついガテンな作業へ…(^_^;)

気温は八月にしてはかなり低かったので、その点は助かりました。

でも、今までにも瓦礫撤去や床下の泥掻きはやってましたが、今回の泥掻きは今までで一番ハードだったかもしれません。

今までに見たり、やったりした泥掻きは、家の中なら泥を掻いて外に出す(落とす)とか、床下ならスコップで土嚢袋に詰めて庭に運ぶという感じでした。
(それらも十分大変だったけどw)

しかし今回は畑(田んぼ?)の用水路の泥掻きだったのですが、水路は√の谷の部分にあり、そこが泥で埋まっています。
その泥を掻き、√の上の平らな部分に上げなければいけません。
これがキツかった(*´д`*)

高さ1mちょっとの橋の中に潜り込んで泥を掻いてくれてる方もいて、とにかく大変でした。

しかも、なぜか今までの場所より各段に多くのガラスなどが、泥に混ざってる。

当然いちいち拾って分別なので、ひたすらザックザックと泥を掻くわけにはいかず、ちょっと掘ってはしゃがんで瓦礫やガラスを取り除き、また泥を掻き…の繰り返し。

ちなみに、この水路が約4区画分くらいあり、それを依頼主のオジサンは、毎朝4時起きして1人で頑張っていたらしい。

今回ようやくボランティアにお願いするにいたり、本当によかったと思う。

今回は30人体制でやったけど、同じメンバーでやっても絶対あと4日はかかる。

そんな作業をずっと1人でやってたと思うと胸が痛い。


今回どういう経緯でボランティアの依頼という事を選択してくれたのか分からないけど、ニーズ調査などをはじめとする『こちら側からの働きかけ』の重要性を改めて感じました。


反面、先日横浜で参加した演劇系のサロンにいらしていた福島の方の言葉も印象的でした。

『東北を赤ちゃん扱いしないでほしい』

現地に足を運ぶボランティアさんに関わらず、関東以南の人達の意識の問題なんだろうけど、
『助けてあげなきゃダメになっちゃう!』
じゃなくて、あくまでも
『力になれることがあれば、遠慮なく言ってください』
なんだよな。

みんなが色んな形で東北の力になりたいと思っていると思うけど、やり方や心構えは時々自問自答していかないとなって思った。


あと、今回は初めて放射線量の測定をやってみた。

毎分0.3ホニャララって値だった。
一緒に計った仲間は0.4ホニャララ。

単位も忘れちゃったし、関東以南の平均値も知らないけど、ここいらの人達の平均が0.2ホニャララとの事で、
『1.5倍から2倍じゃないか!』
と、大騒ぎしようと思えばできるのかもしれない。
けど、除染が必要なのは100ホニャララから。

こーゆー数字のカラクリって、悪意をもって解釈しはじめたらキリがない。
そこをイタズラにチクチクしてる報道とか、ブログとか、いっぱいあるんだろうなと思うと、なんだかなぁ…


体調不良に肉体労働をトッピングしたら、泥みたいに眠れたけど、今回もまたまた夜中の地震で目を覚ました。

まあ、前日に久々の震度5があったから、当然と言えば当然か(^_^;)
なんて、慣れっこになりつつあるフリしても、テレビで速報が流れれば、やっぱり心配になるんだよ。
自分が現地にいない時ほど。
不思議な心理だ。


翌日の活動報告に続くだにゃあ。

ヒバクでサベツ?

2011年08月11日 02時41分58秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

前田敦子ちゃんの衣装に「リトルボーイ」と書かれていた事で
ちょっとした騒ぎになる8月前半、皆さまはいかがお過ごしでしょうか?

