今回ご紹介するのは「八日目の蝉」(著:角田光代)です。
-----内容-----
逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか……。
東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島(しょうどしま)へ。
偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。
心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。
第二回中央公論文芸賞受賞作。
-----感想-----
「優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした」
小説の帯にあったこの台詞が印象的でした。
ずっとお母さんだと思っていた人が実は誘拐犯だった…
子どもにとってはとても衝撃的なことだと思います。
ある日主人公の希和子は、愛人として付き合ってきた秋山文博とその妻恵津子の家に侵入。
この二人の間に生まれた赤ちゃんをひと目見るのが目的でした。
希和子は以前文博との間に身ごもった子を中絶し、さらに二度と子どもが生めなくなっていたので、赤ちゃんには特別な思いがあったようです。
しかし侵入した家で赤ちゃんが希和子に笑いかけたのを見た瞬間、希和子は自身の感情を抑えられなくなり、赤ちゃんを連れていくことを決意。
そのまま二人の家から赤ちゃんを連れ去ってしまいます。
かつて希和子が自分の子に付けるはずだった名前から「薫」と名づけた赤ちゃん(女の子)とともに、長い逃亡生活が始まります。
物語は「○月○日」という段落分けで進んでいきます。
まるで全てが終わってから事件のことを独白するような雰囲気を感じました。
そのため、いつ物語が急変して希和子に捜査の手が迫るのかハラハラしながら読んでいました。
安堵しては怯え、安堵しては怯えを繰り返しながら、逃亡生活は続きます。
東京から名古屋、岡山の小豆島(しょうどしま)へと、捜査の気配を察知するたびに逃げていきました。
薫と接するときは優しいお母さんの顔でありながら、新聞や週刊誌に自分のことが出ていないかチェックするときは逃亡者の顔になっていて、その二つの顔が対照的でした。
しかし極悪な犯罪者というわけではなく、薫のことを本当に我が子のように愛し、大事に大事に育てていました。
「神様、どうかこの子と1日でも長く一緒に居ることができますように」と何度も祈る姿を見ていると、本当に薫と一緒に居たいという切実な思いが伝わってきました。
私は、希和子を責める気にはなれません。
もちろん誘拐は犯罪ですが、希和子を犯罪に追いやった原因は薫の両親にあるので。
「因果応報」という四字熟語が示すとおり、日頃からひどいことばかりしていると、最後は自分が報いを受けることになります。
薫の両親にはこの言葉がぴったりで、この誘拐事件は結局自分達の今までの行いが招いたことのような気がします。
ただ、薫の人生は大きく狂ってしまいました。
この小説は「1章」と「2章」に分かれていて、「2章」では成長した薫が主人公になり、本名の秋山恵理菜で登場します。
2章では喜和子のことを「あの人」と呼んで蔑んでいました。
恵理菜から見れば自分の人生を狂わせた張本人なので恨むのも当然なのですが、少しやり切れないものがありました。
願わくば、少しでも恵理菜が希和子のことを許してやってくれないかと思いました。
たしかに、お母さんと思っていた人は犯罪者でしたが、一緒に暮らしていたとき、二人は紛れもなく親子の絆で結ばれていました。
最後の最後、恵理菜にとっても希和子にとっても、少しだけ希望が持てる終わり方だったのは救われた気がしました。
※映画「八日目の蝉」のレビューを見る方はこちらをどうぞ。
※図書レビュー館を見る方はこちらをどうぞ。
※図書ランキングはこちらをどうぞ。
-----内容-----
逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか……。
東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島(しょうどしま)へ。
偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。
心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。
第二回中央公論文芸賞受賞作。
-----感想-----
「優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした」
小説の帯にあったこの台詞が印象的でした。
ずっとお母さんだと思っていた人が実は誘拐犯だった…
子どもにとってはとても衝撃的なことだと思います。
ある日主人公の希和子は、愛人として付き合ってきた秋山文博とその妻恵津子の家に侵入。
この二人の間に生まれた赤ちゃんをひと目見るのが目的でした。
希和子は以前文博との間に身ごもった子を中絶し、さらに二度と子どもが生めなくなっていたので、赤ちゃんには特別な思いがあったようです。
しかし侵入した家で赤ちゃんが希和子に笑いかけたのを見た瞬間、希和子は自身の感情を抑えられなくなり、赤ちゃんを連れていくことを決意。
そのまま二人の家から赤ちゃんを連れ去ってしまいます。
かつて希和子が自分の子に付けるはずだった名前から「薫」と名づけた赤ちゃん(女の子)とともに、長い逃亡生活が始まります。
物語は「○月○日」という段落分けで進んでいきます。
まるで全てが終わってから事件のことを独白するような雰囲気を感じました。
そのため、いつ物語が急変して希和子に捜査の手が迫るのかハラハラしながら読んでいました。
安堵しては怯え、安堵しては怯えを繰り返しながら、逃亡生活は続きます。
東京から名古屋、岡山の小豆島(しょうどしま)へと、捜査の気配を察知するたびに逃げていきました。
薫と接するときは優しいお母さんの顔でありながら、新聞や週刊誌に自分のことが出ていないかチェックするときは逃亡者の顔になっていて、その二つの顔が対照的でした。
しかし極悪な犯罪者というわけではなく、薫のことを本当に我が子のように愛し、大事に大事に育てていました。
「神様、どうかこの子と1日でも長く一緒に居ることができますように」と何度も祈る姿を見ていると、本当に薫と一緒に居たいという切実な思いが伝わってきました。
私は、希和子を責める気にはなれません。
もちろん誘拐は犯罪ですが、希和子を犯罪に追いやった原因は薫の両親にあるので。
「因果応報」という四字熟語が示すとおり、日頃からひどいことばかりしていると、最後は自分が報いを受けることになります。
薫の両親にはこの言葉がぴったりで、この誘拐事件は結局自分達の今までの行いが招いたことのような気がします。
ただ、薫の人生は大きく狂ってしまいました。
この小説は「1章」と「2章」に分かれていて、「2章」では成長した薫が主人公になり、本名の秋山恵理菜で登場します。
2章では喜和子のことを「あの人」と呼んで蔑んでいました。
恵理菜から見れば自分の人生を狂わせた張本人なので恨むのも当然なのですが、少しやり切れないものがありました。
願わくば、少しでも恵理菜が希和子のことを許してやってくれないかと思いました。
たしかに、お母さんと思っていた人は犯罪者でしたが、一緒に暮らしていたとき、二人は紛れもなく親子の絆で結ばれていました。
最後の最後、恵理菜にとっても希和子にとっても、少しだけ希望が持てる終わり方だったのは救われた気がしました。
※映画「八日目の蝉」のレビューを見る方はこちらをどうぞ。
※図書レビュー館を見る方はこちらをどうぞ。
※図書ランキングはこちらをどうぞ。