みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

精神の偉大さは苦悩の深さによって決まる

2014年11月12日 22時20分33秒 | みう
こんばんにゃ

週末はガッツリ風邪をひいていたので、風邪の時の治し方を調べるはずが、
風の谷のナウシカを読んでいました。

で、タイトルのセリフが出てくるのですが、
そのままだと自分にはどうにも消化がよろしくない。
ちょいと噛み砕かないと飲み込めない。
と、日曜日から考えてます。


とりあえず、
別にすべての生き物の精神が偉大で、ある必要はないし、
精神が偉大じゃなくても価値あるものはたくさんいる。
ここは抑えておきたい。

「偉大な精神」ってのは、足が速いとか、優しいとか、歌が上手いとか、よく食べるとか、筆まめとか、そういう数ある個性のうちの一つと言えなくもない気がする。
ただ、自分の価値観でいけば、カッコイイ個性だとは思う。



ということで、偉大な精神につながる「苦悩の深さ」とはなんぞや?

ウジウジと悩み続ける事や、ダラダラと悔やみ続ける事が精神を偉大にするとは思えない。

いきなり「苦悩」って言葉を考えても分からないので、
ナウシカの時代に偉大な精神を持ってそうな人々がどんなだったか、
てか、何に苦悩してたのかを考えてみる。


アスベルはペジテのために、チククは土鬼のために、それぞれ尽力してるけど、精神の偉大さって話になると、ナウシカには遠く及ばない感じがする。

ナウシカはいつも、基本的に自分以外のために苦悩してる気がする。
てか、おもに蟲や森を守るために苦悩してる。

民族とか、種とか、超えちゃってる。
人間なのに蟲やら森メイン。
どこにどれだけ気持ちを配るかを決めるとき、そこには身贔屓とか全くなく、
より健気なもの、虐げられてるもの、顧みられることのないものへの思いが自動的に強くなっているようにも見える。


精神の偉大さは、自分以外の何かのために、どれだけ心を砕いてきたかで決まる。
かなぁ???

うん。なんか、飲み込んで消化できそうな気がしてきた。
でも、少し味付けが変わっちゃった気もする。


精神の偉大さは、知性や知識の支えなしに高めていくことは出来ないのだろうか?

テトはとてもかわいいし、カイなんてナウシカのために命がけだけど、精神の偉大さって話になると、王蟲の方が上な感じは(すっごく)する。

てか、王蟲。
精神が偉大というか、とても深い心を持ってる感じ、する。

だけど、王蟲は「愚かな人間どもをどうやったら救えるのか」なんて苦悩はしてない。(記憶違いだったらすまぬ)
自分の印象では、王蟲は
蟲や森が傷つけられた時に、
怒りに我を忘れて暴走してしまって、後からそういう自分達に苦悩してる。

そーゆーとこ、ナウシカにそっくり。
これはアニメにも描かれてるけど、ジルを殺された時のナウシカは完全に暴走する王蟲状態だったし、我に返ったあとは自分で自分が怖くなっちゃってるし。

ナウシカも常に他人のために苦悩してるわけじゃなく、自分自身についても苦悩してるなぁ。


もう少しで自分的な落とし所が見つかりそうなんだけどにゃあ