自分は、今まで分かっていなかった事が少しだけ分かった気がしていて、
ますますドンヨリしています。

以下、差別的な表現などがありましたらご容赦ください。


小中学校とかの社会科の授業で、
『広島や長崎の人々が「ヒバクシャ」といって差別されることがある』
って聞いて、意味がよく分かりませんでした。

「ヒバクシャ」だと、なんで差別されるのかが分からなかったのです。


今回の原発事故があって、陸前高田(ボラの仲間は「リクタカ」って呼んでるw)の
松の木で作った護摩木(っていうの?)を、京都で燃やそうとしたら、
一部の人に拒否されて、結局取りやめになった。

とか、

福島の人が東京都内のパン屋で働き始めたら
「福島の人の作ったパンは怖い」って言って買うのをやめた人がいた。

とか、

そういうニュースを聞いて、ようやく「ヒバクシャ」が差別されてしまう理由が分かった。

多分、怖いんだよね。当然といえば当然なのかもしれない。


でも、
東北=放射線まみれみたいなイメージってどうなの?
陸前高田って福島じゃなくて岩手だよ?
原発からの距離って、首都圏とあんまり変わらないよ?
(まあ、風向きとかの事は分からないけど…)

パンを経由して放射性物質を摂取してしまうかもと本気で思ったの?


非科学的な理由で人の気持ちを踏みにじるのって気分悪くない?

とか思う。



けど…

フィラデルフィアという、エイズをテーマにした映画の中で、
「エイズは体液でしか感染しないから大丈夫」みたいな説明に対して、
「でも、半年後には『やっぱり空気感染もするみたいです』とか言いだしたりするじゃないか。
 今分かってることが全てだなんて言いきれないだろ!」
というような反論をするシーンがあります。


今の科学で大丈夫って言われてるものが、本当に大丈夫って確証は無い。
とくに守りたいものがある人なんかは敏感にもなるよね。

当然の不安や懸念だと思う。
頭では分かってるし、心情も理解できるんだよ。
でも、自分の中でついていけないものがある。


「ヒバクシャ」とか「東北」に対する差別が、他の差別と同じようなものなのか、
少し質の異なるものなのか、自分には分からないけど、
とにかく今の状況はヤダ。

それなのに、自分の知恵ではこの状況を解決できる妙案はとても浮かばない。


くやしいにゃあ


南相馬ボラ・番外編

2011年08月06日 20時41分41秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。
7月末の福島ボラの活動報告・番外編です。
番外編なのでボラの活動内容ではありませんw


7月31日 午前3時54分、地震あり。

ボランティア用の宿泊施設である中学校の体育館の二階。
窓ガラスと照明器具の揺れるガタガタという音で目が覚める。
しばらくして地震速報。
ガラスや照明がうるさくてよく聞こえない。


初めて聞く音量にビックリしたせいか、揺れはあまり感じない。
頭に枕をのせて蛍光灯の破損に備えるが、無事に揺れはおさまった。
(実際には震度5強だったと後で知る)


となりの校舎には避難生活してる人もまだまだいる。
実際の被害がなくとも、子供とか、この音だけで怖いだろうなと思った。


目が覚めたついでにトイレに向かう最中、原発のことを思い出した。
ここは福島。壊れかけの原発が目と鼻の先。
避難区域との境界線も見てきたばかり。
なのに、今更…。
これが危機意識の違いってやつなんだろうか。
南相馬の人なら、もっと早くに頭をよぎっていただろう。
そう思ったら、また色々考えそうになった。


とりあえず、大きめの地震の直後は不必要にネットやメールを使わないように気をつけてみた。
今自分に出来るのは明日の活動に備えて、 寝る事だけ。

おやすみ。


地震と津波、自然災害だけでも十分に怖くて大変なのに、
それ以外にも怯えなければいけないものがあるなんて、なんか変だよ。



以上、余震当日の覚書だにゃあ。


7月31日活動報告~南相馬ボラ2日目後半・予算報告~

2011年08月05日 04時30分04秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

初の福島ボラの活動報告もようやく終わりが見えてきました。

2日目の後半、行ってみよー!


