みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

私のセンサー

2015年02月16日 00時52分03秒 | みう・つれづれ
こんばんにゃ

昨日「シュガータイム」という本を読み終えた。

初めて小川洋子さんの本を読んだのは、ごく最近。
人質の朗読会
という本で、タイトルと表紙の子鹿の置物に惹かれて購入。
読んでみて、とても面白かったし、こーゆー本を面白いと思えるようになった自分にも驚いた。

ライ麦畑でつかまえて
で二回目の途中棄権をしてからは、何気に挫折感みたいなものすらあって、以後無意識に慎重に芥川賞的な物語を回避し、直木賞的なルートばかり辿ってた。

別にエンタメを否定する気はない。
てか、エンタメ大好き!
純文学ぶって小洒落た曖昧さで読者を煙に巻くようななんちゃって小説なんぞより、スリルとサスペンスとセクシーとバイオレンスとロマンスと汗と涙と青春と労働と部屋とワイシャツと私と愛しさと切なさと心強さに彩られたエンタメ小説の方が 好き!楽しい!好き!

ただ、エンタメはストレートに面白いとか面白くないとか言えるけど、純文学系に対しては、ある種の負い目や引け目みたいなものがあって、「分からない」とは言えても、「面白くない」とか「面白い」とかは言えなかった。


だけど、面白かった。

昨年、遅ればせながら、三回も途中棄権した人間失格をようやく読了したのですが、その時もスイスイ読めた。

別に、新しい日本語を覚えたわけではないし、純文学をなんでも読めるようになったわけでも無いけれど、いつの間にか「読める」物語が増えていたことは、とても嬉しい。


「人質の朗読会」の後、(本屋大賞でガッカリする事が多かったので)読まず嫌いしてた「博士の愛した数式」を読んで、とても良くて、今回の「シュガータイム」に至る。

基本的に好きな感じだったけど、最後の最後に「この文章は蛇足なのでは?」と思う箇所があった。

だけど自分は、自分の感覚というものを信用できない分野や瞬間があって、今回も「小説家のセンセのお書きになった文章に、私なんぞが蛇足だなんだという判断?評価?は間違いに違いない」的なことも感じてしまう。

が、あとがきで別の小説家のセンセが、自分と同じ箇所を指摘しているのを読んで、権威に弱い自分はなんだか安心してしまう。


まだまだだなと思う。

もっとまっすぐ向き合って、感じて、考えて、決めたり、着地したりしたい。


本でも映画でもファッションでも旅でも食事でも、
値段、批評家、ブランド、ぐるなび、賞とかに惑わされたくない。
(参考にはするけど)

「だから良い」なんて思いたくないし、
「でもダメ」みたいに、多勢に反論する事だけでアイデンティティーを作り出すようなこともしたくない。


早く色々なものに対するつまらんコンプレックスから解放されて、くだらん見栄なんぞも捨てて、自分が本当に必要で好ましく思えるものを見定められるようになりたいにゃあ