みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

人質の話

2015年01月24日 12時40分12秒 | みう
こんばんにゃ

人質事件の事、考えてしまうけどモヤモヤ。

整理するために文字化したいけど、徒然なるままにしか書けないだろうな。
気に障る表現や内容があったらごめんなさい。


自分の中で、後藤さんと湯川さんに対して温度差がある。
なんだろう?

昔、三人が捕まった時とか、自分は「自衛隊を撤退させて三人を助けてほしい」と強く思っていたし、いわゆる「自己責任」論に違和感を感じていた。

後藤さんに対しては、割とそっち寄りのテンションな自分がいる。

湯川さんに対しては、正直よく分からない。

自分は、三人や後藤さんは「戦争や悲劇を止めたい」というようなスタンスの人なんだと勝手に思ってる。

けど、湯川さんからは、そういった雰囲気を、自分はあまり感じとれないでいる。
湯川さんの発言(とされるもの)からは戦闘に参加したいように思えるものもあったし、戦争とビジネスを結びつけている事への違和感もあるのかもしれない。
(しかし自衛隊員に給料が支払われることには違和感は無いんだよなぁ。じゃあ傭兵は?ってなると、またグルグルする)

同じ状況に置かれている二人に、同じ感覚を抱けないのは、そんな事も要因の一つな気がする。


でも、人の命は平等だったり、地球より重かったりするらしいので、
もう、どんな思想や目的で行動した結果の拘束であるかは、関係無いのかもしれない。



それが正しいのか分からないけど、
一つ一つの価値が平等なものがあるとしたら、あとは数の話になってくる。
というのは、分かりやすい感覚だと思う。

プライベート・ライアンは、どうしても納得しきれない部分があるし、塩狩峠はどうしても感動してしまう。


よく言われるけど、もし身代金で二人を救い出せたとして、そのお金がより多くの人々を殺したり傷つけたりするだろうっていうのは、気になるところ。

そして、お金を払う国は「ここの国民は金になる」という認識を持たれちゃいそうで、なんだか怖い。
したら、より狙われやすくなって、より危険にさらされる率が上がるんでないか?
って、心配。

そーゆー「未来の、より多くの、命を奪うことにつながるのでは?」という不安は、結構みんなあると思う。
あるいは確信。

でも、未来の不安や懸念のために、今を犠牲(?)にしていいのか?

てか、犠牲なのか?



自分は、もし自分の大事な人が誰かに囚われていたとしたら、
きっと捕まえている人が嫌がることは表立ってしないと思う。

そいつの悪口を堂々と言ったり、そいつが嫌いな人と堂々と仲良くしたり、できなくなると思う。

病院で先生に不満を言えないとか、子供の担任に要望を言えないとか、そういう事って、日常的にあると思う。
大事な何かの生殺与奪権を持っている相手には、かなり気を使ってしまう。みたいな。

だから、囚われの身となった日本人がいるっぽいことが、かなり濃厚な状況で、相手を刺激しかねないと分かりそうなことを堂々としたことは、なんだか腑に落ちない。
(国際的な、難しい駆け引きやバランス感覚が要求されることなんだろうけど)



自分が二人の立場だったらどうなんだろ?
とも思う。

助かりたい。
けど、国から1億ドル出されるのも怖いかもしれない。
帰国するのが怖くなりそう。

自分の預貯金や、自分に好意や関心を持ってくれる方が、もろもろ考えて自由意志でお金を出してくれて、それで解放されるなら、ありがたい事なんだけど。
(自分に対して1億ドル集まるとはとても思えないけど。
ちなみに尖閣諸島の寄付金は約14億円、2014年の振り込めサギの総被害額は290億円を超えるとのこと)

だけど、いずれにしても自分のために支払われたお金の行方を考えると、きっとすごく落ち込む。

じゃあ、もう誰も足を運ばず、関わらず、が正解なのだろうか?
よその事に手出し口出ししようとする事が間違いなのだろうか?
そもそも「よその事」なんだろうか?

隣の家が燃えてても「ウチの火事じゃないから」って放置してたら、そのうち自宅に燃え移ると思う。
なにより、放置してるのが気分悪い。
バケツリレーには参加したいし、中から声が聞こえたら、飛び込みたくもなるだろう。
たぶん自分は飛び込めないけど、飛び込んで大怪我した人を責められない。

けど、もし、その人の治療薬を持ってる人が世界に1人しかいなくて、その1人が毒薬とかも作ってて、殺人とかもしてる人だったら、自分はその治療薬を買ってあげるだろうか?

むむむむむ。

自分が、当人なら助かりたいけど、助けられることも怖い。

けど、その当人を愛してる立場だとしたら、やっぱりとにかく助けたい。


もし、私の大切な君が囚われているなら、絶対に助けたい。
帰国後にフルぼっこだとしても、ね。

だけど、私の大切な君が「次の標的」になる(かもしれない)としたら、どーだろう。


今と未来を天秤にかけるのは難しい。
近くの命と、遠くの命を数えるのも難しい。
どんな答えを出しても、間違いだし正解だ。
と、感じるのであります。