午前中は衣類の仕分け・整頓と日用品・食料品の詰め合わせ作りで終了。


むかえたランチタイム。

『好きなカップ麺、食べていいですよ!お湯もあります』

どうやら余っている模様。
自分も一ついただきました。ゴチ。


午後は被災地の方が物資を受け取りにくるので、我々はそのお手伝いをします。

センター内で希望の物を探す手伝いをする方、持ち出しすぎていないか(物により数に上限あり)確認をする方など色々ですが、自分は元気さを買われてか、物資を車まで運ぶ役を頂きました。


平均的に、一家庭で巨大ビニール袋3~4個+カップ麺(ダンボール)、缶詰めの詰め合わせ、ミネラルウォーター(ダンボール)と、かなりの量になるので、特にお年寄りや女性は大変。
というか1人や2人じゃ運べない。

これを、スーパーとかにあるカートに乗せて、車まで運び、積み込むってポジションです。


体力的にはキツい(クソ暑い日じゃなくて本当に助かった(^_^;))

けど、すごく楽しい作業でした!

体を動かすのは気持ちがいいし、何より現地の方とコミュニケーションを取れるのが嬉しい。

『明日から仕事が再開するんです』
とか聞くと、ホントに嬉しくなる( ´∀`)

センターの人にも
『楽しそうに働くね!』
『元気いいね!』
って声かけてもらっちゃいました。
ま、太陽の陽子ですから(朝ドラw)


活動が終わるとセンターの方がアイスを用意してくれていて、その甘さと冷たさが沁みる~!
(知覚過敏にあらず)

『ありがとうって言われたいだけのボラは来るな』
ってネットで見たけど、やっぱ言われると嬉しい。

でもきっと、言われたいだけじゃなくて、やれる事をやって言ってもらえて、だから嬉しいんだな。


活動後、今回のボラで知り合った方々とツィッターなどフォローしあい、お互い頑張ろう!とエールを交わしあい福島を後にしました。


帰りに仲間と食べたいつもの牛丼、いつものとは比べられないくらい美味しかったな( ´∀`)


17時40分に福島をあとにして、危険運転などせずに、23時半には埼玉着。
終電に間に合い帰宅出来ました。


今回の予算
家~集合・解散場所の電車代=約3000円
集合・解散場所~福島=2500円(高速無料・ガソリン代を4名で割勘)
食費(6回分)=約3000円
宿泊費=無料
経験値=プライスレス☆

なんと、まさかの一万円切り!
(食費とか、もっと安く出来たかも…。芋とか無料で配ってたし、あと酒無しならw)

これなら無職でも続けていけそう!
問題はスケジュールだな(^_^;)


とにかく、初福島ボラはお財布にやさしく、勉強にもなり、新しい仲間とも出会い、自分的にはなかなかよいボラでした。

現地の方にとってもそうであれば幸いです。


暖かく迎えてくださった福島の皆様、
一緒に活動してくれたボラ仲間の皆様、
優しく送り出してくれる我が友、
ありがとうございます( ´∀`)

番外編に続く! だにゃあ

7月31日活動報告 ~南相馬ボラ 二日目前半~ 

2011年08月03日 17時15分49秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

南相馬でのボラ2日目の活動報告です。

6時50分、眠い目をこすりながら起きるとボスからの着信アリ(ホラーじゃないよ)
炊事コーナーに行くと朝ご飯が出来てました。ありがたや。
でも、朝からラーメン!?
豚骨系じゃなくて本当に助かりました(^_^;)

英気を養い、いざ活動へ!


