こんばんにゃ。
生きる意味、人生の意義、個人の存在価値について考えます。
考えたくもないのに、人間は考えても仕方のない事を考えてしまう不自由な生き物ですね。
そもそも「ただ生きる事」が難しければ、こんな事考えないと思うんですけどね(^o^;)
何かの本で読んだのは
「人は自分のためにどれだけ頑張っても生きる意味、人生の意義を見いだせない。
他人のために努力して、初めて生きる意味や意義を見出すことができる」
的な理論。
でも、本当は他人のために努力しただけじゃなくて、
その結果『感謝された』『必要とされた』と感じられて、初めて見出すことの出来るもの。
って気がします。
(お気に入りの「全ては自分のため」説は面倒くさいので、今は割愛)
では、たとえば誰にでも出来る仕事・本人がプライドを持ってやっているわけではない仕事をして
感謝されたり必要とされたりした場合、人は生きる意味を見出すことができるでしょうか?
自分的には「否」です。
それは労働力としての「感謝」「必要」なので、個人の存在意義を見出すには少々弱い気がします。
本人が「誰にでも出来る仕事」と感じている場合、そこで必要とされても、自分の存在を必要とされているとは
感じにくいのではないでしょうか。
また、少し話題はそれますが「オンリーワン」という言葉があります。
♪ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別な~♪的なアレです。
自分はあの歌は嫌いではないし、あの歌に勇気づけられた人も沢山いると思います。
ただ、思うのです。
「もともと特別なオンリーワン」
ということはつまり、
みんな生まれながらにオンリーワン。オンリーワンで当たり前。全員オンリーワン。
この状況でどうやって「オンリーワン」である事に価値を見いだせるでしょうか?
オンリーワンであるという事が、すでにオンリーワンではないのです。
決してオンリーワンであるという事に安住出来ないのです。
やはり人間は「ナンバーワン」にならなければ、自身の価値、存在意義を見いだせないのではないでしょうか?
それは何も、必ずしも世界で一番である必要はないかもしれません。
学校で一番である必要も、一族で一番である必要もないように思われます。
誰かの何かの(好意的な)一番。これで十分ではないでしょうか。
そして、一番というのは言い換えれば「代わりがいない」という事だと思います。
自分にも大切な友達たちがいて、誰も代わりは出来なくて、いなくなって欲しくない、必要な人たちです。
(この熱い思いがみんなにどのくらい届いているのかは甚だ疑問ですが…)
そして、誰の「ナンバーワン」でもない、誰にとっても「代わりのいない」「オンリーワン」では無い。
そう感じているときには、生きる意味、人生の意義、個人の存在価値を感じるのは
とても難しいことだと思います。
そしてそして、生きる意味、人生の意義、個人の存在価値を感じられないまま生き続けるのは
とっても悲しいことだと思うのです。
そしてそしてそして、更に面倒な事に人間は「誰から」必要とされたいかという贅沢な理想を
持ってしまうのです。
「この人に」必要とされたい。「あの人に」感謝されたい。
言い換えれば
「あの人に」感謝されても意味がない。
「この人に」必要とされても、さほど嬉しくない。
悲しいけれど、これが現実かなって思います。
親子でも、夫婦でも、恋人でも、友達でも、上司部下でも、師弟でも、
相思相愛でなければならないのです。
そこで問題です。
自分には「生きる意味、人生の意義、個人の存在価値」があるかにゃあ?
真面目に考えたら、怖くて夜も眠れませんね。
でも、昼間に居眠りしたくないから、考えるのやめるにゃあ。
生きる意味、人生の意義、個人の存在価値について考えます。
考えたくもないのに、人間は考えても仕方のない事を考えてしまう不自由な生き物ですね。
そもそも「ただ生きる事」が難しければ、こんな事考えないと思うんですけどね(^o^;)
何かの本で読んだのは
「人は自分のためにどれだけ頑張っても生きる意味、人生の意義を見いだせない。
他人のために努力して、初めて生きる意味や意義を見出すことができる」
的な理論。
でも、本当は他人のために努力しただけじゃなくて、
その結果『感謝された』『必要とされた』と感じられて、初めて見出すことの出来るもの。
って気がします。
(お気に入りの「全ては自分のため」説は面倒くさいので、今は割愛)
では、たとえば誰にでも出来る仕事・本人がプライドを持ってやっているわけではない仕事をして
感謝されたり必要とされたりした場合、人は生きる意味を見出すことができるでしょうか?
自分的には「否」です。
それは労働力としての「感謝」「必要」なので、個人の存在意義を見出すには少々弱い気がします。
本人が「誰にでも出来る仕事」と感じている場合、そこで必要とされても、自分の存在を必要とされているとは
感じにくいのではないでしょうか。
また、少し話題はそれますが「オンリーワン」という言葉があります。
♪ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別な~♪的なアレです。
自分はあの歌は嫌いではないし、あの歌に勇気づけられた人も沢山いると思います。
ただ、思うのです。
「もともと特別なオンリーワン」
ということはつまり、
みんな生まれながらにオンリーワン。オンリーワンで当たり前。全員オンリーワン。
この状況でどうやって「オンリーワン」である事に価値を見いだせるでしょうか?
オンリーワンであるという事が、すでにオンリーワンではないのです。
決してオンリーワンであるという事に安住出来ないのです。
やはり人間は「ナンバーワン」にならなければ、自身の価値、存在意義を見いだせないのではないでしょうか?
それは何も、必ずしも世界で一番である必要はないかもしれません。
学校で一番である必要も、一族で一番である必要もないように思われます。
誰かの何かの(好意的な)一番。これで十分ではないでしょうか。
そして、一番というのは言い換えれば「代わりがいない」という事だと思います。
自分にも大切な友達たちがいて、誰も代わりは出来なくて、いなくなって欲しくない、必要な人たちです。
(この熱い思いがみんなにどのくらい届いているのかは甚だ疑問ですが…)
そして、誰の「ナンバーワン」でもない、誰にとっても「代わりのいない」「オンリーワン」では無い。
そう感じているときには、生きる意味、人生の意義、個人の存在価値を感じるのは
とても難しいことだと思います。
そしてそして、生きる意味、人生の意義、個人の存在価値を感じられないまま生き続けるのは
とっても悲しいことだと思うのです。
そしてそしてそして、更に面倒な事に人間は「誰から」必要とされたいかという贅沢な理想を
持ってしまうのです。
「この人に」必要とされたい。「あの人に」感謝されたい。
言い換えれば
「あの人に」感謝されても意味がない。
「この人に」必要とされても、さほど嬉しくない。
悲しいけれど、これが現実かなって思います。
親子でも、夫婦でも、恋人でも、友達でも、上司部下でも、師弟でも、
相思相愛でなければならないのです。
そこで問題です。
自分には「生きる意味、人生の意義、個人の存在価値」があるかにゃあ?
真面目に考えたら、怖くて夜も眠れませんね。
でも、昼間に居眠りしたくないから、考えるのやめるにゃあ。