※「憲法記念日2017」の記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。
写真の真ん中にあるのは憲法記念日の5月3日、東京新聞に掲載された日本共産党の憲法に対する談話です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/d4/90a249928a0468e22a67ced454045fff.jpg)
『憲法の全条項を守るとともに、憲法を生かす政治を実現する決意。国民・市民の皆さんと、安倍改憲を阻止するため、ともに力を合わせる。』
次に同じく昨年の5月3日に東京新聞に掲載された日本共産党の談話を見てみます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/89/c40106f3e8689ca8f0e9d1bf10b86e21.jpg)
『市民、国民と力を合わせ、野党共闘を前進させる。憲法違反の安全保障法制を廃止し、立憲主義を日本の政治に取り戻すために、全力を挙げる決意を表明する。国家権力の暴走を許せば、独裁政治に道を開く。』
昨年も今年も、わざわざ国民とは別に「市民」という言葉が設けられています。
しかも昨年は「市民、国民と力を合わせ~」と国民よりも前に「市民」を持ってきていて、この「市民」とは一体誰のことを言っているのかを「憲法記念日2016 共産党の談話」で記事にしました。
そうしたら、私と同じような疑問の声が沢山上がりでもしてさすがにまずいと思ったのか、今年は「国民・市民の皆さんと~」と順番を変えて国民を前に持ってきました。
ただしわざわざ国民とは別に「市民」を設けることについては今年も変えていないです。
日本国民とは別に設けていることから見て、この「市民」とは外国人のことを言っていると考えられます。
さらに、例えば今年の談話の「国民・市民の皆さんと、安倍改憲を阻止するため、ともに力を合わせる」とあるのは、日本にいる外国人(在日外国人)と力を合わせ、「日本国憲法の改正を阻止する政治活動を行う」ということです。
ちなみに憲法は「日本国民」の為のものです。
日本国憲法の序文にもそのことが書かれています。
日本に住む外国人(在日外国人)は日本人ではないのですから、当然日本のことについて書かれた日本国憲法に口を出す権利はないです。
これは世界的に当たり前の話で、例えば国籍は日本のままアメリカに住む日本人がアメリカの憲法に口を出すのは筋違いであり、アメリカ人からすれば「こちらの憲法に文句があるのなら、自分の国に帰りなさい」となります。
日本共産党はよく「憲法違反だ!」という言葉を使って安全保障に関する政策を批判しています。
それなのに自分達は「憲法は「日本国民」の為のもの」だということが日本国憲法の序文にも書かれているのにそれをないがしろにするとは、どういうことでしょうか。
これだと「自分達が憲法をないがしろにするのは良いが、自民党が憲法をないがしろにするのは許さない」というご都合主義の論法になっていて、日本共産党のような左翼勢力が信用されない理由の一つだと思います。
これは民進党や社民党にも同じことが言え、これらの勢力の人達は言っていることが常にダブルスタンダードです。
「自分達が⚪⚪をするのは良いが、自民党が⚪⚪をするのは許さない」という論法を日常的に使っています。
これはとにかく自民党を批判したいという思いが強すぎて自分達のことが見えなくなっているのだと思います。
自民党を片っ端から批判しておけば支持してもらえると思っているのかも知れませんが、実際にはそんなことはなく、ネットではどれほどご都合主義な主張をしているかが完全に見破られています。
人の批判だけに明け暮れるのではなく、自分達がなぜ信用されないのかを考えたほうが良いのではと思います。
写真の真ん中にあるのは憲法記念日の5月3日、東京新聞に掲載された日本共産党の憲法に対する談話です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/d4/90a249928a0468e22a67ced454045fff.jpg)
『憲法の全条項を守るとともに、憲法を生かす政治を実現する決意。国民・市民の皆さんと、安倍改憲を阻止するため、ともに力を合わせる。』
次に同じく昨年の5月3日に東京新聞に掲載された日本共産党の談話を見てみます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/89/c40106f3e8689ca8f0e9d1bf10b86e21.jpg)
『市民、国民と力を合わせ、野党共闘を前進させる。憲法違反の安全保障法制を廃止し、立憲主義を日本の政治に取り戻すために、全力を挙げる決意を表明する。国家権力の暴走を許せば、独裁政治に道を開く。』
昨年も今年も、わざわざ国民とは別に「市民」という言葉が設けられています。
しかも昨年は「市民、国民と力を合わせ~」と国民よりも前に「市民」を持ってきていて、この「市民」とは一体誰のことを言っているのかを「憲法記念日2016 共産党の談話」で記事にしました。
そうしたら、私と同じような疑問の声が沢山上がりでもしてさすがにまずいと思ったのか、今年は「国民・市民の皆さんと~」と順番を変えて国民を前に持ってきました。
ただしわざわざ国民とは別に「市民」を設けることについては今年も変えていないです。
日本国民とは別に設けていることから見て、この「市民」とは外国人のことを言っていると考えられます。
さらに、例えば今年の談話の「国民・市民の皆さんと、安倍改憲を阻止するため、ともに力を合わせる」とあるのは、日本にいる外国人(在日外国人)と力を合わせ、「日本国憲法の改正を阻止する政治活動を行う」ということです。
ちなみに憲法は「日本国民」の為のものです。
日本国憲法の序文にもそのことが書かれています。
日本に住む外国人(在日外国人)は日本人ではないのですから、当然日本のことについて書かれた日本国憲法に口を出す権利はないです。
これは世界的に当たり前の話で、例えば国籍は日本のままアメリカに住む日本人がアメリカの憲法に口を出すのは筋違いであり、アメリカ人からすれば「こちらの憲法に文句があるのなら、自分の国に帰りなさい」となります。
日本共産党はよく「憲法違反だ!」という言葉を使って安全保障に関する政策を批判しています。
それなのに自分達は「憲法は「日本国民」の為のもの」だということが日本国憲法の序文にも書かれているのにそれをないがしろにするとは、どういうことでしょうか。
これだと「自分達が憲法をないがしろにするのは良いが、自民党が憲法をないがしろにするのは許さない」というご都合主義の論法になっていて、日本共産党のような左翼勢力が信用されない理由の一つだと思います。
これは民進党や社民党にも同じことが言え、これらの勢力の人達は言っていることが常にダブルスタンダードです。
「自分達が⚪⚪をするのは良いが、自民党が⚪⚪をするのは許さない」という論法を日常的に使っています。
これはとにかく自民党を批判したいという思いが強すぎて自分達のことが見えなくなっているのだと思います。
自民党を片っ端から批判しておけば支持してもらえると思っているのかも知れませんが、実際にはそんなことはなく、ネットではどれほどご都合主義な主張をしているかが完全に見破られています。
人の批判だけに明け暮れるのではなく、自分達がなぜ信用されないのかを考えたほうが良いのではと思います。