本日の活動内容は物資センターでの仕分け(など)
車を出せる方に協力してもらい、相乗りでボラセンから物資センターを目指します。
自分は福島市から来たという青年の車にお邪魔しました。

青年曰く
『正直、この辺りより福島市や飯舘村の方が、よっぽど放射線量高いんですよね。アハハ(^o^;)』

やっぱりそうなんだ…


物資センターでの最初の仕事は衣類の仕分け。

前日(?)に物資をもらいに来た人たちが、欲しい服を探すべくワッサワッサと掻き回したダンボールの中の衣類を、地元ボラや県外ボラの方々と一緒にたたみながら仕分けします。
(ハンガーで展示出来ればいいけどスペースもラックもないしね)

正直に言おう。
集まっている服のレベルが か な り 低い。

伸びたカットソー。
毛玉のニット。
ぺらぺっらのキャミソール。
時代遅れすぎるジャケット。

やっぱり最初の一か月とか過ぎたら、新品またはそれに準じるもの限定にすべきかと思う。
もちろん集まる数は減るけど、ビミョーな物が大量に集まっても仕方ないし。

自分自身が『100円でも買わないなぁ』と思うものを送るな!

と、声を大にして言いたい。
被災地は、不要物の処理場じゃない。

沢山送れば自分は満足かもしれないけど、質が伴わなければ多いほど迷惑だ。
(これはボラ全般に言えるかも…)

あげるのが少し惜しいものや、自分が貰ったら嬉しいものを送ってほしい。
いや、贈ってほしい!

そして、以前の活動の際に「新品の」衣服・タオルを送ってくださった皆様、
本当にありがとうございます。


自分が県外ボラだからか、最初のうちは現地ボラさんは
『送って頂けるだけでありがたいです』
的な感じでしたが、うちとけてぶっちゃけトークとかできるようになると、チラホラ本音もw
そのどれにも激しく同意でした(^o^;)

そんな苦笑い連発の衣類仕分けの後は、食品と日用品の詰め合わせ。

通いの地元ボラさんは早い早い!
そのペースに遅れをとらぬよう、全力で生活用品セットと食料品セットを詰め合わせて、最後はそれを一カ所にまとめます。

すごかった。
あんなに素早いバケツリレーは初めてです。もう自衛隊並?

でも、やっぱみんなでやる作業って楽しい!
この作業のおかげで、全体に一体感が生まれました( ´∀`)


午後の作業につづく。だにゃあ

NG発言

2011年08月03日 02時33分36秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

こんなこと言っちゃいけないって分かってるけど…

稽古、なければいいのに。

と、最近はたまに思う。


仕事の無い今、稽古さえなければ被災地に長期泊まり込みで
地道な活動が出来るのになって。


芝居ありきの生活をしていた数年前の自分なら思わなかったのにね。


仕事とか、子育てとか、療養とか、そういうのは
「やらなきゃいけないこと」だと思う。

でも、芝居なんて、アマチュアの芝居なんて、やらなくても誰も困らない。


あと、無職の自分としては仕事を探す訳ですが、
稽古日程に支障がない仕事って結構難しい。

残業多め
都内北寄りで18時定時
土日両方出勤

稽古が無ければ問題ないけど、稽古のためだけにNGになる。



ダルビッシュが3月半ばに
「こんな時にボール投げたり、それをバットで打ったり、こんなことしてていいのかな」
って言ってた。

そんなこと気にしなくていいんだよ。って思ったけど、

自分は
「こんな時に、芝居最優先で動いてていいのかな?」
って思うよ。


この不安や苛立ちを稽古で芝居で昇華させなければ、お客様に申し訳が立たないわけで、結局のところ頑張るんですけどね。

たまにね、いいのかな?ってね、思うわけっす。


なんじゃこりゃ。

わかっちゃいるけど気持ちがついていかない。
それ、ダラダラ書いただけだな。
でも、書かずにいられなかったんだな。

お目汚し、失礼いたしました。

7月30日活動報告  ~南相馬ボラ 1日目~

2011年07月31日 23時59分41秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

ボランティア活動4回目(7〜8日目)の活動報告です。

今まで3回(6日間)は宮城で活動してましたが、今回のボラは初めての福島入り。
割と避難区域に近い南相馬での活動となりました。

7月29日(金)
某企業での最後の勤務を終え、晴れて無職に(T-T)
その足で埼玉の三郷に向かいます。

30日 0時半
今回のメンバーと合流(全員初対面!)
ボスの車で一路、南相馬を目指します。


早朝5時頃? 海辺に到着。
ボスが少し寄り道して、街の様子をみせてくれました。
初めての福島入りの自分にとってはありがたかったです。





原町火力発電所。
震災時に揚炭機全4機が破損。8万トン級の石炭船も沈没。
福島第一原子力発電所事故による緊急時避難準備区域内なので、復旧の見通しは立ってないそうです。





小さな向日葵
花の姿にはいつも心が温まる。





この柵の向こうは立ち入り禁止。
なんだかなあ…


6時頃
道の駅で朝ご飯を食べて仮眠→南相馬ボラセンへ

受付を済ませ、簡単なオリエンテーションを受けたら仕事の割り振りです。

ちなみに、こちらのボラセンの基本的な仕事の割振りの流れは以下の通り。

受付をする

名札をする

付箋紙に名前と連絡先を記入

壁に張り出された本日のニーズ表の作業内容を見て、
自分で付箋紙を貼り付ける
(意識はしなかったけど、定員もあるはず?)

出発の準備が整った作業チームから順次出発


とても効率よく割り振りができるシステムだと思いました。

ただ、集まるボランティアさんがある程度なれてて、ボラセンもコンパクトだからやれる方法かも?


この日は雨のため屋外作業は中止。
泥掻きしたそうで残念ムードの方もいましたw

自分は前回の女川同様、写真などの洗浄作業に行ってきました。

おそらく通常の写真洗浄は水を使うと思われますが、こちらでは以前に洗浄後の乾燥不足のためか写真が酷く黴びてしまうということがあったため、すべて水無し洗浄でした。

でも、乾いているスポンジや刷毛、あとシリコンのお好み焼き返し、ウェットティッシュで相当キレイになる!
少し時間はかかるけど、画像が溶けたりする心配はありません。
(でも、水有りの方が作業は楽でした(^_^;))

女川で写真洗浄をやったときは、同じ場所で被災者さんへの写真の受け渡しもしていたので、
いわゆる『顔の見える作業』だったのですが、今回の作業場では洗浄のみで受け渡しは別の場所だったので、
少し寂しい感じもしました。
でも、女川での嬉しそうに写真を持ち帰る方々の様子を思い出すと『今洗っているこの写真もいつか…』と、頑張りやすかったです。

逆に、初めての写真洗浄らしき若者たちの一部は、かなりのやるせなさを感じている模様。
相手の顔が見えるか見えないか(想像できるかできないか)で、こうもやりがいが変わるんだなとシミジミ…


活動後は銭湯で汗を流し、原二中へ。

原二中は避難所兼ボランティア専用宿泊施設で、住民の方々は校舎を生活の拠点にしており、
我々ボランティアは体育館に寝泊まりできます。
(ボランティア専用宿泊施設は8月15日に閉鎖orz)




女性の寝床はこんな感じ。
ゆったり広々。男性とは別エリアです。



ちなみにこちらの宿泊施設は宿泊費は無料です。

毛布、枕、電子レンジ、トースター、冷蔵庫、洗濯機(と洗剤)、ガスコンロ×2、扇風機などが揃っていて使用は自由。
(大騒ぎしなければ飲酒もOK)

なので、夜は持ち寄ったキャンプ道具なども生かして、格安の激うまディナーを作って頂き(自分も混ぜるのは手伝った)晩餐会。





全国から集まった様々なボランティアさんとの交流も楽しかったし、ちょっといい話や失敗談、自分が行ったことの無い地域の話なども聞けて、勉強にもなりました。

これはこういう施設ならでは特権かも!


そうは言っても21時半には完全消灯となるので、明日に備えてとっとと寝るべし!

ホント、健康的でしたw


翌日の活動報告につづく だにゃあ。

怖い?怖くない?~シーベルトの話~

2011年07月29日 23時35分37秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

神奈川県に住んでる私は
『放射能、怖いよね』
みたいな言葉が、基本的にピンとこない。

もちろん想定外の高い数値が出た!とか、食肉出荷停止!とか聞くとギクッとするけど。

特別に政府に対して信頼が有るとか無いとかいうこともなくて、なんとなく
『直ちに健康に被害が出そう』になったら、何がしか通達もあるだろう…みたいなユルいノリである。

多分、これが巷で噂の『思考停止』ってやつだな。



少しだけ体弱い30過ぎの私は、多分もう折り返し地点付近だし、放射能の影響がハッキリ出る前にポックリな気もする。

今まで散々東京電力の電気を使ってきたんだから、怖いとか言う権利はない気がする。

なんてのも、後付けの理由というか、あくまでも『怖くない』『怖さを感じられない』ってのが先にあるから展開される理論だなとは感じる。
間違っても潔さとか、そーゆーもんじゃない。

だから、『怖くない派』の方々が『怖い派』の方々を小馬鹿にしたり、臆病者扱いするような事はあっちゃいけないと思う。


逆に、怖い派の展開する色々な理論も、まず怖さありきにも聞こえる時もある。

たとえば『政府の言うことは信用できん!』とかも、信用出来ないから怖いんじゃなくて、怖いから信用出来ない。的な?
(たしかに信用は出来ないけど…)

上手く言えないけど、不安や恐怖があって、それをなだめたり発散するための『反応』的な言動も多少は混ざってる気がする。
(それが悪い事って意味ではないです)

私も、妊娠したり、子供がいたりしたら、また違った反応だったとも思うし。



放射能が、具体的に人体にどう作用するのか、キチンとイメージ出来てる人って多分殆どいなくて、だから、そこから喚起される恐怖心はあまりにも人それぞれで、しかも命に関わることなだけに感覚は本能的で、意見は譲りがたく、よほどクリアな数値やデータやイメージや実例がない限り、みんなで共通の認識を持つのは難しいんだと思う。

なんか、ある意味で未知の伝染病みたいな感じ?


目の前にお腹を空かせたヒグマが現れた時に、命の危機や死の恐怖を感じてる人を、誰も大袈裟だとか臆病だとか思わないだろうし、
三輪車で近づいてくる2歳児に恐怖心を抱かない人を、鈍感だとか危機管理意識に欠けるとかは誰も思わないと思うから。




そんな『怖くない派』の私ですが、怖いことがある。

『福島に行くんだ』
『福島に行ってきたんだ』

これを人に伝えるべきか、会話の最中、コンマ2秒くらい逡巡する。

きっかけは、怖い派の友人からのアドバイス。

『福島に行くって、あんまり人に言わない方がいいかもよ?』

そいつ自身はツマラナイ差別とかはしないと信じてる。

でも、その(福島入りしたという)事実は、時として人に恐怖心を抱かせることがあるって可能性と、その誰かの恐怖心が悪気はなくとも私を傷つけるような行動を引き起こす可能性があることを心配してくれてるんだと思う。
(買いかぶりすぎ?勘違い?)

ニュースでは、福島からの転校生がイジメにあったり、福島ナンバーの車が給油拒否にあったりって情報を聞いていたけど、なんだろう…
怖い派の人の意見を初めて身近に、リアルに聞いた気がする。


私は軽いノリ(?)で、ちょっくら行ってくるっす!くらいの感覚だったけど、その距離感や感覚の違いのズレの大きさを初めてリアルに感じた。

原発離婚、あり得るなって理解はしてたけど、なんか、ホントに実感した。


私は、色んな事を、軽く考えすぎているのかもしれない。
キチンと向き合えていないのかもしれない。

私の想像をはるかに超えて、震災における『人間関係』という事態は、人を傷つけてたり、傷つけられたりしているのかもしれない。


嗚呼、でも、とにかく明日は頑張ろう。

私はこれから南相馬に行ってきます。
だにゃあ。

ありがとうの効用

2011年07月28日 12時13分53秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

昨日は職場の送別会(自分のw)をかねた女子会でした。

大井町の、知る人ぞ知る的なイタリアンをノンアルコールで堪能(バイクあるから)した帰り道、僭越ながら言わせて頂きました。

『もし考えてくれてたらなんですけど、最終日は花束とか無しでお願いします!』

(゜Д゜)←みんな

最終日は金曜なのですが、自分、金曜は会社のあとは芝居の稽古。
そして稽古のあとは直接ボランティアに行っちゃうので、お餞別とか頂くとちょっと困ってしまうのです。
(車だしてくれる人から荷物は少なめでよろしくって言われてるし)

そんな事情を説明したら

『どこ行くの?』

『福島っす』

『初めて?』

『四回目っす』

『いつも福島なの?』

『前回までは宮城っす』

『私、仙台出身なの!ありがとー(^-^)』


やっぱ嬉しいな、ありがとーって(^-^)

人が喜んでくれると、どうして自分が嬉しくなるのか分からないけど、この手の機能・効用を目の当たりにする度、人間ってスゴい!って思う。

人間ってスゴいんだにゃあ!

ごあいさつ。

2011年07月06日 23時15分33秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

今回は、今まで私の被災現地でのボランティア活動を支えてくださった皆さんへの、報告を兼ねたご挨拶ですm(_ _)m


TEAM 4 U メンバーさん

お疲れさまです。

みんなと同じチームで活動できて、不謹慎な言い方かもしれないけど、とても楽しかったです。

予定では、7月の活動が自分の参加できる最後の活動だったので、今まで以上に頑張りたかったのですが、メンバーからあぶれてしまい、本当に残念だけど、今回は参加できなくなってしまいました。

きっと、姉さんが私のため、チームのため、ひいては被災地のためにはその方がいいだろうと判断されたのだと思います。

参加予定だったのに急遽変更となってしまったので、本当はコミュでキチンとご挨拶と『行ってらっしゃい!』を言いたかったのですが、コミュを見れなくなってしまったので(きっと姉さんが、私に何か配慮してくれての事なんだと思います)、マイミクさんだけになってしまいますが、日記でのご挨拶とさせて頂きます。


これからも、私は私が出来ることを続けたいと思います。

でも、やっぱり現地に行って直接何かしたいし、
今はそれが一番求められてる事の一つだと思うので、
足を運べるみんながすごく羨ましいです!
私の分まで頑張ってきてもらえたら嬉しいです。
陰ながら応援してまーす(^-^)



救援物資集めなどに協力してくださった皆さん。

いつもご協力いただき、本当にありがとうございます。

物資を分けてくれた方、
お友達や親戚にまで呼びかけてくれた方、
心より感謝しています。

物資は私やチームのためではなく、被災地の方々のためとは分かっていても、呼びかけに応じてもらえたことで頑張る気持ちは益々強くなり、直接足を運べずもどかしい思いをされてる人たちの分もしっかりせねば!と、気合いも入り嬉しくなりました。
ありがとうございました( ´∀`)



悔しさや残念な気持ちも少なからずあるけれど、それは被災地での活動を経験できたからこそ、被災された方々と直接関わる事ができたからこその苦味だと思うので、この気持ちをなんとか飲み下し、これまでの活動で経験出来たことを何らかの形で今後の活動や自分自身に生かしていけたらと思います。

本当に本当にありがとうございました!


ニッポン、チャ・チャ・チャ☆

だにゃあ。

6月28日 活動報告

2011年07月03日 18時43分49秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

6月28~29日に女川町に行ってきました。
目的はもちろんボランティア活動です。

今回は福祉系の資格をもったリーダーと、美容師さんと、自分という
コンパクトなチーム編成でした。


27日は普通に出勤し、その足で夜行バス→仙台という定番のスタイル。

28日、那須の先で事故があったらしく、仙台到着は予定より1時間半以上遅れてしまい、
そこから大急ぎでレンタカーを駆って女川町へ。



どんな被災地にも苦労はあると思う。

たとえば「埼玉は大したことない」って言ってる人もいたけど、NHKのクロ現では
海のない埼玉の一部でも液状化現象で家が傾き、そこで暮らしているだけで
体調不良になるけど、新築でローンも残ってて、引っ越しも大変、傾きを直す工事も大変、
どこで暮らしていけばいいの?って人もいて、これは辛いだろうなと思った。

前回の活動先の一つである仙台市の岡田地区では側溝がヘドロに埋まり、
このままで梅雨や台風が来たら、街中が再びヘドロまみれに逆戻りって感じで、
一刻も早く側溝をきれいにしたいと思ったし、方法は人海戦術しかないのは明白で、
ボランティアの需要はまだまだあるとシミジミ実感した。

どこも大変だ。分かってる。
それでも、女川は凄かった。すさまじかった。


何度も女川に足を運んでいるリーダー目線では「大分マシになった」とのことだけど、
GW(震災1月半後)に入った仙台市の白鳥や岡田より、今日の女川の方が正直よっぽど酷い。

その辺の道を歩いてる人に、今日の女川の写真を見せて
「震災直後です」
って言ったら、多分全員信じると思う。



28~29日、自分とリーダーは写真洗浄をやりました。

瓦礫の中から自衛隊の方たちが見つけ出し保管しておいてくださったアルバムを
持主に見つけてもらうためのお手伝い。

作業内容は、ヘドロにまみれたアルバム(本の形をとどめている物の方が珍しい)の中から
持主が特定しやすい写真を一枚選択。(家族写真などがベスト)

選んだ写真を丁寧にはがしナンバリング→慎重に洗浄・乾燥。
残りの写真(アルバム)は同じ番号を振った箱にしまう。

洗浄した写真を表に貼りだし、心当たりの写真があれば
裏のナンバーと同じ番号の箱の中からアルバムを探してもらう。


状態がよく、簡単にはがせて、簡単に洗浄できるものもあれば、
アルバムのポケットのセロファンに写真が貼りついてしまっているものや、
写真を水につけた瞬間に色が水に溶けだしそうになるもの、
表面に砂がこびりつき、一歩間違えば写真ごと傷つけてしまいそうなものなど、
本当に様々だった。

でも、洗いすぎにも注意!
汚れも絵も落ちちゃうくらいなら、汚れてても絵が残ってる方がいいので、
引き際も肝心です。

写真の選択も結構気を使います。
夫婦ならいいんだけど、カップルっぽいものだと「今」の彼氏・彼女か分からないので、
これを表に貼りだす写真として良いものか・・・と悩んだりw


選ぶ写真は家族写真がメイン。残った写真のなかでも状態のいいものになるので、
とにかく大切に扱います。


洗浄作業中にも、アルバムを探しに来た方が訪れ、
無事にご自身のアルバムを手にされる瞬間に立ち会えるのは嬉しかったです。

自分が洗った写真のものでは勿論ないけれど、いつか自分の洗った写真も
こうして持主の目にとまれば嬉しいな(^-^)


探しに来た方が「あら、これ○○ちゃんだわ」ということもあります。
その後に「知らせてあげたいけど、どこにいってしまったんだろう」と続く事も…。

もちろん別の避難所に行っているのかもしれないし、親戚の家に避難されているのかも
しれないし、可能性は沢山ありますが、考えたくない可能性も頭をよぎります。
でも、浸ってる場合じゃない!そういう立場でもない!
びゃんびゃん洗うぞ~!


一緒に行った美容師さんは本職を活かしてカットボランティアをされていました。
1日で19人もカットしたとのこと。

どうやら6月の初めに彼らがカットボランティアに行った後、理容師・美容師さんが
一度も来ていなかったようで、待望のカットボラだったご様子。


朝早くに集まって、泥出しに行ったボランティアさんもいるようで、
やることはまだまだ沢山あるなと実感しました。


29日の報告も近いうちにアップします!だにゃあ。